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「子どもの姿に寄り添う」の先にあるもの

月に数回だけれど、週末ベビーシッターをするようになって、「子どもの視点っておもしろいなぁ」と感じるとともに「子どもの姿に寄り添う」ってことについて、あらためて考えるようになった。


しゅんちゃん(3歳)とカエル時計

実際に子どもたちとどんなことをして過ごしているのかというと、わたしの場合、メインは「遊び」であることが多い。
おままごとや戦いごっこ、粘土遊びに折り紙、工作…あとは一緒に絵本を読んだりして過ごす。

この日は、しゅんちゃん(3歳)とトイレットペーパーの芯と色画用紙を使って腕時計作り。

真ん中手前と奥の時計がしゅんちゃんの作品。

時計の概念を全くもって無視したカエルのフレーム(真ん中奥)がなんとも斬新!こういう発想に触れられることがとても嬉しい。


ゆうまくん(3歳)と「アリさん」スケッチ

室内で過ごすイメージがあるかもしれなけれど、1日ぶっ通しで外遊びを楽しむこともある。
おいかけっこにかくれんぼ、なわとび、ボール遊び、虫取りに泥団子作り…

写真は「アリさん」スケッチの様子。

じゃん!!

特徴めっちゃ捉えてる!すごいなー!


ゆうまくんとアゲハ蝶

外遊びのエピソードをもうひとつ。

ある夏の日、アリさんスケッチのゆうまくんと一緒に虫取りを楽しんでいると、草むらでアゲハ蝶を見つけた。

虫取り網を構えて、そーっと近づいてみる。

あれ?全然逃げない。
ツンツンしても、全く動かない…

「死んでる?」とゆうまくん。
「動かないね」とわたし。

するとゆうまくんは、動かないアゲハ蝶を大事そうに虫かごに入れ、それから草むらの葉っぱもちぎって入れた。

「どうするの?」と聞くと、
「緑の葉っぱと一緒にカゴに入れておいたら生き返るかもしれない」と言う。

こうやって手持ちの力でゆっくりじっくり世界と関わっていく子どもたちを見ていると、なぜだか心がひろびろしてくるから不思議だ。


ベビーシッター=子どものお世話をする人?

ところで、そもそも「ベビーシッターとはなんぞや」という話なんだけど、ものの本によれば「ベビーシッター」とは「保護者の代わりに子どものお世話をする人」を指すのだそう。…うーむ。なんだか違和感を感じる。果たしてわたしは「お世話する人」なのか…?

違和感の原因は「お世話する人」という言葉に込められた、いささか上から目線な響き、「面倒みてあげます」的なニュアンスにある。

そりゃあもちろん、子どものトイレや食事、寝かしつけなんかのサポートをすることもあるわけだけど、むしろ、子どもたちから与えてもらうこと、教わることの方が多いくらいなのに、と思う。面倒みてもらっていると言っても過言ではないんじゃないか。


ゆうまくんと「しおだまり」事件

例えば、こんなことがあった。それは、水族館で過ごした日のこと(その日はあいにくの雨模様で、外遊びの予定が急遽水族館へ変更になった)。

朝9時半。水族館の最寄駅で待ち合わせ。お母さんからゆうまくん飲み物や着替えの入ったリュックを預かり、いざしゅっぱーつ!!

10時。水族館到着。
大好きな“マンボウ”を発見し、「でっか!!」「わーこっち向いた!マンボウかわいいねー」とテンションの上がるゆうまくん。その後は、うみどりの潜水やペンギンの餌やりを観察したり、サメやエイに触ったり…

と、ここまでは順調だったのだが…。
事件は夕方の「しおだまりコーナー」にて起きた。
このコーナーは、ヒトデやウニ、貝など磯の小さな生き物に実際に触れるとあって、子どもたちに人気のスポットらしい。この日も長蛇の列ができていた。

「ありゃまー並んでるね」 当たり前に最後尾へ並ぼうとするわたし。ゆうまくんの手をひこうとする。

するとゆうまくんは「おそくなるからいやーーー」と言って、最前列の方へかけていってしまった。

仕方なく追いかけていくと、前から3番目あたりにちゃっかり割り込んでいる。

あちゃー、こりゃまずいな。みんな順番に並んでいるのに。

私はゆうまくんの脇を抱え、一旦列から出させる。

「ぼくもチクチク(ウニのこと)さわりたい…」
「わかった、でもね、チクチクを触るには並ばないといけないんだよ。わかる?」

首をブンブン横に振るゆうまくん。

「おそくなるのいや!おそくなるのいや!」と言ってきかない。

「みんな並んでいるでしょ?ほら、ゆうまくんも一緒に並ぼう!」
「いやだっていったらいやだーー!!」

ダメだ。もう何を言っても届かない。

どうしようもなくなってしまったわたしは、嫌がるゆうまくんを抱き抱える形で最後尾へ戻る。

離せと言わんばかりに暴れるゆうまくん。
やはり力ずくはまずかったか。

…とうとうギャン泣きされてしまった。

まじかー…。いやしかしこの状況いったいどうしたらよいものか。こっちが泣きたい気持ちになってくる。

困り果てていると、ひとつ前に並んでいたママが、近くの池を指差し「ほら見てー!“ボラ”がいるよ〜」と、ゆうまくんに向けて声をかけてくれた。

一瞬にして“ボラ”へ気をとられるゆうまくん。見ると、すっかり涙が止まっている。さっきまでしゃがみ込んで泣いていたのに。

ママさんお見事すぎる…!!

そんなわけで、この日は帰りの電車で一人大反省会を開催してしまった。

「子どもの気持ちに沿う」ことを意識してきたはずなのに、とっさにわたしの口から出てきたのは、自分を優先した言葉だった。

「なんとかこの場をおさめなくちゃ」と無意識にわたしの都合で動かそうとしていたことに気づき、そんな自分にギョッとした。

「ルールだから、みんながそうだから」だなんて自分が一番言われたくない言葉なのに…。

そろそろお母さんが恋しくなる時間だったのかもしれないとか、そういう彼の背景にあることをもっと想像すべきだったなーと思う。


「子どもの姿に寄り添う」

言葉にするとシンプルだけど、思っているよりずっと奥が深そうだ。心の体力をうんと使う。

「あの時の判断は正しかったんだろうか」
「もっと違う言葉がけがあったんじゃないだろうか」

子どもたちとの関わる中では、発見や喜びと同じくらい、考えさせられたり葛藤もする。

「でも」なのか「だから」なのか、
ひとつひとつの場面に丁寧に向き合いながら、子どもたちと色んな気持ちを共有できたら嬉しいな、と思う。

なんというか、子どもたちとは「よ!相棒!」と呼び合えるような関係性でいたいのだ。

さーて、次は何して遊ぼうか!

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