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過去と私の対立

強く過去に囚われている。かつての恋愛でズブズブ依存してしまって狂った過去に。
承認欲求に飢えた化け物に成り下がり、本当に醜かった。

彼らは、私にとって空虚な心を満たしてもらうための手段に過ぎなかった。本当に失礼で申し訳ないことをしたとおもっている。
今思えば、私が彼らを真に愛せたことはきっと1度も無かったなぁと思う。
私が私を満たせなかった、自分の心の淵をなぞることを恐れた。けれど心は満たされないと死んでしまう。だから必死に私は彼らに心の満たしを乞うしか無かったのだ。

そんな乞食、見てて情けないだろう。そんな人間、真に愛したいと思うだろうか。


2人には本当に申し訳なくて、同時に2人が優しくてよかったと思う。同時に私の告白を断ってくれて良かったと思う。
付き合ったとしても私は幸せになれなかっただろうし、私が変わらなければ幸せになれなかっただろうから。

だからこそ、その醜い自分に成り下がることは決して許されない、成り下がらないことを強く心に誓った。
化け物だった自分を戒めに、心に"ダメな例"として過去を貼り付けて、少しでも過去の自分が香ろうものなら心は強く反応して、自分を強く責める。過去の自分になんて成り下がったらいけないとプレッシャーをかけて。

「また繰り返すんか?」

***

戒めとして、私は過去に強く囚われすぎているね。
過去を手放したいのに、握り締めているのは私。でもそれは好きな人を本気で愛したいと、幸せにしたい、自分にしあわせな人生を送って欲しい、そんな気持ちの裏返しなのかもなと思う。

その反動もあるのかもしれない、私の救世主妄想は。
依存なんてしてたまるものか、彼を愛せ、全力で。
彼に頼ることも何かを望むことも求めることも自分に禁止して、自立することを美学に生きよと。

いつ、何が、どこで、私を狂わせるか分からないから。
それが本当に恐ろしいから。

「また過去を繰り返したくないだろう?」

***

友人にいわれた
「(私)はずっといい方向に変わり続けてる、大1の(私)を思い出せないくらい」
その言葉は、私を少し楽にしてくれた。

「けど、その生き方苦しいね、過去にずっと苦しめられているね」

そうだなぁ、いつも何かと闘ってるみたいで、いつも何かに追われてるみたいで、これが普通だと思っていたけど苦しみを自ら生んでいるのかもしれないね。

責任感がある、生真面目だ、そう言えば聞こえはいい。
実際は常に私を見張る厳しい存在がついて回っているだけ。
いつも俯瞰して見ている自分が、未来の自分に「また過去を繰り返してる」と言われることを恐れて怯え生きているような感覚。


「もう(私)は十分変わった、だからそんなに心配しなくてもきっと大丈夫なんじゃないかな」

その言葉、少し信じてみたいと思った、自分がいた。
変化をすることで"大丈夫だ"と心を安定させている、そんな私が、
変わらない、そのままで生きるという一種諦めを選択することを、してみたいと思った。

人生に対する諦めは、死を意味していると思っていたけれど、実は救いだったのかもしれない。


なんにも分からないけど、過去に囚われているのはもうごめんだから。
人生を諦めない選択は、変わり続ける選択は、これまでと同じ人生を生き続けることを意味するのなら。

ならば、堂々と私の人生を諦めてみたい。
諦め、いや自分の人生を"そのまま"勇気を持って受け入れたい、認めてあげたい。

そう思った、だけ。

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