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統べて良し

曇りの日が続いている。
なので、気持ちも今ひとつ上向かない。
しかし、天気は人間によって変えられるものではない。
(中国などは人工雨などを降らせたりするが)
体調にしても、その朝、起きるまでは分からない。
いい日もあれば悪い日もある。
メンタルも同様。
うつや不安障害などを抱えておらずとも、
いい日もあれば悪い日もある。

そういう“統べて”を含めて、それはその人にとって
「良し」ということだ。
あえて「全て」ではなく「統べて」と書いたが、
僕には、そう表現するのが一番相応しい気がする。

決して運命論者ではない。
自分にとって、良くないもの、害を与えられたこと、
生まれ持って、ADHD、ASDを抱えていること、
長女との関係がうまくいかず、約10年に渡って
懊悩してきたこと……..それは統べて自分にとって
経験すべきことだったのだと、今は思う。

もっと至近な例でいうと、僕は食べたいものを
食べたい時に摂っている。
栄養学とか、カロリーとか、ほぼ気にしない。
世の中には病的なまでに健康に気を使い
食事、運動などをしている人がいるが、
どんなに気を配ろうが、50歳前に亡くなる人も
いれば、事故等で全身麻痺になることもある。
逆に、酒、タバコをずっと続けていても
90歳まで生きる人もいる。

どんなに耐えられないことが起ころうとも、
それは起こるべくして起こったことだし、
現実は変えられない(変えられることもあるが)
であれば、統べてを受け入れ、また手放してゆく
ことが肝要だ。
スピリチュアル系などで「手放す」という言葉は
よく出てくるが、なかなか出来ることではない。
何か起こった時に、それに囚われ、常時そのことを
考えてしまうのが人間だ。
失恋、浮気をされた、近親者の死、子どもの問題など。
現実的に、近親者の死などであれば、手放して
何もしない訳にはいかない。
葬儀、火葬の手続き、知己の人への連絡などあるが
粛々とやっていく以外にはない。
悲しいし、後悔もあるし、「耐えられない」と
思うかもしれないが、全て(統べてではなく)は
時間が解決してくれるものだ。

手放さずに、自分で握っていると、辛さは
いつまでも消えないし、他者に対しても
恨みの感情などが生まれる。

受け入れること、そして手放すこと、
そして「統べて」は、自分にとって
「良し」とすること。
このことを根底から理解、実践するならば、
苦しみの半分以上はなくなると思うし、
仏教などの真髄も、そこにあると思う。
そして、「今ここ」という気持ちのあり方も
常に意識しておきたい。

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