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診察とカウンセリングの記録(4/9)

文章打つのに時間がかかってしまいました。
なんて言っていたか曖昧なところがあります…
今週の診察とカウンセリングの記録です。

以下、診察からです。

『どうでした?』
「朝の不安感がちょっとと、夕方の倦怠感が強い1週間でした。日中は、もうだいぶ落ち着いて過ごせてて、寝ないで起きていられる時間が多かったです。」

『睡眠はどうです?』
「エスゾピクロン毎日飲んで、1時間半くらいで寝られています。」

『食欲はどうですか?』
「食欲は、あまり、食べるようにしているんですが」

ここ最近、ちょっと体重が落ちてしまいました。


以下、カウンセリングです。

『どうでした?』
「あまり外出とかはできず、ゆっくりすることが多かったです。」

『ゆっくりできたんですね。』
「なんか何もできず、ぼーっとしてました。」

『いい意味でなにも考えてないのかもしれないですね。今まで、身体を休めてるけど頭は色々考えごとしちゃってたりしてたと思うので』

「職場に診断書を提出してきたんです。そのときに、異動一覧も見せてもらったんですけど…」

「同じように休職して異動になっているひとが、私以外に5人もいて。4月だから異動しているひともたくさんいて。」

「鬱になって休職したことって、自分にとってはものすごく大きなことだけど、人からしたら大したことないよなぁと思いました。」

『それはすごい考えが変わりましたね。』

「前回カウンセリングのとき、顔色を伺うって話をしたと…思うんですけど。顔色を伺うって出来ないようにしたいですけど、分からなくて…」

『今、ひとと関わってないから、練習ができないので自信が得られないと思います。復職して、練習してから実感が得られるのかな。』

『今、あまり人との関わりがないと思いますけど…お母さんとの関係とかはどうですか?顔色を伺うようなことありますか?』

「最近、母との関係では、とくに気を遣ったり顔色伺うようなことはないです。」

『元々、お母さんに対して顔色伺うことはありました?』

「そうですね…ありました。子供のころは、母から愛されていないと思っていたので…いい子でいないといけなかったから…」

「愛されてないって子どもの頃の気持ちが、なくなることはないと思います。いまの母との関係が、いい関係が築けて、安心できるようになりました。」

『思いが消えることはないけれど、傷が癒えている感じですかね。』


「顔色を伺うってのが、自分で理由を考えてみて…」

「衝突・嫌われることが怖い」
「いい子でいないといけない。」
「正義感を感じやすい。」

「…って理由があると思うんです。いま、会社に戻っても、顔色を伺わなくなれるとは思えないです。」

『嫌われるってのが、もう上と下の関係ですよね。相手の選り好みのジャッチ、判断による。』

ハッとしました。
嫌われるってたしかに、
相手の判断に委ねています。

深く考えず気持ちを言葉にしようと思って出た表現でした。気持ちや考えのなかに、上下や自分への自信のなさみたいなまのが根付いています。

『嫌われるって思ったときに』

『みんなに好かれる必要があるのか』
『みんなに好かれることなんで出来るのか』
『自分にだって好き嫌いがある』

『って考えると、そうじゃないと思えると思います。』

ちょっとこのへん、なんて言葉だったか覚えてなくてあやふやです。

『相手の判断によらないで、自分で自分のことを認める・受け入れるってことが必要だと思います。』

「自分のことを認めるとか、受け入れるってできないです…」

『”してこなかった”ですよね。』

カウンセラーの先生の語調が少し強めでした。

『そのことについて考えていきましょうか。』

『1日のどの時間でもいいです。その日に出来たことを3つ思い浮かべてみましょう。』

『ご飯がちゃんと食べられたとか、ペットのお世話ができた〜とかでいいんです。思い浮かべるでも、紙に書くのでもいいです。やってみましょう。』

『自分を受け入れるって、最初は出来ないと思います。でも練習していくことで、出来るようになりますから。』

出来たことを3つ書くワークは、
自己否定止まらなかった頃にやっていました。

年明けからの強い落ち込みのときに、
書けなくなり、それっきりになっていました。

また再会します。

来週は、診察だけです。



自分のことを受け入れるって話のところで、
なんだか文章を綴るのが止まってしまいました。

診察から投稿まで時間がかかってしまいました。
数日経って、いま思っていることをツラツラ書いてます。↓

1日に3つ、出来たことを見つける。

こんなことで、
自分のことを受け入れるなんてことが
出来るのでしょうか?

正直、そう思ってしまいます。


“してこなかった”

たしかにそうだと思います。
“自分を受け入れる”ってことが、
どういうことなんだか分かりません。

でも、出来たらいいなと思います。

自分を受け入れるってことが出来たら、
なにがどう変わるのかも分かりませんが、
そっちのほうが生きやすくなると思います。

私に自分を受け入れるということが
出来るのでしょうか?

それと

最近考えないようにしていますが、
私の過去の性被害についてです。


やっぱりどうしても

自分の身体が汚い
自分は気持ち悪い

って思ってしまうんです。

起こった出来事を受け入れることと、
自分のことを受け入れることは、
また別のことだとも思います。

汚い、気持ち悪いという感情は、
一体どうしていけばいいんでしょうか。


悲しい、憎い、怒りなどの感情は、
いつか実感を持つときが来るんでしょうか。

この傷口は、
薄れても消えることはないのだと思います。

いまは傷口が直視出来ない状況で、
傷口を確認するすべがありません。

その傷口が、
瘡蓋になっているのか、
まだ生傷のままなのか、
それとも膿んでしまっているのか。

分かりません。
分からないから、気持ち悪くて怖い。


解決をすることを、今は置いておこう。

そう思いました。
そう思っていますが…

この傷口について、
なにか好転しているようには
どうしても思えないのです。

感覚として、
性被害について
無意識のうちに、
無理やり気持ちや考えに
蓋をしているような気がします。

うまく表現できません。

家出るときに、
なんか忘れ物している気がするな〜
って感じを無視して家を出ている感じです。

忘れものが大切なものが、
大したことないものか、
忘れものなので分かりません。
でも、忘れものは忘れものなんです。

うまく表現できません。
何言ってるのか自分でも分かりづらいです。

ただ、問題の解決を
先送りしているだけでしょうか。

大したこないんだって思って、
性被害を矮小化したくありません。

それは自分に対して、
してはいけないことだと思います。




いや、考えるのやめよう。

そんな感じの繰り返しです。

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