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オレは甘やかされた年寄りが嫌いだ

別に世代間格差を煽って年寄りイジメをしたいわけではないのだけれど、施設で週に何度かごく近くに多くの高齢者を日常的に見てて、どうにも感覚的に許せないことが一つだけあるので、それだけ文句を言わせて下さい。何なら単なる愚痴として流していただいてかまわないので。

いつも書いているようにウチは、祖父、父、オレと、代々の血筋として3人とも血の気はそれほど多くはないにしてもそもそもが揃いも揃って放蕩者の家系らしく、その時々に多少の浮き沈みはあれど概ね貧乏人として生まれ育ってまいりました。

特にオレの場合は、4歳で生母がいなくなったこともあり、物心が付くまでの大半を明治生まれの祖父母に育てられたようなものです。

それゆえなのか、それとも祖父母の昔気質な影響もあるのか、出された食事を残したり粗末にすることができません。コレはどっぷり骨身の髄の髄まで染みついてしまった生理的な感覚ですね。

もちろん、所変われば品変わるでお土地柄によっては供された食事をあまり綺麗に完食すると、それは提供する側へ饗しがまだ足りないという抗議の意思表示と受けとめられるため、お皿には少し残すのがマナーとされるお国もあるようで言われれば幾ばくかは理解もできるのですが、少なくともオレは、高度経済成長期の生まれではあっても、すべてにおいて「もったいないことはしないのを信条とする国」に生まれ育ったつもりでいます。

それこそ魚の食べ終わりに普通に「骨湯」を飲んでいましたしね。下手すりゃさらに修行中の坊主のように沢庵でお椀の水気を刮げてから懐紙で拭けば食後の食器も洗わなくてすむレベルになるようなところまでやりたくなります。

「米という字が八十八と分解されるのは、その数だけこうやって目の前の白いご飯になるまでにお百姓さんを初めとしたたくさんの人たちの時間と手間がかかっていることを意味するのだから、それこそコメ一粒たりとも茶碗に残したらバチが当たる」と教わってきました。ひと粒残ってカピカピに乾くと茶碗も洗いづらいしさ。

もし、オレがフランス人かイタリア人として生まれていたら、食事の際はパンやバケットでソースの痕跡すらわからぬほどに皿を磨くように食べてたことでしょう。それがお行儀いいのか悪いのか、よくはわからないけどね。

だからこそですね。最近の後期高齢者の食べ物を粗末にする姿勢が許せないのです。

オレも若干の子育ての経験があるから言わせてもらうと、アレはイヤイヤ期の子供の遊び食べに似てる分、さらに質が悪く感じるワガママです。

ひとさじ口をつけるや否や、コーヒーはまだか…ですもの。ほんとムカムカ、イライラ…。

偏食や好き嫌いは、人間ですから誰でも多少はあるでしょうが、毎回ほとんど食べる気がなきゃ端から食事をしないプランで参加すればいいのに。身内も自分のジジババの食事量から、どの程度までボケて手間がかかるかわかってるだろうに、それよりも自宅で世話する食事1回分の手間を省くこと優先かよ?

最近のニュースの事件事故の大半が、ややもすると触法高齢者絡みの話だったりしますが、今から高齢者の倫理観の再教育は三つ子の魂何とやらでどだい無理な話。

刑務所内の受刑者の高齢化と介護が問題にもなってますしね。

あの方たちの倫理観と現代社会のモラルとの埋めきれないギャップは、無理に矯正しようとするのではなく、マナー講習でもやって習慣として訓練するしかないかとも思います。

たとえば、よく見かける歩道をハンドベルを鳴らしっぱなしで爆走するジジババにいくら注意したって直りゃしません。ハンドベルを鳴らすことは他の人へ注意を促してるんだから迷惑行為ではないという思い込みは本人が社会的に良かれと思ってやっている以上は直せません。

公衆の目前で、取り締まり側からコレはやっちゃいけない行為だと身内の介護者も一緒にまとめてこってりみっちり具体的に指弾されない限りは。まあ、ソレも認知症の進行によりますけど。

あと、スーパーでの後期高齢者の万引きなどの触法老人に必要なのは、処罰より介護か治療だとも思いますしね。

ただ寂しく思うのは、江戸時代の先進的なリサイクル意識とか、倹約こそ美徳のもったいない精神とか、贅沢は敵だと言われて襟を正した世代はもう絶滅したのでしょうか?

それこそ、いろいろ何かと裏があるから「おもてなし」を吹聴されるのが、今の日本人だったりしてね。オレも含めてさ…。

http://www.ortho.m.chiba-u.jp/monologue/2466


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