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斜陽

おはようございます。

いわゆる私の家は
ちょうど中学校の自転車通学の境界線の
内側にありました。
ですので毎日が徒歩の通学でした。

秋になると
日の傾きが低くなってゆきます。
加えて涼しさの中に
秋特有の寂しさを感じていました。

帰宅して
家の畑を通る時に
長い自分に写った影に向かい
何故か唱えていた言葉がありました。
それは

「日暮れて、道遠しです。

意味は
自分自身が1日を過ごして
帰宅しても
何事もなし得ることもなく
少年の「夢」に辿り着くにはまだまだ遠い道のり・・・。
そして、今日も夕日が暮れてゆくという意味合いです。

中学生で
なんてこのようなことを考えていたのか・・・?
感受性は強かったと思います。ので
多分、ただ歴史小説の読み過ぎだと思っています。

大人になった今になっても
毎日を十分に過ごしているか?
と考えると🤔
虚しさを感じてしまう時もあります。

そのような夜更けに
思い出すのが
「日暮れて、道通し」の言葉です。

別に私が何かを成し遂げなくても
地球は回ります。
別に世界に影響を与えてしまうわけでもありません。
それでもその言葉を唱えてしまいます。

私はなるべく朝の時間を大切にするために
夜は早く床に着くようにしています。
それでも、先の虚しさを感じる夜。
私は、未練がましく
読みかけの本を読んだり
noteを書いたりしてしまいます。
だから、本来は夜型に近いと思います。

メンタル疾患にかかって一番大変なことは
夜眠れないことです。
それでも私は眠剤を服用はしていません。
それは、眠剤が効かなかったときの
不眠状態がものすごく怖いからです。
それなら、初めから服用しない主義です。
(それは主治医とも相談しています)

夜に、特に読みかけの読書をすることも
あります。

このように
夜更けに眠れない自分と向き合っていると
「明日、地球が終わるとしても
私は今日りんごの木を植える」(ルター)とか
「永遠に生きるかのように学べ」(ガンディー)のような
言葉を都合に合わせて思い出したりしてしまうのです。

ひどい時は、自分に
「24時間、戦えますか?」なんて
昔はやったフレーズまで
頭の中でリフレインしてしまうのです。

現代は情報コンテンツが
山のようにあると思います。
そのほとんどがデジタルです。
ほとんど眠れぬ人には誘惑が多すぎると
思います。

しかも、人々は日々の仕事や家事に追われ
自由な時間が取れにくくなっていると実情もあります。

結局、自分の思い(夢)を
成し遂げることから
遠ざかってゆくのが
大半の人々だと思います。

だから今夜も自分に
「日暮れて、道遠し」と
言葉を自分にかけてしまいます。

眠れない夜。
そんな言葉に酔いしれながら
過ごす毎日です。

mimeさん素敵なフォトありがとうございます。

#眠れない夜に


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