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書店パトロール21 ブルーフィルム

前々から欲しかった本で、未だに買えていないものがある。

そういうものは結構あるので、いずれは…と思っていても、いざお金がある時は不思議と他に欲しい物が出来ている。
国書刊行会から3年くらい前に発売された神代辰巳くましろたつみの本がそれで、12,000円くらいする。

税込だと13,200円もする。13,200円というのは、まぁまぁな高級レストランに匹敵する。美味しい料理が食べられるし、新刊の漫画ならまぁ20冊近くは買えるだろう。

神代辰巳監督は『傷だらけの天使』のエピソードを2本演出していて、私は『傷だらけの天使』が好きなので、そこから神代辰巳監督を識ったのである。


『傷だらけの天使』は第1話と第2話を深作欣二監督が演出している。
神代辰巳監督と萩原健一はすごく馬があったようで、そのあたりのことはインタビュー本や奥田和幸氏の本にも詳しい。

神代辰巳監督は元々日活ロマンポルノの監督で、萩原健一とはタッグを組んで様々な作品を撮っているが、文学的なもの、といえば『もどり川』という作品がある。


1983年の映画で、萩原健一が太宰治をモデルにした架空の天才歌人苑田岳葉えんだがくようを演じている。
この映画には原作小説があって、タイトルは『戻り川心中』であり、これは直木賞候補作になった。作者は連城三紀彦。やっぱり、太宰治ときたら心中なのである。

で、濡れ場と歌人の悶々とで出来ている映画だ。初っ端から遊郭で女を抱いているわけだが、女優さんも大いに脱いでいる。おっぱいの海にショーケンが飛び込んでいる。まぁ、大いに、とは、よくわからないが、やはり遊郭を舞台にしているであれば、裸、というのは絶対に避けられないことである。
むしろ、海外のように男性俳優もポロリを見せないことにはどうしようもないのではないか。いや、意外に演者は見せたいのかもしれない。特に男優は見せたいのだろうが、然し、そうすると規制に引っかかってくる。
海外では、マイケル・ファスベンダーのものがとてつもなく大きいのだという。まぁ、別にそれが観たいわけではなく、やはり、営めばポロリは当然おきるもの(川柳)ということだ。そこに男女の差異はない。
『もどり川』は今はアマゾンプライムで無料で配信している。いや、アマゾンプライムはそもそもが金を取っているから有料だが。
五社英雄的、ああいうセックス、遊郭、女衒、身売り、しぶとい、貧乏、極彩色、というのは素晴らしいが、あの系譜にも近い。
完全に色魔の世界である。映画だから誇張はある。けれども、現実には四六時中頭の中がセックスに染まっている人間はそうはいないし、いたとて、もう少し隠すだろうが、基本的には彼らのたがは外れており、異様な世界が顕現けんげんしている。

『もどり川』は、脚本は荒井晴彦である。荒井晴彦といえば、最近では『火口の二人』や『花腐し』などの監督を手掛けた。
それから、最近は脚本では『福田村事件』なども手掛けていて、このあたりの性愛描写は監督の森達也の方向性ではなかったらしい。男女の性愛から立ち上る情念、生死、芸術。男女のセックスこそが芸術そのものであるという系譜がここにはある。

ショーケンは汗だくになりながら先生の奥さんとまぐわうが、然しこの映画、1923年の話である。大正12年、つまり今から、1世紀前が舞台の作品だが、奇遇にも『福田村事件』も関東大震災の起きた1923年が舞台である。
大正デカダンスの果実とも言える映画である(ま、昭和の作品だけどー)。

で、神代辰巳は『傷だらけの天使』組の岸田森とも映画を撮っていて、それでは岸田森が凄まじい汗をかきながら濡れ場を演じていた。汗、というのは青春のシンボルであり、性春のシンボルでもある。
タイトルは『黒薔薇昇天』。黒薔薇商店ってことはお花屋さんの話かなー、と思うけれども、どっこいエロ映画である。


谷ナオミが出演していて、芹明香がメインの一人で登場する。ブルーフィルム、即ち非合法のポルノフィルムを制作している山師みたいな監督が岸田森で、彼は最高のブルーフィルムを撮るために日夜頑張っており(もちろん、自分も男優として出演するよ)、今作はまぁ、映画作りの映画、というジャンルに属する作品であり、まぁ、『アメリカの夜』みたいなものである。ああいう、現場裏、舞台裏の映画はいいものだ。『カメラを止めるな!』も面白かったしね。

下品と上品が交わるのが人生だ。それはいつしか反転していくのだから。

さて今作、舞台は大阪、撮影現場は熱気に溢れていて(スタッフは男優女優含めて5人くらいだが)、岸田森は汗をかきすぎて髪の毛がべたりとおでこに貼りついてまことに不気味な容貌になるが、ブルーフィルムを作る熱い想いが彼の身体からはほとばしっている。

ブルーフィルムは青く着色されたフィルムで、まぁ、私もよく語源は識らないが、とにかくこの映画はなかなかにヘンテコリンな映画なので観ていただきたい。論理的には破綻しているが、破綻から生まれるものもあるのだ。

これに出演している芹明香は田中登の傑作ロマンポルノ『㊙色情めす市場』という、当時でも思わず二度見し目を疑うであろうタイトルの作品の主演をしているが、㊙は映画としても非常によく出来ていて、山のように撮られた数多の作品の中から、こういう神憑かみがかりが時々具現化する。
それは、例えば文章であっても同じことで、大量の駄作の山に傑作の萌芽が顔を出す時があるのだ。

然し、映画の場合は土壌が大事であり、小説は、究極的には個人でも出来るが、映画での個人はやはり限界がある。映画は総合芸術であるが、この総合はある種、人と人の連携という意味での総合、とも取れるだろう。

つまり何が言いたいのかというと、先日書店で湊かなえの描き下ろし長編イヤミス最新作『人間標本』なる作品が並べられていた。


どうやら、蝶好きの変態教授のたがが外れて、美少年を標本にするために殺すー!というようなストーリーで、色々とそこから展開があるようだが、やはりここはその教授、岸田森、彼に演じてもらいたい。無論、既に岸田森は故人である。だが、彼は蝶好きであり、蝶を愛するナイスガイ、なわけだが、変態性も多分に兼ね備えているため、これはもう、絶対に岸田森が演じなければならないのだ。

標本、といえば、『HUNTER×HUNTER』のツェリードニヒ・ホイコーロ第4王子も変態であり、彼も奇形などを蒐める人体蒐集家だが、彼の場合は美少年趣味、というよりも美女趣味である。どちらかというと谷崎潤一郎の系譜であり、そのあたりは冨樫先生、なんだかんだで倒錯はあまりなくて、キメラアントのザザンも若いホストみたいな男を従えていたりして、アンモラルな様相は実はない。
ツェリード様は女性に無理やり髑髏の入れ墨を彫っていたりして、お、これは谷崎の『刺青』かな、と思ったり。

『もどり川』の主人公苑田岳葉は、自分の破天荒な人生と奔放な女関係とで芸術を生み出そうとするが、そういえば、谷崎潤一郎もそういう作家なのだ。破滅型ではないが(いや、細君譲渡やその他の行為を見るにつけ十二分に破滅型だが)、彼は自分の生活を芸術にすることにより芸術を生み出そうとした。
然し、それは諸刃の剣であり、才能があり、その上でそれを放擲することも厭わないギャンブラーでなければ成すことはできない。
大抵は金を無くし、信用を無くし、野垂れ死ぬ。ただただ成功者は星のように輝き太陽のように人々を照らすが、その下には死屍累々の敗北者が地獄に向けて列をなしている。

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