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知らないとヤバい⁉常識を疑う3つのポイント

〇〇ガチャっていうけれど…

最近、親ガチャ、上司ガチャなどというように、〇〇ガチャという言葉をよく聞くようになった。

人間関係をガチャという表現でまとめることに少し違和感を感じるようになった。

こういう人間性については、しょうがないとか、代えがきかないとあきらめてしまっていたからである。

子供のころからあきらめることが正解だったと思い込んでいたけど、大人になってもやり続けていると、自分の手持ちのカードがすごく少なくなっていることに気づいてしまった。

自分とは関係ないと思ってしまって、うらやましいとか、いいなぁ~って感じることはなく、実際には関係のない世界の話だと思っていたから。

辛いと感じない方が楽だったし、いいなぁ~とか、ずるいなぁ~って思ったとしても、私の手元のカードにはないし、ないならないでいいやって感じていた。

そう思っていたからかもしれないけれど、一種の処世術になっている。

最善の選択肢を選んでここにきてしまったと感じることも多くあったから。

未来に向かって旗を立てて、そこをキャンプ地とするために向かったことがなく、実は目の前にあったことに集中して選択をしてきたからだ。

もちろん不安があり、周りを見るといろいろなことを考えてしまったり、あっ!うらやましいなぁ~ってなるから、周りを一切見ないでまっしぐらに進んだ。

夢集中システムがあったから

目の前にあることを極めることに集中して、周りを振り返らず、見向きもせずに進んできた結果、夢集中システムにありついたかもしれない。

周りをうらやむことなく、目の前にあるカードで勝負をしていくうちにレベルが勝手に上がってきたから。

行先を決めないといけないけれど、決めずに進んだのは自己責任である。

行先を決めて、逆算して、階段を1段ずつ上り詰めていくことは、すごく胆力も忍耐力も必要になるわけで、周りからはストイックすぎる人といわれる。

このような人については、努力ができる人であり、運と努力を点数化して、運が10点、努力が10点とした場合、10点満点の努力ができる人なんだなぁ。

たまたま運がなかったり、戦う場所を間違えて選択してしまったために、才能が開花することはなかったかもしれない。

戦う場所を違うところへ持って行ってあげると、才能が開花して成功することもよくある。

10点満点の努力ができる人っていうのは、最適な環境下に置かれると、一気に花を咲かせることができる、すごい人たちなのだ。

疑う力と嫌だという気持ち

人と同じことをやっていてもしかたないし、奇をてらって大胆なことも選択肢は私は全然持っていなかった。

持っていたのは疑う力と嫌だという気持ちである。

今さらやり方を変えることができないけれど、未来をいい方向にすることはできたのかもしれない。

周りにいろいろな人たちがいて、その人たちから支えてもらったからできたことであり、1人で単騎でやっていたら、到底できることではなかった。

あれやっています、これやっていますとか、私すごいんですとか、私幸せなんですとか言っている余裕も、承認欲求もなかった。

自分自身が幸せですとか、すごいんですいうことよりも、他人をうらやまない、他人に期待をしていないことで逃げ回っていたのかもしれない。

言い換えるのであれば、自分を守るための自己防衛の手段でしかなかったのかも知れません。

自分で自分に呪いをかけてしまって、しょうがない、あきらめるしかないと言い聞かせてきて、戦う場所が変わることはすごくリスクだし、大きな不安でもあり、すごく大変かもしれないけどやってみたら案外にできることも多い。

仕組みや流れがわかってくると自分でもやっていいと、自分自身の中で許可が下りるようになった。

あとはやるだけだし、望んでよしということから始められるので、すごく楽しく、面白く、おかしくチャレンジができるようになった。

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