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綺麗な動機ではない優しさだったとしても


肯定の言葉をくれる他者に依存して、承認欲求の化け物になって、他者を人ではなく自分満たす道具として都合のいい様に扱って、満たしてもらうために沢山演じて、結局人はどんどん離れていった。
自己肯定感は低かった。

自分をある程度満たせるようになったら今度は救世主妄想だと言われるようになった。
誰かを満たしたい、救いたい、誰かが救われるなら私はそれでいい、依存よりいいかと思ったけどそれもまた自己肯定感の低い人間のやることだと言われた。

君の居場所になりたい、私の居場所はそこになるから
君を救いたい、それが私が救われることにもなるから

君の笑顔を見た時、私の心は救われて、自分の価値を少しだけ感じられる

君が幸せだったら、私も幸せなんだ
君が笑顔になってくれたら、私は私の生きる意味になるんだ


そんな風に誰かが救われることで自分を救ってはいけないんですって。これも結局承認欲求の類なのか。


***

話したいことがあった
って言えた、それが凄く成長なんだ


今まではそれすらも言えなかった。
やっぱりなんでもないよって何でも無かったことにして元気なフリして笑って、それで結局1人で抱え込んで、言えない自分に更に落ち込んで、別れたあとに「言えばよかったのに」って後悔して。

終わったあとは「頑張れば言えたよな」って思えるんだよ、その時の緊張も胸の締めつけも「どうしよう」の心の葛藤も全部全部終わった後だから。


いつも悲しかった、ちゃんと言える自分にならなきゃとずっと思ってた。
勇気が無いだけだって、実はそこまで悩んでないからだって、頑張れば話すこと出来るのに、頑張るほどの悩みじゃないんでしょうって、そうやって思ってた。

何度も頭の中シュミレーションして、でもやっぱり直接会ったり電話したりすると言葉が出なくなっちゃって。詰まるの、無理なの、苦しくて。言わないで逃げた方が楽なの。

せっかく時間とってくれたのに「意外に元気そうでよかった」とか言われて、それに対して「意外に平気かも〜‎^_^」なんて言っちゃって。
本当はそんなこと1ミリもないのに。どうしていいのか、どう言っていいのか分からなくなっちゃうの。じゃあハナから「聞いて」なんて言わなきゃいいのにとまで思うようになった。


言えない自分の気持ちに寄り添うんじゃなくて、「じゃあどうしたら言えるようになるのか」を考えていたなって思った。勇気を出すとか、そういうの。

私を変える方法をずっと模索してたなって。「言うのが怖い」私を変える努力をしてたんだなって。

***

でもね「自分から話すの苦手なんだ」「話したいことあるって事だけは頑張れば言えるかも」って勇気を出して君に伝えたら

「じゃあ俺から話振ればいいんだね!"話したいことある"って聞いたら俺から散歩誘って、いいタイミングで俺から、そういえばどうしたん?って聞けばいいのか〜✨️」って笑顔でそう言ってくれて

驚きと共に凄くあの一瞬で心が軽くなったんだよね、あの感覚は凄かった。凄く嬉しかった。

そんな解決の仕方があったのか
私が変わらなくても解決出来るのか
自分が頑張らなくても楽になっていいのか
人に頼って私が変わらずに楽になってもいいんだ

そう思えた瞬間だった。

***

きっとまだわたしは真っ直ぐあなたを頼ることはできないでしょう、これは私の問題なのであなたのせいでは無い。

だけど、時間をかけて、路頭に迷いながらも、少しずつ頼れるように頑張るから、見放さないで欲しい、待ってて欲しい。
まあ、あなたなら待っててくれるって信じてるけどね。


そんな風に私を楽にしてくれる、"私の為を純に願って"積極的に動いてくれる異性を、好きな人を、初めて見た気がしてならない。

いや、そういう風に異性を見れるようになった自分がいる、ということか。

心の内側から染み渡る幸福を感じる、やはり幸福は自分で感じるものだったようだ。

***


君の救いの類が、救世主妄想であったとしても別にいい。
現実としてここに救われている人間がいるのだし。
私が救われることで君が救われるのなら、皆幸せじゃないか。

きっと君の救いの手に依存することはないから。
手を借りてちゃんと自分で立ち上がって、その後手を離すから、ちゃんと1人で歩くから、1人で歩き出すつもりはあるから。
君の手は私が1人で歩き出せるための助走のようなものだから。



どんな動機だって救われる人間がいるのだから
あなたの優しさを、どうか見せて欲しい

私の優しさを、見せていきたい


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