見出し画像

エコとエゴは両立するか?

消費税10%時代になったら、エコ格差が生まれる?

地球環境について考えようという動きが世界的に広がっている。温暖化、海洋汚染、大気汚染、森林伐採など、地球環境が直面する問題を少しでも減らしていくために、私たち一人一人ができることはなんだろう?

アメリカでは飲食店でプラスチック製のストローを配ることを終了した。日本のファミレスでも少しずつ、そういう店が増えている。マイカップやマイ箸を持ち歩くことが、意識高くカッコいいという認識も広がってきた。

自分の半径5メートルのことだけを考えて暮らすことは、もはや時代遅れの生き方で、これからの時代は、世界や地球など大きなスケールを念頭に入れつつ、日々を過ごすことが好ましいのだろう。

私たちの身の回りを見回して、毎日使っているシャンプーやランドリーの洗剤や、衣服なども、地球環境にやさしい原料や素材で作られたものに切り替えることが必要だ。たとえそれが今まで使っていた物よりも値段が高くなっても、それで環境破壊を食い止めることに繋がるのなら、買う価値はあるのだろう。

実際、私の周りでも、そのように日常レベルから地球環境にコミットしている人々がいる。そして、彼らと同じくらい、地球環境にコミットしていない人々もいる。そして私は正直に言うと、コミットしていない人々の方により深く共感するのだった。

エコをめぐって二極化する私たち

10年ほど前に私が知り合った人は、3人のお子さんを抱えて、旦那さんの実家で旦那さんのご両親を含む7人で暮らし、週に6日、スーパーでレジを打っていた。私が彼女と知り合ったのは、テレビ番組のエキストラをやるというちょっと変わった仕事をしていて、そこにエキストラとして一緒に出演したことがきっかけだった。週6でスーパーに行かなくてはならないから、テレビ局に来れるのは週に1日だけだと彼女は言い、そこまでして働く彼女のガッツに、私は圧倒された。

彼女は7人家族のせいもあって、つねに質よりも量と価格を重視していた。私も当時はお金がなかったから、彼女に安く買える店を教えてもらっていた。H&Mや Forever21などのファスト・ファッションが日本に上陸したのもその頃だった。3800円のスプリングコートに当時は喜んだものだったが、それから時が経ち、今はファスト・ファッションは途上国の労働者を搾取する労働体制だと言われて「安い服は買うな」というムーヴメントも広がった。 

服に限らず、友達はプラスチックのカップやトレーを、壊れるまで使い続けていたが、それは家族を思う節約のためであって、地球環境のためではなかった。彼女の口から地球や世界などといった、スケールの大きな話が出たことはなく、私はそんな彼女の半径5メートルを必死に守って生きている姿を尊敬してもいた。

日本が豊かな国だという古い幻想

「安い服は買うな」のムーヴメントを全面否定するわけではないが、その運動の背景には、日本は物を粗末にしてしまうほど物資にあふれた豊かな国で、途上国は貧しい国々であるといった概念があると思う。しかし今の日本では途上国に負けないほど厳しい生活をしている人はいるし、そういう状況の人なら、安い服でも粗末に扱うどころか、大切に着続けているはずだ。実際、私もそのひとりである。3800円で6年前に買ったスプリング・コートを今も大切に着ている。それを買った当時の自分を忘れないために、そしてそれを縫製してくれた遠い国の人に感謝するためにも、これからも着続けるつもりだ。

エコという言葉は、今の時代、じつはデリケートな言葉かもしれない。地球環境を守ろうという高い意識を持ってする人と、生活防衛のためにする人とでは、普段の生活に格差がある。だからたとえば、物を捨てないという行為ひとつでも、地球環境を思ってそうする人はエコでも、節約のためにそうする人はエゴではないか?と思うこともある。エゴも結果としてエコになるなら良いのかもしれないけれど。

消費税10%になったら、ますますこのエコ格差は拡がっていくだろう。高いけどオーガニックで環境に優しい洗剤と、安くて海を汚す洗剤。喜んで高い方を買う人と、安い方を探して買う人との間に、言葉は生まれないのかもしれない。「安い服は買うな」ムーヴメントも、ほんの一年後には貧困差別だと呼ばれてしまうかもしれない。どんな時代になるか分からない。だからこそ、言葉がますます大切になってくると思う。エコを呼びかけるときに、その背景に、そうしない(そうできない)人への批判や、自分たちの豊かさを前提とするような言葉遣いにならないように、最大限の配慮をするべき時代がやってくるような気がしている。

サポート頂いたお金はコラム執筆のための取材等に使わせて頂きます。ご支援のほどよろしくお願いいたします。