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001.ただ愛をたしかめたくて。

結婚すれば、孤独じゃなくなると思っていた。
パートナーができて、子どもができればきっと、ずっとしあわせな気持ちで、永遠に心の平和を感じて生きることができると思っていた。

けれど現実はそうではなくて、誰とともに生きててもやっぱり誰だって1人なのだと思う。

わたしはもともとが一匹狼タイプで、感情の振れ幅が大きくて、甘えベタな人間である。
考えてみれば、今の夫と出会う前につき合った人とは長くても1年ちょっとだったし、友達関係もベタベタした関係を好まず、いつもちょうどよい距離感をたもとうとしていたように思う。

そんなわたしが家族をつくり、ひとつ屋根の下でともに暮らすことは、毎日がフロンティア開拓のようなものなのかもしれない。

満月だからなのか、周期的なものなのか、ここ最近どうしてもイライラしがちで、つい家族に当たってしまう。誰も悪くないことはわかっていて、ただわたしが自分のメンタルを整えることができていないだけなのに、どうしても自分を止めることができない。

今日こそは笑顔ですごそう。せめて朝の挨拶だけはちゃんと目を見て、1日を気持ちよくスタートさせよう。そう思っていても、つい感情が先行して、フキゲンな態度を取ってしまう。

できていることよりできていないことを咎めたり、いつもは気にならないちょっとした汚れが気になったり、子どもを思い通りにさせようととやかく口を出したり。

こうなってくるともう、そこにいるだけで迷惑な人間と化して、「今のかあちゃんには寄るな触るな」の腫れ物扱いになるのはいつものことだ。そんなときはいつも、「わたしってやっぱり人と一緒に生きていくことに向いてない人間なんだな…」と思ってしまうのである。


ダンスインストラクターを心の本業としつつ、現実的な生計をたてるための仕事としては農業を主体として生きている。今の時期から秋にかけてはりんご農家さんでお手伝いをさせてもらっている。

少しずつ咲きはじめたりんごの花々に囲まれて、悠々とそびえ立つ浅間山を眺めながらする仕事はしあわせそのものだ。

3~4mもあるハシゴを登ると、山麓の田園風景が視界の一面にパーっと開けて、奥のほうには八ヶ岳連峰もも見渡せる。こんな贅沢な仕事はないと、ハシゴを登るたびにため息をつきたくなる。

空は青くて、小鳥の鳴き声が時々聞こえて、風がやさしく吹いている。

トゲトゲとした気持ちを抱えたまま職場に来たけど、かけっぱなしのラジオから流れてきた音楽に耳を澄ませていたら、そんな気持ちが少しずつほどけていくような感覚になった。




「あれして!これして!」「あれヤダ!これヤダ!」と、毎日のように容赦なく畳みかけてくる子どもたち。
互いの割当られた業務をこなして、家を回すだけで精一杯の夫婦関係。

わたしはただ母としてあなたたちの望むお世話をするためだけの、お手伝いさんのような存在なのかい?

わたしはただの相方として家族を運営して、1日の業務回して必要な経費を稼ぐためだけの存在なのかい?

母でなくても、妻でなくても、大人でなくても、ただ“わたしがわたしである”というだけで価値があって、必要とされてて、愛されているのか。それを確認したくて、定期的に暴れたくなるのかもしれない。

大人も子どもも、結局同じなのだ。
ただ甘えたくて、抱きしめてほしくて、愛されていることを確認したくて暴れてるだけ。

そう考えると、なんだか自分がかわいい奴に思えてきた。

明日こそ。明日こそは笑顔ですごそう。
ちゃんと目を見て、「おはよう」って言おう。
「愛してるよ」という言葉に替えて。




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