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風が吹かなくても


昨年のものですが、
ねこちゃん描きました((Ф(..  )


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図書館で手元の本に熱中していたときのこと。突然「感染対策のため、消毒と換気を行います」という館内放送が流れ、しばらくして、本棚と本棚のあいだを冷たい風がさあっと吹き抜けていった。図書館で風を感じることってあんまりないような気がするから、風がやってきた方向を見てついにっこり。本当にいい風だった。草原にいるみたいに気持ちがよかった。

NHKのBSプレミアムに「世界で一番美しい瞬間(とき)」という紀行番組があるけれど、世界で一番美しい瞬間と呼べるものがわたしにもあるとすれば、それは気持ちのいい風が吹いたときや、風の香りを感じた瞬間だと思う。たくさん一番があっていいなら、真夏に涼しい部屋から炎天下の屋外に出たときとか、ほてった頬に冷たい雪があたったとき、日差しがぽかぽか温かいとき、いい音楽を聞いたり、子どもの頃のことを思い出したとき、大好きな映画をみたあとの静かな時間とか、そういうふいに懐かしさがこみあげてくる瞬間はみんなそう。


自分にとっての「世界で一番美しい瞬間」に浸っているとき、その人は本来の自分に帰っているんだろうな。わたしも風のいい香りを感じたときには、なんだか長旅を終えてやっと家にたどり着いたような、そんな至上の安心感で心が破裂しそうになる。そして同時に、自分がいつもそれを切望していたことに気づく。わたしはいつもここに帰りたかっただけなんだって気づく。ずっとこのままでいさせて、この一瞬のなかにずっと留まらせて、って願わずにはいられない。


V・E・フランクル著「それでも人生にイエスと言う(春秋社)」のなかで、たとえばもし、あなたがコンサートホールに座ってとあるシンフォニーに耳を傾けているとして、今まさに大好きな小節が耳に響きわたり、背筋がぞくっとするような深い感動を味わっているその瞬間、だれかがあなたに「人生には意味があるでしょうか」とたずねたら、そのときのあなたには「この瞬間のためだけにこれまで生きてきたのだとしても、それだけの甲斐はありましたよ」という、たったひとつの答えしかあり得ないのではないか、ということが述べられてあった。

フランクルはここで、芸術や自然、あるいはひとりの人間を体験するという、その「美の体験」によって、人は人生を意味のあるものにすることができる、ということを伝えているのだけれど、わたしはその美の体験を、滅多にない特別な瞬間としてとか、苦悩のなかでときおり垣間見える生きる喜びとしてだけではなくて、いつでも今この瞬間にある至福として大切にしたいと願ってる。


一昨日の夕方、車の中からずっとひとりで空を見ていた。澄み渡った水色の空を銀色の雲がゆっくりと流れていって、雲で夕日が遮られたり、かと思ったら、放射線状にぱあっと輝いたりしていた。

スーパーで買い物をしてきただけで、なんてことはないいつも通りの夕方だし、空ほど見慣れたものはないとも思うのだけれど、そのとき誰かがわたしの耳元で「人生には意味があるでしょうか」と囁いたとしたら、もちろんわたしも「このときのために今までの人生があった」と断言できたと思う。


でも、もっと言えば、たとえ空を見上げられなくても、風が吹かなくても、素晴らしいシンフォニーがなくても、世界で一番美しい瞬間はいつでも自分のなかにあるはずで、わたしはそれに気づきたい。木村弓さんの「いつも何度でも」の歌詞にある、「海の彼方にはもう探さない 輝くものはいつもここに 私のなかに見つけられたから」のような、そういう静かな確信をつかんでいたい。何があっても、わたしは今ここにある安らぎを選ぶことができるんだ、この体がどこにあっても、もうそこに帰ると決めることができるんだ、ということをわかっていたい。

これまでの自分の人生をふり返るといつも愕然とするし、たまにものすごい恐怖感が湧き上がってきて体ががくがく震えて眠れない夜もある。それは誰かや何かが悪いわけではなくて、単にわたしが自分自身との関係性から生じる苦悩に自分から首を突っ込んで、望んで苛まれているだけなんだということもわかってる。

そこから抜け出すための強さは今のわたしにはまだ備わっていないのかもしれないけれど、何にも揺るがされることのない、いつでも今ここにある生きる喜びが、人生の意味がわたしの心にあるかぎり、少なくともその苦悩の背後にはいつも安らぎがあって、わたしが倒れないように支えてくれているはず。

そしていつかは、いや、きっともうすぐ、目の前の状況にかかわらず、今ここにある生きる喜びを選択してそこに留まり、安らぎのなかに帰ってくることができるはず。わたしもみんなも。それを強く信じたい。今はそういう気持ちでいっぱいです。


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