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『空白を満たしなさい』が、救ってくれたもの。

死んでしまったあの人がよみがえって

くれるとしたら。

あの頃なんでもするって思っていた。

ほかの悲しいことはぜんぶ引き受けても

いいぐらいの、血迷った心でうろついて

いたことがあった。

そんな冒頭を書いて今日で3日目。

書けないとあきらめてしまえばいいのに

なんだか性なんだろう、まだしがみついて

今日も挑んでる。

挑んでは寝かして、でもあきらめられ

なくてまたこうして書いている。

「死」をあつかうのも、受け止めるのも

それは現実でもフィクションでもきっと

むずかしい。

先日、平野啓一郎さんの原作のドラマ

『空白を満たしなさい』をぜんぶ見終わった。

静かに、温かい気持ちになった。

それは、あまり知らなかった

名づけられない気持ちに包まれていた。

実はすこし時間をかけて見た。

わたしには背負いきれない世界が描かれて

いる気持ちがしたから。

「死」といっても、自ら選ぶ、(選ばされた)

死について描かれていた。

ドラマの中では父であり、柄本佑さん演じる

夫、徹生が、ある日我が家にもどってくるところ

から始まる。

彼は「復生者」と呼ばれる種類の人間だった。

生き返って蘇るように死んだ人が戻ることを

小説やドラマの中でそう呼んでいた。

妻はただただ狼狽える。

息子は3歳になっていた。

見知らぬ誰かをみているように彼は

ぽかんとしている。

人がその(たぶん)突発的な生とは反対の道を

選ぼうとするときには

「空白の30分という時間」がそこには

あるらしい。

ドラマの中では、徹生が出会う自殺対策NPO法人の

「ふろっぐ」の池端さんがその「空白の30分」に

ついて教えてくれた。

徹生は、頑張っているのに会社での報われない

日々のじぶんや、最も愛しているものを守れて

いないじぶんなど、うまくいっていてもいって

いなくても、疲れているじぶんを愛せなく

なっていた。

なんどか録画を止めながら書き留めていた。

池端さん役の滝藤賢一さんの演技に惚れた。

そこにはかつて死んだ人と今生きている人

という図式ではなくて。

おなじ、一直線上のこっちとあっちにいる

人という感じで、そこになんら隔たりを

感じないような、包み込む眼差しと言葉が

あった。

「嫌な自分は、一部にすぎません。

嫌じゃないじぶんもいるはずです。

お子さんの姿を思い出してください」

社会に属していたらあたりまえだけど

色々な人とかかわらなければいけない。

たったひとつの会社の中でさえ、

多種多様なひとがいて。

様々なポジションがあって。

だから、わたしたちはいつもたったひとつの

自分では他人とつきあえないように、なっている。

いろいろな誰かと出会うたびに、つきあう数だけ

じぶんの顔を持っていることになると、彼は

やわらかく話しかける。

池端さんの言葉をわたしはいつまでも

聞いていたかった。

ぶれないことがよしとされているけれど。

まったくもって、ぶれていいのだと。

たったひとつの自分じゃしんどいよと。

そんなことを受け止めていた。

このドラマは、死んでしまったひとが

いかに死んでしまったかを描くのではなくて

死んでしまったひとたちが、いかに

生きていたかったかを描くドラマになって

いた。

だから、徹生は、「生きるに徹するで徹生」

なのだと、切なくもなった。

このドラマの中には、それこそ様々な人間が

登場するのだけど。

わたしが避けたくなるウザいと思っていた佐伯

という人物がいた。

その存在が恐怖でしかなかった。

徹生を執拗に責めていると思われていた人物。

絡まれたくないタイプだから、この佐伯の

役割が原作を読んでいないわたしには

つかめなかった。

でもラスト2回によってその思いは覆された。

彼はある種、真理だったし。

ある種、徹生の理解者でもあったのだ。

見終わった後、わたしのなかで様々なものが

行きかいながら、不用意に使ってはいけない

けれど。

じぶんを救うという言葉が浮かんできた。

『空白を満たしなさい』とは、遺された家族への

贈り物でもあったけど、主人公徹生じしんの

空白が満たされたことでもあったし。

また、混とんとしたこの情報の渦の中で

彷徨うわたしたち視聴者が生き抜くための

処方箋でもあるように感じた。


今日書いたこのドラマ感想文はなにも満たして

いないかもしれないけれど。

3日悩んですこしずつ、このnoteの真っ白い

大海原を埋めていった。

よかったと思うものを、誰かに伝えるために

また、自分自身をも説得するために

言語化するとはこんなにもたやすくないものなの

かと苦しかったけれど。

これは、書くということは修行だなって、

まざまざと感じられたことがわたしの唯一の

果実だったと思う。

そして、大学時代の大切なともだちI君を

見終わった後、思いだしていた。

彼の想いはもう今となっては聞けないけれど

わたしは彼によってたくさんの満たされた

時間を短い20年ちょっとの中の2年ばかりを

わけてもらっていたのだと思った。

彼と大学を終えるさいごまで友達でいられた

ことを心から感謝していた。

追伸:伊藤君、授業さぼって吉野の桜みにいく

はずが、目的地にいつまで経ってもたどり

着けなくて。

結局みられなかったけど、あれはあれで

楽しかったよね。

そんなことだけを、ぽそっと伝えておきたくて。




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