なまいちほ

1991年生まれ。絵と写真と言葉を少し。 仕事を通しての発見などをたまに書いています。

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最近の記事

くさいゴマすりをするな、香りのいいゴマをすれ!好かれる人・嫌われる人の違い

なぜゴマすりは大事? ゴマすりは大事だ、ちゃんと相手にゴマをするように。 ただし、くさいゴマをするなよ。香りのいいゴマをするんだ。 と社長は言った。 とても久しぶりにこの教えを思い出した。 社会人1年目、真っ先に教わった金言。 入社1か月程度は、毎朝社長によるお話しを授業のように聞いていて 今でもしっかり染みついているものも多い。 10年ほど働くということをして、 友人とは違う、仕事仲間とのコミュニケーションにおいて 本当にこの言葉には首を縦に振りまくりたい。 一般

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    • 【休職予防】復職1年目の現実

      とにかく伝えたいことは、休職せざるを得ない状態になる前に改善策を講じること。 生活を楽しむことを忘れないように。 でも、役割を与えて貰うことや、働くことでしか得られない栄養もある。全てはバランス…。 休職の先に何が待っているのか。ひとつの事例だけど 以前書いたものが少し人の目に触れたので 誰かの役に立つこともあったかもしれない。 でもそんなことより、私は今、私を救いたい。 2月になれば 復帰からちょうど1年が経つ。 この1年はとても苦しいものとなった。 一度空けた席には

      • ダメのレッテルを貼られるのが怖い。気づくと前のめり。有効な対処法って?

        いい加減、「良い」加減で何でも対峙できればいいのに。なんで気がつくと全力で前のめりで頑張ろうとする?真面目に人の言葉を受け取って、一喜一憂したりする? 復職後、やる気に満ちていて調子がいい!と思う時期もあったのに、今また体調を崩しかけている。 これまであまりに自由にさせてもらい過ぎて、不自由さを許容できなかったり、休んだことで「監督」から「メンバー」に変わったことが頭で分かっていても呑み込めない。1人担当が多いという不安。 そこにまぁ~しっかり育ったプライドも邪魔してくれる

        • 職場に不満・辛いことは100%つきものだけど、○○があるうちは辞めないと思う。

          さて私、会社員人生で3度の転職と、2022年~23年には休職・復職を経験し、ちょっとは大人になったかもしれない。 それでちょっと、今の私の職場や職歴についてなど書いてみる。 これを読んでいるどこかのあなたは、今の職場や働き方が好きでしょうか? けっして大そうな経験ではないうえ 「当たり前じゃない?」という話しも多いかもしれませんが、この当たり前が欠けている場所・状況、意外と多いのでは?と思っています。 あなたが「ここじゃないかも」と思った時、次のアクションを決める何かの

        くさいゴマすりをするな、香りのいいゴマをすれ!好かれる…

          休職がよぎるほど頑張っている、どこかのあなたへ

          2022年10月 人事からの勧めで産業医と面談し、無事ドクターストップ。まじかー。働けるけど、でも確かに最近体調がおかしい。 11月から休職の選択を自分でした。 3ヶ月の休みを経て、復帰1ヶ月を過ぎた今も この良くある話は そう単純なものではなかったんだと毎日思う。 伝えたい結論はこれ 休職せずに働けるよう、もっと本気で、自分本位で調整すれば良かった。 道は他にもあった。自分がやらねば誰がやる なんてことは、やっぱりないのが世の中だ。 当たり前に、休職なんてしないで済めば

          休職がよぎるほど頑張っている、どこかのあなたへ

          あの頃、通知表に書かれた「正義感が強い」は褒め言葉じゃなかった。

          小学生の時に通知表に書かれていた正義感が強い、は単なる長所とか褒め言葉じゃない。と今思ってる。いや、当時だって子供ながらに嬉しくはなかったし、喉につっかえて飲み込めなかった。 理由のひとつはシンプルで、多分、正義感が活きる世の中じゃないと昔も今もよくわかっているからだと思う。大事に伸ばしたところで何になるのか。 いじめは良くないと声を上げればいじめの対象になる、不正を正そうとすれば解雇や左遷にあう世の中だ。正義感なんてなんの役にも立たないことは多い。 今、日本のどこを見渡し

          あの頃、通知表に書かれた「正義感が強い」は褒め言葉じゃなかった。

          他人の惚気話が嫌いだった。(からの大どんでん返しの話)

          昔…「自分にも何かがそろそろ起こるのでは」と思い始めた中学3年のときから、社会人27歳春ごろまで他人の惚気話を聞くのが嫌いだった。 自分に起こらないこと、もしかするとこれから一生起こらないかもしれないことを私より先に手に入れた子の話なんて冷静に聞いていられなかった。なんだったら別れればいいと中学生の私は意地悪を思った。 結局、学生時代・社会人になってからと何人かお付き合いして「なんだ、私にも誰かと付き合うという巡り合わせはあったのか。」と中学生の頃よりは冷静になったけれども

          他人の惚気話が嫌いだった。(からの大どんでん返しの話)

          「自己犠牲の払い方」を間違える私たち。仕事編

          とにかく今一番言いたいのは、 仕事において「自分の代わり」は間違いなく存在するからこそ 「自分さえ頑張れば/我慢すれば」は、いずれ誰かにそっくりそのまま引き継がなければならなくなるということ。 一番言いたいことなので先に書いておく。 私には同じチームで働く後輩の女の子が1人と、さらにその後輩の男の子がいる。 ある日、女の子の方に任せている仕事で、うまく他部署と連携できなかったことがあり、それは自分では回避できないことだった。(つまり仕事仲間に改善策をお願いしなければならな

          「自己犠牲の払い方」を間違える私たち。仕事編

          頭で分かってるということ、腹まで落ちるということ

          --頭-- 夏が終わる頃には無事に28歳になっているはずだけれど、それまでに28歳らしくなった!と満足はいかないだろう。 だって 小学1年のときに遊んでもらった6年生と、自分が同じになれたとは到底思えなかった12歳の頃から、それはずっと続いているんだから。 きっとこの先も「あの頃抱いていたイメージ」を「この度なってしまった私」が超えているなんてことは このまま行けば、無い。 38歳になった私も、思いのほか問題だらけで発展途上で未熟で幼稚でわがままなままなんだろうなぁ、

          頭で分かってるということ、腹まで落ちるということ

          骨まで食べられる、よく煮こまれた人間になりたい。

          人それぞれ違うことは素晴らしく、あなたも私もこのままを認めあおうの精神が、キラキラ光る昨今。 だけどそれが一人歩きしてることもある。 きっとそう長くもない社会人生活のなかで私だって自分流にしちゃったこと。あるんだと思う。 だから最近になって、社会人始めましたな本を読みたい気持ちが高まっている。頃合いをみて何冊か購入しよう。 会社 といえば「歯車」という単語は、毎日単調な日々になりそうで嫌いなんだけど、でも歯車になるなら 綺麗に磨かれて動きの滑らかな歯車でありたい。

          骨まで食べられる、よく煮こまれた人間になりたい。