見出し画像

なぜ国語科教員がイギリスの大学院に留学しようと思ったのか

なぜ国語科教員がイギリスの大学院に教育学を学びに行こうと思ったのか。

イギリス留学に関するブログは星の数ほどあるこのインターネットにおいて、折角ならば私しか書けないこの表題について書いてみようと思います。
(ヘッダー画像は私が留学するUCLではなく、Oxford Universityです。格好良かったのでゴメンナサイ)

さて、表題について。物事には様々な側面がありますので、Personal Statementに書いたことから書かなかったものまで、色んな角度から自分の心を描写してみようと思います。それを投影図みたいに組み合わせれば自分の心が3Dで浮かび上がってくるんじゃないかという幻想。

また、「なぜ海外の中でもイギリスなのか」「なぜイギリスの中でもUCLなのか」「なぜ修士なのか」など、書きたいことはいくらでもあるのですが、きりがないので大枠だけ。

・このまんま今の授業スタイルを定年65歳まで続けていいのかよという不安。

学部で4年間(弱)、国文学について学んだ。
大学院ではもっと教育寄りの国語を学びたいと思い、2年間、国語教育専攻で学んだ。
その後無事高校で国語科専任教諭として働き始めることができ、試行錯誤悪戦苦闘しながら5年間、現代文・古典問わず、学年問わず教えた。担任もして、卒業生も出した。自分の目指す授業というのも追求し続けて、生徒からも授業アンケートで毎回高い満足度の評価をもらえるようになった。
ただ、60歳くらいのおじいちゃん先生たちが自分のスタイルで(悪く言うならば旧態依然としたやり方で)授業をし続けるのを見て、私もこのまま同じ環境で、生徒は入れ替われど同じ教員団で同じ学校でずーっと教え続けたら、きっと化石のように同じスタイルで授業をし続けることになってしまうかもしれない。同じ授業を毎年繰り返すとまでは行かなくとも、何か自分の中にある「資源」が枯渇してしまうのではないかと危惧するようになった。

自分の中では、大学院出たての一年目のときが不器用でハチャメチャながらも面白い授業を出来ていた感覚がある。教育の「型」に囚われていなかったのもあると思うが、大学院という研究の最前線で「生きた資源」を沢山を蓄えていて、自分の中に伝えたいことがいっぱいあったからだと思う。

5年間一つの学校で全力投球し、基礎を身につけたからこそ、全然違う視点から教育をもっと学びたい。
全然違う視点ってどこだ。博士か?別の高校か?東大か?いや、日本で多くを学んできたからこそ、世界で自分の培ってきたものを戦わせながら、全く違う視点を手に入れたい。
ならば、教育学世界一の大学院に行って、世界中から集まるトップの人たちと、教育について多くを議論しながら、多くを学びたい。

「教師たるもの学び続けなくてはならない。学び続けない教師に教える資格はない。」

これは私が人生で出会ってきた素晴らしい教師たちが皆口を揃えて言うことである。

・Uniqueな存在というのは価値である。

5年間勤めてみて思った。
誰もできないことをする≒誰もしていないことをする、というのは価値ではないか、と。
帰国子女の英語教師は時々いる。
海外大学院出身の英語教師も多分時々いる。
でも、海外の大学院で教育学を学んだ国語教師は多分いないだろう、と。
(ちなみに、知り合いで英国大学院で博士を取った国語教師がいるので、Only Oneではないことは既に知っているが…限りなく少ないとは思う)
ならば、私が教育学におけるWorld Leading Universityで学び、全く異なった視点から日本の国語教育を更新しようとすることは、何かUniqueな価値を持つ行為になるのではないか。

国語は日本の文学や語学を扱う科目なのだから、当然内向きの教員が多いのである。
当たり前だ、だって扱う内容がDomesticの極みなのだから。
ただ、考えてみて欲しい。
日本文学を教える「国語」の授業は日本にしかないけれども、各国に「国語」の授業はあるのだ(科目名は'Language Arts'だったり'Literature'だったりするが)。
であれば、他国の「国語」の授業の教育手法、カリキュラムなどは、当然参考になるはずだ、というのが私のイギリス大学院留学の根本にある仮説のようなもの。

・生きた授業がしたい。

2018年1月、私はヨーロッパにいた。
学校の海外研修引率で、PolandはKrakowにあるAuschwitz Concentration Campを見学した。悪名高い「アウシュヴィッツ」である。
そこで出会ったのが、アウシュヴィッツ初の外国人ガイドであり、アウシュヴィッツについて本も書かれている中谷さんである。

彼は言った。

ナチスによるユダヤ迫害の問題というのは、今の世界にも無関係なことではない。
発展していたドイツが悲劇を起こした背景には、第一次大戦の多額賠償金による経済低迷があったこと。他国がユダヤ迫害を止めなかったこと。
今世界で難民が溢れていつつも、自国の利益や治安の観点から排他的・不寛容な国が多いこと。民族的同質性の高い日本。北朝鮮からの難破船を「怖い」と感じてしまう日本人。
不況から自国ファーストに走る世界において、他者迫害、排他的で不寛容な言動・政策が多いこと。
ホロコーストはある非常に特殊な状況で生まれたわけではなく、こうした日常の延長線上にあったこと、などを教えてもらった。

アウシュヴィッツをただガイドするだけでなく、アウシュヴィッツを媒体に現在の社会について「授業」をする中谷さんを見て、こういう「生きた授業」がしたいと思った。
これだけの問題が世界に溢れていながら、ひどくミクロな視点で、狭い学校に籠って、狭い視野から授業をし続けていた自分を反省した。
教室空間にいながらも、もっと広い世界を生徒と共有したい、そう考えた自分は帰りの飛行機に乗る前にはもう海外大学院のことについて調べ、既に第一回のIELTS受験を申し込んでいた。

・キャリアを選んでいける自分で在りたいという思い。

現勤務校はよっぽどのことがないと定年65歳までクビにならない超ホワイト学校だが、いつかやむを得ない事情や何かで転職を余儀なくされることもあるだろう。自分が別の環境に行きたいと願う日も来るかもしれないし、クビにならなかったとしても学校自体が倒産したら元も子もない。
常日頃から思うのは、「会社から選んでもらっている存在」としてだけで働いているのではなく、「会社を選んでいる存在」としてもいたいということ。
「ひどい職場だ。でも転職できないから居続けるしかない」とは絶対なりたくない。
「様々な可能性がある中で、でも今この環境が自分にとって一番素晴らしいのだからこの環境で働く」というようにありたい。
だからこそ、教師としての腕は常に磨き続けていきたいし、いつまでも勉強していきたいし、いつも自分をより良い存在にしていくために努力していきたい。

・人生一度はヨーロッパに一度住みたい。

卑近な理由。アメリカは幼少期二年間住んでいたので、特に惹かれない。
ヨーロッパ憧れもある。

それに、前述のヨーロッパ研修のときに、ヨーロッパの密集感、陸続き感が良いなと思った。
他ヨーロッパのニュース、中東のニュースが普通にテレビで流れる。難民のことが、陸続きなだけに、自分たちのこととして報道されている。
イギリスは一応海峡で隔たっているけれども、遠い島国である日本と違って、中東・アフリカ辺りの情報が「自分事」として流れることにとても惹かれた。
(日本にいながらも、米英仏のニュースなどスマホアプリ等で入手できるし、情報化社会なのでいくらでも情報は取りに行けるが、そうした情報が「より身近」であるということ。自分たちの「生活の中」にあるということ。)


ざっとこんな感じですね。
なんだかまだ一面的な感じがします。「なぜイギリスか」「なぜUCLか」「なぜ教育学か」なども書かないと、表層だけになってしまった気がします。
次、体調が良くなったら上記内容をまた書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?