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第三章 場所の「一転」
「一転」と「転落」 昨日の意識と今日の意識、そして私と汝の「個々独立」を肯定的に語ることのできる立場を西田はすでに『自覚に於ける直観と反省』そして『芸術と道徳』の段階で獲得していた。そうすると、この地点から後の「私と汝」を眺めたとき、一体どれほどの変化があるのだろうか。
その変化はけっして小さいものでなかっただろうことは予想される。よく知られているように、西田は『自覚に於ける直観と反省』で到達し
第二章 『自覚に於ける直観と反省』にみる他者論の兆し
『善の研究』における他者 以上『善の研究』を概略したが、ここに他者論はあるだろうか。「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである」と言い、個人の意識の統一と社会の統一、人類の統一、宇宙の統一までをも同一ととらえる『善の研究』において、個々人の関係などという問題は無視されているようにみえる。善という対他的とも考えられるテーマも、『善の研究』では「自己の発展完成」と捉えられているのである。
もっとみる第一章 『善の研究』の西田
哲学と倫理と宗教を一書に「統一」する何か 西田幾多郎の哲学のどのような側面について研究するにせよ、まずはじめに『善の研究』を概略しておかなくてはならないだろう。西田の哲学のそもそもの狙いを明らかにするためには、この出発点たる『善の研究』の内容を押さえておかなくてはならない。その本文はこのようにはじまる。
経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのであ