東京他人物語 「私は東京にみずうみを持っている」

上京のタイミングは、就職だった。
地元の企業は一つも、受けなかった。
やっと、自分の人生を手に入れたと思った。

自分は、割り切って、何事も取り組める人間だと思っていた。
けれど、それは間違っていた。
あきらめていたことを、やろうと思った。
新卒で入った会社を一年で辞めた。
何かを自分からやめるのは、これが初めてだった。

ポジティブで、正当な理由なはずなのに、不安でどうしようもない夜があった。
「所詮お前は逃げた」と、正規雇用絶対主義、上場企業崇拝の過去の自分や、被害妄想でできあがった他人の声に、責められている気がした。
着々と立派な社会人になっている同級生たちからは、変人扱いされているんじゃないかと、悲しくなった。
たとえ変と言われたとしても、それは褒め言葉だよって、思えるほどの自信もなかった。

前よりも楽で、残業もなくて、毎日同じ時間に退勤できるのに、
私は今楽しいはずなのに、
何故かいつも脳みそが疲れていた。
しっかりしている私、はもうどこにもいなくて、他人に迷惑をかける人間、に落ちぶれた気がした。
ゴミの日に、ゴミが出せなくなった。
夜眠れなくなったかわりに、トイレで5分だけ寝たりした。
電車で泣いた。
自分だけ、東京で取り残されている気がした。

たくさん歩くようになって、いろんな場所に行った。
いろんな人たちに会った。
いろんな場所で、いろんな人たちに。
たくさん歩くことは、いいものだ。
私は、かつての私よりも、私らしくなっていた。話したり、作っているものを見せてもらったりした。
そういう人たちは、みんな必ず、ひとつずつ、みずうみを持っている。
わたしもその仲間になりたい、と強く願った。
そうするべきだと強く思った。

東京にみずうみを持ちはじめた頃。
少し前の、とおい昔のことを振り返った。
傷ついたことや、傷つけたこと。
自分の浅はかさや、愚かさ。
変わったことと、変わらないこと。
悔しかったことと、やり遂げたこと。
知ってよかったこと。知りたくなかったこと。
それらは、ひとつ残らず全てに意味があるし、
ひとつ残らず愛してあげるべきだと思う。
例え、それがくそみたいな過去だとしても。
いつだって私には私が必要だし、
過去の私を愛してあげられるのは、
たぶん私しかいないのだから。

私のみずうみは、今日も、しずかに、おだやかに、ここ東京で、波紋をえがいている。

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