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人が作るものなんて

テレビが好きじゃないなと感じるようになったのは、ドッキリ系のバラエティに違和感を覚えるようになったからだ。

日本のドッキリのほとんどが、先輩が後輩をビビらせたり、誰かが体を張って笑いを誘うものが多い。身内のおふざけだったらそれは面白いのかも知れないが、なんだかそれを画面の奥でやられてしまうと、いたたまれないというか、心にくるものがある。


3月22日に放送された、「今夜解禁!ザ・因縁」というテレビのワンカットがTwitterで流れてきた。美川憲一さん(以下敬称略)が、無所属での芸能界復帰を決めた坂口杏里さん(以下敬称略)と対談するといった内容なのだが、明らかに、芸歴の長い美川憲一が坂口杏里を説教するような構成で作られている。

終始威圧的な態度で坂口杏里の話に応じ、「そんなんじゃダメだ」と決めつける美川憲一。

ふてくされ、「お前に話しても無駄だ」といった態度で話を聞く坂口杏里。

固定された価値観を押し付けようとする美川憲一の姿と、先人の声に聞く耳を持たず自分の実力を過大評価する坂口杏里の姿は、近年の世代間の壁を極端に分かりやすく示したもののように見てとれた。世代だけじゃない。組織もそうかもしれない。

案の定この番組に対するツイートを見てみると、世代によって反響が大きく割れているように感じる。もちろん、当人たちの過去を加味した批判等も多く見受けられたが、特に若い世代からの「これだからオジサン・オバサンは」と言った意見が顕著に見られる。

「年上がえらい」とか、「若いんだから」とか、そういう固定概念を正しいものとしてメディアで放送してしまうことに、私は違和感を覚えた。もちろんそうあるべき時もあるし、ある程度年長者、特に実績のある功労者からは私たち若い世代が学ぶことも多い。だから私は別に年功序列の制度がダメだとは思わない。

ただ、それが正しいものとして誰かに押し付けられるべきではないと思う。何事もそうだけど。

極端であることとか、向き合おうとしないこととか、主語が大きいものとか、そういうのってあまり平和を生まない気がするんだよね。どっちかが嫌な気分になって終わっちゃうみたいな。


しばらくテレビから離れていたからこそ、久しぶりにテレビの中身を目にして、少し驚いてしまったし、ずっとこのメディアでしか情報を得ていなかったら、違和感を抱くこともなくそれが常識と化していくのかと考えたら、少し怖いとさえ思った。

子供が真似するからとか触発されるからとか、きっと裏ではお金やらなんやらが沢山動いていて、今のテレビからはたくさんの自由が奪われている。その結果かなり偏向したメディアと化してしまっている。あれだけたくさんの人が見て、ほとんどどの家庭にもあるものが、一番信頼できないメディアに変わりつつある。

常識は人の手で作られる。
人の手で作られたものに絶対は存在しない。

結論ぶっ飛ぶが、常識とか当たり前とか、メディアが発信したり学校で教えられるものの信憑性なんてそんなもんだから、みんな常識っていう枠に捉われて苦しまなくていいんだろうなって、最近思えるようになってきた。

なかなかそれは難しいけど。

誰かの価値観の中で生きることなく、自分の価値観を軸に広い海を泳いでいけるような人になりたいし、自分の好きな人たちが誰かの価値観の中で苦しまないでいてほしい。

最近あらゆる話のオチが
「みんな幸せになれ」なの。
私の近くにいる人も遠くにいる人も。
頭悪そうだけどハッピーオーラで世界が回ればいい。マジで。

そう思えることも幸せだよね。
ハッピー。


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