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最近の頭の中事情

久しぶりにnoteを開いた、気がする。

いつもnoteの書き始めには苦慮します。
しかし、書かねばならないと思わせるのは私がnoteを始めて15ヶ月間もの間毎月なにかしらくだらない記事を上げ続けているらしいからだ。
運営側もよくできているようで、「今月もなにかしら書いてアップすればあなたは16ヶ月間連続で何かに取り込んでいるように”見えるよ”〜」なんて通知をあげるんです。

とは言われましても。なんて思ってこうしてスマホの画面と向き合っているわけですが、書きたい事なんてこれっぽっちも浮かんでこない。
ただ、何を書いても良しと言われたら話しは別だ。

フランスの若き詩人ランボーが天才型だとしたら、女と酒と賭博をこよなく愛した飲んだくれ詩人として知られるチャールズブコウスキーは間違いなく破滅型で、自分がどちらの型にハマるのかと問われたら迷わずブコウスキーの方だと明言するだろう。
どっちにせよ、ブコウスキーだってあんなにも賞賛されるような詩をたくさん世に残してきたわけだから私は破滅型でもないのかもしれないが。



いつもは文にしたいと思う事がいくつかあってその事を基盤に書き進めていくわけだけど、最近の私の頭の中は妙に様々な事で入り混じっていてとてもじゃないけど1つの形にする事がどうも難しい。もはやここに書くまでもないような、どうでもいいようなことばかりだ。
要所要所で浮かんでは、それ以上には膨らまない。
頭の中が棚の引き出しの1番上の段みたいに、必要な物だけを詰め込んだだけのぐちゃぐちゃな存在になっている。


もういいや、今回はいつものスタイルを崩して(いつものスタイルと同じとも言える)私も破滅型らしく酒でも転がしながらその散らかった引き出しの中の物を少しずつ整頓してみよう。
ここで得られるものなんて何もあるわけがないので自己啓発本たるものに日頃からお世話になっているような人達にはお引き取り願いたい。



私のくだらない頭の中

・生のシマエナガを見てみたい
あのモフモフをどうしても生で見てみたい。
あんなにモフモフした顔の可愛い生物がこの世に、日本に存在しているだなんて誰が信じただろう。ただ息をしているだけでカワイイともてはやされるあの生物が憎い。私が生でシマエナガを見た暁には人類では初の「シマエナガアンチ」になってやろうと決めている。

・ミラーボールの起源を辿ってみたい
クラブやライブハウスなどでフロアを照らすあのミラーボール。
ミラーボールはその名の通り「小さな鏡が球状形にとりつけられたモノ」
別名ディスコボールとも言われ、踊り場には欠かせないソレはいつ誰によってどのようにしてできたのか。
暗闇の中、銀河系の煌めく星屑をフロアに散りばめているようなその輝きを見ながら私はふと思ったのです。
いつも君の下で踊らせてもらっているけど、君はどこから来たの?と。
ネット上には日本語で書かれたミラーボールの歴史に関する正確な文献は見当たらない。
そこで調べてみると色んな人の自説があったので紹介してみる。

1920年代頃のアメリカで禁酒法というものが厳しく制定され始めた頃、それでもシラフでいたくないような人々が夜な夜な集う酒場などでシラフな状態ではない人が考案したモノなんじゃないか。
①ハイだった誰かの思いつき。
「割れた鏡やガラスを1つの物体に取り付けて飾ったら綺麗そうじゃね?!」みたいなノリで。
その自説が本当であれば、その人が今後のダンスシーンにおいて重要な偉業を成し遂げたことを表彰しなければならないと思う。

こんな自説もある。
②ミラーボールの原型はプラネタリウム。
これに関しては私も意見が合致する。
私がミラーボールが放つ煌めく光を見ながら銀河系を想わせられるのはその為だったのか。

光が当たったいくつかの小さな鏡から,反射の法則で鏡1枚ごとに決まった向きに反射される。そして,その光が目に届くのは,その向きにたまたまいた人だけなのです。」

反射板の不思議

サイエンス的に見ても宇宙を思わせるこの原理。
光、瞬き、暗闇、拡がり、反射、解放。
戦争後のドイツかアメリカで生まれたと言われているミラーボールに「宇宙的要素」は必要不可欠だったのかもしれない。
音楽と銀河系が繋がっているように、人々はソレを目視で確認してその下で踊りたかったのかもしれない。

これを読んでいるいち踊り子の皆さんがどういう原理でミラーボールは生まれたのか、他の自説があるのならば是非とも教えていただきたい。尚、もし本当のミラーボールの起源を知っているツワモノがいましたら個人的に連絡をください。

さて、何だか少しだけ真面目になってしまったのでこの勢いで、最近の社会への不満をぶちまけたいと思う。

現代の人たちは多分、時代のせいで「なんとなく」働いて「なんとなく」遊んでしまっている。(それはもしかしたら私も含め)
なんとなくでも生きていけてしまうから。
昔は汗水、時には血さえも流しながら必死に働いてその見返りに汗水、時には血をも流しながらも遊んでいたのではないだろうか
娯楽が必ずしもみんなができたわけじゃないというのも大事な観点で。

戦争後という大きな壁が彼らを娯楽の道へと誘い、また死を覚悟した夜を何度も超えていったのではないだろうか。
死んでたまるか、と、もう死んでもいい
の境の夜を何度も超えてドラッグや酒に溺れ、それこそミラーボールの光に救われていた夜があったのかもしれない。

こういうふうにふと「初心」に戻ってみると、「なんとなく」は辞めたいと思うのである。
それでもまた少し気を緩めてしまうと、「なんとなく生きてしまう」自分に戻ってしまう。不甲斐ないね。でも時代のせいにしちゃいけない。
平和だからこそ、そうできてしまうという事も忘れてはいけないね。


シマエナガとのテンションの落差すごいでしょう。
とりあえず1番上の引き出しに全部詰め込んどけばいいや精神の人間だから、毎度中身がすんごい事になってしまうんです。
でもこれだけ語っておいて、あと出てくるものといえば、

・豪邸の中の白いシャンデリアなんかよりも、荘がつくようなボロアパートに微かに灯るオレンジのライトの方が私はなんか好きなんだよなあって思ったと同時に、だからスカイツリーよりもなんとなく東京タワー派なんだなと気づいた事とか(あたたかい光に魅力を感じるのかも)
・地球を半分にして、半分は「争いごと」をしたい人たち、またその半分は「出来れば隣の人と手を握って踊っていたい人たち」で分けれたら凄くうまくいくんじゃないかなって思ったけど、でもそれをする事によって結局誰かの正義が誰かの犠牲になってしまって同じ事になってしまうのかな〜って思った事とか、
・「女性らしさ」への劣等と不満と疑念とか
・そういえば、カタカナの「ヲ」って実際に使った事(書いた事)ないなって事とか
・皆んなが行っていたナイスなパーティに行けなかった時の自分の心のやり場(喪失感)はどこに向かわせたらいいのか。って事とか

そんな、ここに書くまでもないようなどうでもいいくだらない事ばかりだ。

でも、いつか天国で会ったブコウスキーに「くだらない事を書かなくてどうする。」と叱責されるかもしれないからこれからも私はそれを見習おうと思う。
そしてハングリー精神を大切にこれからも日々過ごそうと思う。
ハングリーで居て、馬鹿でいる事によって見られるシーンって絶対にあると思うから。


おめでとう!あなたは16ヶ月連続でnoteを更新しています。
と、運営側に褒められる事は確定したのでこの辺で終わろうと思います。
どんな事でも褒められると伸びるタイプなので。

ps.これを読んでいる女性達
仕事や気が乗らない予定がある時の身支度の時(もしくは家を出る時)にKTタンストールのサドゥリンー・アイシーを流しながら準備すると気分が晴れます。
そう、プラダを着た悪魔の最初のあのシーンです。自己自演完全再現。自分が一瞬でもアンハサウェイになれるのでオススメです。私はこれを2年も前からやっています。いい女、自分で作っていきましょうや。

それでは


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