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#花束みたいな恋をしたなんて言わないよ絶対〜

どーも、えつこです。

ほぼボヤキノート。すみません。
けど言いたい。深夜のツイートでもなく、インスタの黒背景のストーリー(親しい友達)でもなく。

親しい友達限定のお決まり病みストーリー(自作)

私とうとう「花束みたいな恋をした」見たんですよ。ネトフリで。
なんか暇だったのと丁度同棲している彼氏が家族旅行で家にいないので。

この映画はカップルで観るなと言われていたので一応気をつけました。公開は2年くらい前なんですけどね。

※一応ネタバレ?ぽくなるので観たくない方はそっ閉じしてください。

歌めっちゃ流行りましたよね。
ポリンちゃん。この前炎上してましたけど。

一応知らない方向けに言うと、大学4年就活期〜4年程度の文学系カップルのラブストーリー。
まあ誰しもが通る道のやつです。都内の大学生なら尚更。途中途中に「あれ?これ私かしら?」みたいなね。全員が思ってることあるんよね。
こんなに全員が共感するなら私オリジナルの心なんて無いのかなとか思うくらい。

たまに流行るドラマや映画って、実際にある映画や土地や人名出してきますよね。
あれで共感グッと上がるしその映画の後ちょっと流行る。気がする。

けど本当にあるものとか音楽とか使ってるのでなんかお金かかってそう。逆にスポンサーとしてお金もらってるのかな。

映画の感想としてはあーねの一言に尽きますが、私はいつも引っかかっちゃうんですよ。
「エモい」の作り方に。

前のノートでもエモいについて愚痴ってましたが今回はエモいのオンパレード。

だいたい家は京王線/井の頭線、もしくは中央線。たまに三茶。
んで文学に詳しい。
あれ個人的にすごく変な気持ちになります。
その辺住んでると勝手に詳しくなるのか?
もしくはその辺住んでいるから詳しくないと、と言う義務感?

本が先か、住む場所が先か

菅田将暉の就職後の文学離れ見てて思いましたけど、本当に皆そうなりますよね。

あれ、好きなものってそんな変わるか?と疑問。まさに映画の中の有村架純状態です。()

私は文学自体は万人が平等に楽しめる魔法だと思ってます。
だけど文学が好き、と言っても純粋に好きな人間と手段として好きな人間が居ると思っています。

後者の手段として好き、とは、個人的にですよ、個人的には、
お金があって遊ぶようなことはできないが、私は文学に造詣が深く人間性が高い、と思いたい
のではないかと感じてしまいます。

本当は夜のクラブで女の子とテキーラでも飲みたいし、海にドライブとか行っちゃいたい。
けどお金と友人とチャンスがない自分を認めたくないから私は他の人とは違うの、と文学の鎧を纏ってる。

西麻布、六本木が庭とか言ってみたい

みたいなね。
まあそんな人が居たからそう思ってるだけです。主語が大きかったかも。すみません。

菅田将暉は純粋に文学が好きだったかもしれないけど、仕事、お金、の毎日でいつの間にか文学への愛を失ってしまった。
自己啓発の方が楽しいみたいです。

けどこれって本当にあるあるだなと思っていて。新進気鋭の若手起業家とかって小説読んでるイメージないじゃないですか。ドラッガーの方がイメージがつきます。もちろん全ての人ではありません。

お金稼ぎと文学ってすごい反対のところにいる気がして。
文学は自分との対話、仕事は他人との対話。

やっぱり仕事に集中すると自分との対話は面倒になるのかな。
けどそういう人こそ自分との対話を大事にしてほしいですね。

文学を純粋に楽しめることは心が豊かになります。いくら稼げても心が貧しいことは悲しいです。

あれ、本当はエモいの作り方のボヤキ予定だったんですが文学について思ってたこと話しちゃいました。

けどまあこんな感じに観てて思いました。(ざっくり)
さちあれ!

では。

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