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夕飯どうする?の選択肢を愛を持って選択する。

今日のお題:
出かけた日の夕飯はどうする?

日帰りレジャーをする日の夕飯をどうしてますか?

外食。
お弁当など何か買って帰る。
前もって用意しておいて家で食べる。
帰ってから作って食べる。

周りのお母さん達からよくこんな声も聞く。

「遊びに行くのはいいんだけど、帰りのことやその後のことまで考えなきゃいけないから大仕事だわ。」と。

翌日が休みならまだいいけれど…という時間のこと、レジャーで散財もしているしお金のこと、でも自分も結構疲弊してるからラクもしたい。

けれど総合的に考えてどうするのがベストなのか毎回考えを巡らせる担当。

そして結局は相手の、周りの希望を優先して…のことが多いのも、考え巡らせる時の軸が自分ではなく、周りとの調和をメインにするから。

つまりは家族でなくても、友達や、恋人とのお出かけの時も、自分がどうしたいかをハッキリさせずに迷い、淋しい熱帯魚のようにheart on waveして、ゆらゆらswimminしてるから。(ご存知の年代にしかわなんないかな。)

愛は揺らさないで、とめたほうがいい。
Stop!

私への愛はそこにあるんか?

今日は色々とパロディを盛り込みすぎ。

でもほんと、「そこに愛はあるんか?」と問うてみると相手への気遣いや子供達の生活リズムを慮ってなど自分以外への愛はあるけれど、自分がどうしたいかはどんどんと隅へおしやっていく。

楽しく過ごしたレジャーの後に残る疲労感がしばらく覆い被さってくる。

それは前述のいくつかの選択肢のどれを選んでも。

そこに自分への愛がなければ。

でもそんなこと言っても、私の意見なんて。
誰かが縁の下で踏ん張らなくちゃ、みんなでグダグダになってしまう…と懸念してまた頑張る。
でもその頑張りは誰かのためにが成分としてほぼ99.99%なので評価もしてほしくなる。

でもなかなかそれは得られないことが多い。

頑張りが踏み躙られたような気分になり、捻くれる。でも捻くれてる自分も惨めになる。

そうやって自己価値をどんどんと下げていた…のは他ならぬ私です。

自分はどうしたいかをあらかた決めておく。

なので今日、我が家も久しぶりの家族揃っての日帰りレジャー、おそらく帰宅は18時頃。

微妙な時間、さてどうする?と家族のことは横に置いておいて自分会議。

どうしたいか、どこまで自分はできそうか、何に重点を置くか、そして具体案を用意するということを私のことだけを考えてやってみた。

今回の場合、急な決行で一応夕飯のメニューの目処はたっている。そして昼食は外食になる。
私は外食が続くと胃が荒れて、舌が痛くなる。
野菜も取りたい。

経済的にも、外食をすれば世の中の経済は回るけれど、我が家の財政は逼迫する。
またそれで帳尻を合わせるのも一苦労。

何より、今外食で食べたいと思うものがない。

アウトドアで今日は炎天下での動きも多い。
とにかく家で早めにくつろぎたい。

結果、決めていたメニューのを作って食べるに決定。

そしてそのメニューをより簡素化したものがこちら。

ホットプレートでチーズダッカルビ。
野菜もたくさん摂れて、
そこそこなボリュームで
あとは白ごはんがあればいい。

野菜を切って炒めて蒸し焼きして。
鶏肉を削ぎ切りにして片栗つけて焼いて。
そこに合わせたコチュジャンダレを回しかける。
仕上げにチーズをこれでもかととろけさせる。

私の希望を満たせたし、家族も満足した様子。

実際は子供達と思いの外はしゃいでアスレチックで遊んだり、アトラクションを楽しんだので帰りの車中では自宅近くまで爆睡した。

寝起き直後、微睡みながら実は「夕飯作んのめんどくさいかも〜。スーパーでお惣菜とかって言おうかな〜。」と思ったけれど、それよりも財政逼迫が嫌だったので寝ぼけながら作った。

結局無理してんじゃんという話になるところだけれど、そうでもない。

なぜなら私は追い込まれた時にこそ燃えるのだ。

私の本気を出してやろう…と静かに闘志を燃やすのだ。

この炎もたまにしか発生しない。
だからレア事案で私にとってもまんざらでもないことで、ゾックゾクするし、達成感も感じることができる。

なのでポイントは自分に愛をもったあらかたの青写真を描いておくこと。

そこからの偶然の副産物との出会いを楽しみながら。

室内アスレチック。
下から登り、1番上の逆三角形のドーム目指して。
辿り着くまでにかなり体力を要した…。
でもここでも子供達の、特に不機嫌だった娘が
楽しんでいる姿という副産物に出会えてホクホク。

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