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骨まで食べられる、よく煮こまれた人間になりたい。

人それぞれ違うことは素晴らしく、あなたも私もこのままを認めあおうの精神が、キラキラ光る昨今。

だけどそれが一人歩きしてることもある。
きっとそう長くもない社会人生活のなかで私だって自分流にしちゃったこと。あるんだと思う。

だから最近になって、社会人始めましたな本を読みたい気持ちが高まっている。頃合いをみて何冊か購入しよう。

会社

といえば「歯車」という単語は、毎日単調な日々になりそうで嫌いなんだけど、でも歯車になるなら
綺麗に磨かれて動きの滑らかな歯車でありたい。

柄や色、素材に多少の個性をつけることはできるけど形は周りに合わせなければ機能しない。

でもそれより、会社を1つの鉢植えだとするなら、葉っぱや花として活躍する時間をちゃんと自分に設け、その次の人のために土に還って栄養を返したい。そしてまた葉っぱになる時に備えるのだ。

皆んなが違う個性を放つことは素晴らしいけれど、ちゃんと集団として機能することや

気持ちよく回ることや、

誰かのためになるそれは個性としての私でいるだろうか?あなたであるだろうか?

違うことのあれこれ全てを肯定する前には、きっとそんなところを確認しておかなければならない。

さらに例えを続けるなら、私は残るところのない魚でありたい。

ちょっと話しがイメージに偏ってしまうけどでも完璧は無理だとわかっていたって、
なるべく骨まで食べられるくらい人びとにとって嫌味の少ない人間になりたい。(味付けは個性を発揮するにしても。)
私にとって、これはかなり厳しいミッションであり、修行である。現に私は魚の頭を食べられない。内臓も苦くて食べられない。

まぁこれは、今後の人生をかけてじっくり煮こまなければならないテーマなのだ。

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