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【発達障害児】私が救われた魔法の言葉【精神疾患】

長男が風邪をひいたので、小児科に行きました。
「ぐるぐる星人〜!」と言いながら、診察室の回る椅子に座る息子。
おふざけしながら診察を受けていました。
薬の話になり、「ストラテラ(ADHDの薬)飲んでるんでしたね?」といったことから今日のお話は始まります。


決して母スキルが低いわけではない

ADHDの薬を試して辞めた話

「ストラテラ飲んでるんでしたね?」と言われて、そういえばそんなこともあったなあ!と思うくらい過去のことになっていました。
そうでした、飲んでました!

が、あまり効果を感じなかったんだっけか…。
そんなことも忘れてしまった…が、「飲み始めてからアイツおかしいぞ?」と夫が言うのが大きなきっかけだったと思います。
ストラテラ、飲むのやめちゃったんですよね~。
夫は言うには、顔の表情がなくなってぼーっとしながらテレビ見てたところが変だそうで…。

精神科の先生とももちろん相談しましたが、「ご家族がそう言うならやめましょう」「(長男の場合)飲まなくても大丈夫」との判断だったので、やむなく中止しました。

小児科の先生の言葉に救われた

ストラテラを辞めたと話すと
「ADHDの薬を飲んでも飲まなくても成長段階に変わりはありませんが…。」と、少々不安そうな反応をされました。
そうですよね、やっぱりこの落ち着きのなさ、やっぱり大変に見えますよね~…。

ですが、最近は夫に子どもたちの世話を頼むことで上手くいっていること。
学校で支援級薦められることもなく、普通級で問題ないと言われていること。
精神科の先生にも飲まなくてOKと言われていることを話し、「それなら…」と納得していました。

そのときに小児科の先生が
「大変なのはお母さんの前でだけ、とよく聞きます」
とおっしゃったのでした。

そのときは「そうなんですよー!もう大変なんで最近は夫に子どものことは任せちゃってます!」なーんて軽く流してしまいました。
でも、薬をもらって車に乗り、家に走らせながら、その言葉がじんわりと私をあたたかくしてくれました。
まるで私も薬をもらったかのような、魔法の言葉でした。

そう。子どもって、おかあさんの前だと特別わがままで、とくべつ甘えん坊になるんです!これは定型の子どもでもそうだと思うんだけど…

このときの小児科での会話は、「薬を飲ませないと、お母さんが大変じゃない?」というニュアンスも含まれていました。
ここの小児科ではその場にいる看護師さんたちも一緒になって会話を聞いてくれ、「うんうん」と相槌まで打ってくれるのですが、先生と一緒にお母さんである私の心配をしてくれているようでした。

そんなことを思い出しながら、「そっか。発達の特性も母親の前でだけ強く出ちゃったりするのかな?」なんて思いました。

これまでの「違和感」を改めて思い出す

これまで「あれ?うちの子ちょっとほかの子と違うな?」「あれ?これって私がお母さんだからダメなのかな?」と思ってきたことが、走馬灯のように駆け巡りました。

そして、そういった経験、そのときの不安や悔しい気持ち。
そのすべてが、わたしの中でしか存在していない。
家族はもちろん、ママ友や幼稚園の先生、学校の先生とも共有していない。
というか、おかあさんの前でしか見せない姿なので、共有しようがないのです。

だから、あんなことこんなことが不安になった。
そう思っても、「大丈夫だよ」「みんな同じだよ」
そう言われ続けて、不安でモヤモヤした気持ちを共感してもらえないことが多かった。

共感してもらえるありがたさ

そうか…。私は共感してもらいたかったんだな。
母親である私にしか見せない大変なわが子たちの姿があることを、だれかに知ってもらいたかったんだ。大変だねって言ってもらいたかったんだ…。

「大丈夫だよ」で傷つくこともある

夏休み前に、長女の来年度について打診がありました。
4月の時点では、支援級ほぼ確定だった長女。
しかしながら、今年度の様子で判定が覆りました。

今年度の長女は定型の子のように適応でき、毎日楽しく過ごせるようになりました。
担任の先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
しかしながら、来年度の先生によってまた不登校になるのではないか…?また辛そうな長女を見ることになるのではないか…?不安は拭えません。

そしてなにより、今思えば「長女さんは普通級で大丈夫ですよ」と簡単に言われてしまうことに傷ついていたのかもしれません。

大切なのは今ではなく「未来」

わたしもずっと言われてきました。
「あなたなら大丈夫」「ちーちゃんなら大丈夫だよ」
「だって、今こうしてできてるじゃない」

どこが大丈夫なの?わたしはずっと大丈夫じゃなかったし、これからもきっと大丈夫じゃない。

わたしはずっと教えて欲しかった。分かって欲しかった。
自分が抱える「生きづらさ」は「辛い」と言っていいんだ。
「障害」と判定されなくても「辛い」って言って良かったんだ。

気のせいでも自分の努力不足でもなくて、生まれつきの脳みそのせいで仕方なかったんだ。
できないことをできるようにする必要はなくて、できることをすればいいんだ。
…というより、できないことがどんなことかもあんまりよくわかってなかった。

そんなようなことを最近やっとわかるようになって。33年間生きてきて、やっと分かって。
もっと早くわかってたら辛いことも少なかったのかなって。

そう思うと、今のうちからわが子たちには特性にあった環境で過ごして欲しいなと思うのです。




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