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身近にいて困る人…

マリネと南蛮漬けの違いは?たぶん毎年書いているけれど、今夜は、オレが発症前まで住んでいた街のお隣りが賑やかになるお祭りの日。

多くの飲み屋さんには花屋で事前注文した満開の花を付けた桜の枝が飾られ、フロアには目にも鮮やかな真っ赤な毛氈が敷かれ、お店のスタッフの皆さんがこぞって脛も顕に横座りした艶やかな振袖姿でお客様をお出迎え。きっと、そんな光景がそこかしこに繰り広げられることでしょう。

ただ、そのリアルな情景を具体的に想像する場合には、そこに出てくるキャストの皆さんがもれなく安田大サーカスのクロちゃんだったり、野性爆弾クッキーさんだったり、レイザーラモンのお二人に容姿が近い方だったりするわけでね。

そんな、極彩色の絢爛豪華な、ある意味ノンケにとってはこの世の地獄絵図のような風景も季節の風物詩と捉えれば、また風流なものですね…。

あ、コレは話を盛るための誇張はしてないからね。何だったら、もっとスゴいシーンやイベントに遭遇したこともあるからさ。とても文字にして公表できないので、そこんところをどうしても知りたい人は個別で尋ねて下さい。

それにしてもここ数日、自分がサイコパス傾向にあることが如実に自覚される出来事が重なり、少し自省モード。

オレは指数上位3パーセントレベルのメンサに入れるほどに知能は高くありません。そんなことは百も承知なのですが、学校に行くようになって以降、中学に上がるまでは事あるごとに生きづらさを感じていたのも事実です。授業も議論も、その他大勢に合わせるのがひたすら苦痛でしかありませんでした。

そんなオレは、遺伝工学の残酷な事実を理解し、おそらくそれが事実であろうと確信するリアリストでありつつ、一方では合議制でより良い社会変革が可能とする希望を未だ捨て切れないでいるオポチュニストでもあります。

そして、オレは他人と話す際には、何よりも客観性と合理性を重視すると同時に、トマス・ペインの著作ではなく、あくまでビジネス用語の意味合いでの「コモンセンス」を相互理解の拠り所にする場合が多いかと思います。

そこで、昨今話題の境界知能の話なのですがね。

日本人は世界トップの知能らしいですが、それでも世間の三分の一の人は、旅行の際に自力で宿の予約をすることができないとも言われます。

何か個人的には、それは、さもありなんな感覚は確かにあります。

あまり会話のキャッチボールができてる感じがしない人が多いのよ。

ときどき、オレはバカにされてんのかな? とさえ思う時すらあります。

先述のコモンセンスとか、日常会話における興味のある分野は、必然的に自分が暮らす上でのプライオリティに関わるわよね…とか言っても、通じてる感が一切ない。

別にカタカナが使いたいわけじゃない。社会通念とか、優位性という言葉に置き換える方が、却って固く難解になるような気がするだけの話。

境界知能以前に、自分が常に同じ思考と知識を持つ人だけで構成された偏狭な閉じられたエコーチェンバーの中にいることにすら気づかない人も多い。

あなたのその言説に普遍性は有りや否や? その手のお話は、できればお仲間とだけしてください。

保有知識量の優越性と仲間内では確立されたとされるロジックでマウント取られても、オレは知らんがな? 虚しくならないのかね? 相手に話が通じなくても。本人は言いたいことというゲロを吐いてスッキリした顔されても、傍から見たら単に汚い姿を見せられているだけよ。

何にせよ、演繹やら帰納法とかプロセスは問いません。ただひたすら、オレはアウフヘーベンすることのない言葉のやり取りは苦痛でしかありません。

事ここに至っては、偏に共感性と論理構築できる程度に知性を有した人とのコミュニケーションを切に求めます。

今日の話は、特定の誰かに言ってる訳でも一方的に嘆いている訳でもないけどね。

何か最近、発展性のある会話に飢えててさ。

その理由については、また明日にでも。

https://news.mynavi.jp/article/20230412-2646418/


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