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あのたび ~東南アジア一周旅行記~

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20年前、会社を辞めてあてのない旅に出た。 その記憶を元に書き起こしたもの サムネはAIに描いてもらってます
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あのたび -出発前夜-

きっかけは『たびそら』だった。 この旅行記を読んでボクは一人旅に出た。今からちょうど20年前の話だ。  『たびそら』の作者(現在は旅写真家)の三井さんは、仕事を辞め初めての海外旅行で10ヶ月かけてユーラシアを一周した。当時26歳。そんなことが可能なんだ、という驚き!そしてそれ以上に、沢木耕太郎や猿岩石のような特別な人でなくただの素人でもこんなことができるんだという事実!魅力的な写真の数々と徐々に洗練され読ませる力がある巧みな文章!その全てがボクの背中を押した。  当時は

あのたび -上海へ2泊3日-

 旅には乗り物が不可欠であるが、いろいろな国で実に様々な船に乗った。ベッドも無い丸3日のオンボロ船から1分の川渡しまで。その8割以上が不快そのものであった。  まずこの旅のスタートが船であった。神戸を出向し2泊3日で上海へ到着するという蘇州号。  この船は時間の有り余っている旅行者にはポピュラーな出国法である。片道2万円。閑散期の北京往復が飛行機で3万円程度と比べると格別安いというわけではない。が、こういった船には何かそれなりのモノを背負った似たような境遇の旅行者が乗っている

あのたび -上海浦江飯店-

 上海の港へ着いたものの、宿はどうするのか? ご飯はどうするのか? 乗り物にはどうやって乗るのか? 旅初心者にはわからないことだらけだ。心の中では強気で全部一人で解決したいという思いがあったがさすがに無理がある。船で一緒になった男の子2人(ボクより若い)と、とりあえず浦江飯店(プージャンハンテン)というホテルを目指すことにした。  この頃はバックパッカーという個人旅行者が多く、欧米人がでっかい荷物をかついで世界各地を旅行している姿をよく見かけた。だから旅行者が行くような街に

あのたび -上海豫園-

 上海から近く、水の都と言われている周庄へ行ってみようと思った。日帰りの入場料付きバスチケットで110元(≒1650円・2003年時点)。天気はあいにくの曇り雨。現在はだいぶ整備されほんとにキレイな観光地になったのだろうが、このときは川に泥水が流れ古い建物がポツポツと並ぶ、とりたててなんということのない田舎町だった。人力車のオヤジが3元で案内してやるぞといっていた(?)が断った。ただ寒かった。  2月の中国はまだ寒く、スポーツサンダルで出発したボクは上海の市場らしき所で靴を

あのたび -中国電車移動-

 北京に知人のKLさんが居たので訪れることにした。大手企業の北京支社長という立場で数年単身赴任することになっていたようだ。まだ赴任して数ヶ月だというのに中国語会話をかなり習得していた。  上海から北京へは電車で行くことに決めていた。20年前の2003年当時はまだ高速鉄道は開通していない。  日本であらかじめ調べた情報によると、特急で14時間・鈍行で24時間かかるとのことだった。さらに座席の種類が4つある。硬座・軟座・硬臥・軟臥とあり順に料金が高くなる。硬座は文字通り硬い座席

あのたび -中国・麗江-

 40時間以上硬い座席に座ったままで、北京から攀枝花(読めない)駅に到着した。横になって眠りたいところだが目的地は麗江(リージャン)だ。雲南省の奥にある地で世界遺産にも登録されている。日本では全く聞いたこともなかった麗江。行く予定はなかったのだが現地で出会った人の噂で行程を変えていくことも一人旅の面白さだ。しかしボクには圧倒的に旅の経験が欠けている。  電車なら時刻表と列車番号を見ればほぼ確実に目的地に到達できる。ところが攀枝花から麗江まではバスである。バスターミナルはどこに

あのたび -陸路国境越え-

 次の目的地はベトナムだ。お洒落で素敵な麗江を出発したあとはバスを乗り継いで大理(ダーリー)、昆明(クンミン)へと移動した。かつては昆明からベトナムのハノイまで国際列車が走っていた。が2003年時点では廃止されていた。  島国である日本で暮らしていると国境というモノのイメージが湧かない。全ての荷物を調べられた上危険な人物ではないかと全身を厳重に審査されるのではないか。それくらい恐ろしい不安があった。  陸続きの国境を自分の足で越えてみる。大きな1つの目標であった。英語もで

あのたび -美味しいハノイ-

 ベトナムに入ると、まだ3月前だというのに蒸し暑かった。ここから約1年間長い夏を経験することになる。寒い冬は苦手なのでボクには嬉しい気候だ。   国境の町ラオカイからハノイへ向かう電車の中で、ドイツ人デザイナーのトーマスとオーストラリア人学生のグレイグと知り合った。一緒に国境を越えたコージくんとともに4人のボックス席に座ってトランプなどをして交流した。電車といっても2003年当時のベトナムではスピードが遅いのでハノイ駅に到着するのは深夜近かった。  駅を降りた途端、ものすご

あのたび -ハロン湾とフエ-

 ベトナムで最も景色が良いというハロン湾ツアーへ参加した。  一人旅をする者はツアーというパッケージ化されたプランを毛嫌いする傾向にある。自分の足でローカル線を乗り継いで、できるだけ安く辿り着きガイドを利用せず見て回る。そこに意義を見出したりする。  ところがここベトナムのハノイではツアーの方が安上がりになるという逆転現象が起きていた。  2003年当時、ものすごいバックパッカーブームで世界中から多くの旅行者が集まり、それを見据えて安宿がバス会社と組んで泊まった客にツアーを

あのたび -ベトナムで温泉-

 日本人は温泉という言葉に弱い。あっちに温泉があるなどという話を聞いたり情報ノートに書いてあると行ってみたくなる。国民性なのかシャワーよりも熱い風呂に浸かりたいのだ。東南アジアの国々でも温泉は多い。独立したばかりの東ティモールにもあったという話だ。  この旅の途中では、カンボジアのシェムリアップ、インドネシアのバリ島やモニ、フィリピンのイロシンで温泉に浸かった。  ベトナムのフエでは男女8人ワゴンツアーで近郊の温泉へ行くことにした。フエのビンジュオンホテルは人気があり、入

あのたび -ホイアンとビアホイ-

 仲良くなった旅仲間が、1人2人とチェックアウトしてビンジュオンホテルを去ってゆく。南から来た者は北のハノイへ。またある者は国境を越えて西のラオスへ。みんな行く先はバラバラだ。20003年当時スマホはないので、出会いは一期一会だ。  ボクも快適だったフエのビンジュオンホテルから出発することにした。次の街はバスで4時間ほどのホイアン。ベトナム戦争の中でも壊れずに残った歴史的建築物が残る港街。江戸時代に日本や中国と交流があったのでその雰囲気が街中に感じられる。日本橋といわれる屋

あのたび -ホーチミンシティの失敗-

 ホイアンからバスを予約しホーチミンを目指す。人数が少なかったので隣の空席を広々と使うことができてラッキー。朝6時に出発し夜9時にニャチャンというビーチ街を中継、食事休憩後再出発し朝7時頃ホーチミンシティに着いた。  この街はベトナムのどの街よりもさらに暑く、オートバイが多く騒々しい。空気も良くない。ベトナムではドミトリーでの出会いや交流の楽しさを味わったので、テータム通り周辺で宿を探したのだがどこもドミは満室。おばあちゃんの笑顔に負けて細い路地の奥に入った薄暗いシングルの宿

あのたび -カントーのツアー-

 ホーチミンの安宿街周辺からカントーへ行くにはまずミエンタイバスターミナルへ行き、そこでソクチャン行きに乗って途中で降りろと言われる。言葉があまり通じない中で、乗り継ぎとか途中下車とかは難しい。  チケットは買ったがバスはなかなか出発しない。明らかに乗員人数以上の人と荷物をぎゅうぎゅうに載せて、もう乗れないだろうというくらいで出発する。アジアではよくある光景だ。  このバスは、搭載している重量のままバスごと大船に乗り込みそのままメコン川を渡るというなかなか刺激的な経験ができ

あのたび -国境の町チャウドックへ-

 メコンデルタの街カントーを堪能したあと、チャウドックを目指す。ここはメコン川の支流にあるちいさな町でカンボジアへ行くための国境町だ。  カントーのターミナルでうろうろしていると「Where do you go?」とおっちゃんに聞かれる。 「チャウドック」と答えると中型バンに詰められた。定員は10人くらいのはずなのに、道端で人を拾って乗せてを繰り返し最大25人も乗ることに。暑いのに窮屈で苦しい。それだけ乗せてもバンの運転手はスピードをぶっとばし2時間半でチャウドックに着いた