夫にとっての日本、私にとってのイギリス
私と夫が出会ったNewcastle大学は英国北東部の街の真ん中にある。
まわりの誰1人知らない外国で、郊外や田舎に住むと週末交通もなく孤立するのを、語学留学の時体験したので、街中の大学を選んだ。
たまたま寄ったら100年位前にここで夫と出会ったって感じがした。
初心者ではあっても、ガーデニングを毎日楽しんでいるので、庭師の人と少しだけおしゃべりをする。
夫と出会ってから、あまりにもいろいろなことがあった。
それでものすごく歳をとったって感じがする。
やっぱり日本とイギリスを行ったり来たり距離もあったし、それぞれの外国(夫にとっての日本、私にとってのイギリス)でわからないことが、私にも夫にも多くて、国際結婚はちょっと難しいものだったんだなって今思う。
イギリスは日本から見ると遠い。
それは、物理的な距離であると同時に、暮らし方の距離でもあるのだ。
欧米人との結婚で、一人一人の自由を尊重する個人主義の文化に飛び込むと、自由がどれだけ大切か、それがいかに日本人に足りないか(村社会で見せかけの連帯のぬるま湯につかっている感じ) を悟る。
人は、皆、孤独なのに、日本にいるとそれを忘れてしまう。ぬるま湯のように心地良いのに、それが時々窮屈になる。
自由でいたい。窮屈さから逃れたい。それが孤独を知ることになると知らずに、自分のいたところを飛び出した。
まずは私が日本を、そして夫がイギリスを、再び、私が日本を。
夫はイギリスを離れ、恋人(私)がいるだけで、他の事は何にもわからない日本で混乱し心をキリキリと痛めつけられていた。
私は夫の孤独がどれだけ深いか、だんだんわかってもどうすることもできず、世界はコロナ禍に突入した。
イギリスはコロナの時日本と全く違って、医療機関と政府が一体になってロックダウンの厳しい行動規制を敢行して、まさに戦時中の国のようだった。
日本は逆に混沌として、政府は何をやろうとしているのか誰にも理解できないまま、ただ外国との門戸だけを約2年間もかたくなに閉じた。
イギリスで戦時中、日本では鎖国と言う状況でに乗じて、夫はイギリスに残ることを選んだ。
それは夫が自分で決めた事と言うよりは、私がイギリスで家を買うことを促して、夫の心が決まったのだろうか。いやきっとイギリスで家を買うことを話した時から夫の心は決まっていたのだと思う。
そして私はイギリスへ来ることがそれまで以上に自分自身になることだと漠然と夢見ていたけれど、イギリスに引っ越してからの日々はちょっと想像していたのとは違っていた。
でもたとえたくさんの不安が心をキリキリと痛めつけても、私は孤独であることで初めて自分自身を知ることができるのだと信じている、どれだけ泣いても足りないくらいの涙が流れても。
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