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狭くて尖ってる


         狭い

本屋さんにて、ずっと読みたかった本を探していた時、見たい棚にずっと入り浸っている若い女性がいた。
さりげなく、その棚見たいよと身体で表現するも、彼女はぴくりとも動かない。
私の存在、見えていないのだろうか?

最終兵器である軽い咳払いを投下してしまった。
その時の私の表情、かなり醜かったと思う。
すると彼女はようやく私に気づいたのか申し訳なさそうに軽くお辞儀をし、「あら、ごめんなさい!」と、その棚を離れた。
険しかった私の顔は慌てて口角を上げ、私もまた軽くお辞儀をした。




仕事へ向かう途中の道。
横断歩道のない道で、車が角の道から右折しようとしているのが見えた。わたしはその前を渡ろうとしているのだが、わたしの体はまだその道からは程遠い。にも関わらず、車は遠くにいるわたしをじっと目でキャッチして一向に進もうとしない。

これだとわたしが不利になる。
なぜなら、待ってくれている車のためにも遠くからわざわざ走って渡らなければいけなくなるからだ。歩行者優先の精神は有難いし正しいと言えるが、心の中で思ってしまうのだ。
なぜ渡らない?!渡れるでしょ!今!気にしないでいいよ!渡って!と。
走りながらも、一応会釈して渡りきるが、渡った後で思ってしまう。なんで走らなきゃならなかったのか、と。


朝起きてつけたテレビにて、ニュース番組のお天気コーナーがちょうど流れていたのを寝起きのまま、ただぼっーと見ていた。
私はその時ふと、思った。
いや、まてよ、いつから”お天気お姉さん”は”お色気お姉さん”に変わったのだと。
そういえば年々、お天気お姉さんの色気と可愛さが倍増しているな、と気づく。

チッ。

あまりにも自然に自分から出た華麗な舌打ちには、我ながら驚いた。
しかも朝イチでだ。


とある喫茶店にて、本を読んだり他の人のnoteを見たりしたいがためにゆっくりできる喫茶店を探していた。
私は喫煙者だ。
ヘビースモーカーという訳ではないが、煙草は珈琲やお酒を嗜む時には必要不可欠なものだと感じている。
その為、「喫煙可能店」と書いてある喫茶店を探す。
入り口の扉に「喫煙可能店」と書いてある紙が中心に貼られている昭和レトロテイストの喫茶店を見つけ、中に入る。

すると、なんてことだろう。
「煙草は喫煙ルームにてお願いします」の文字。
なにっ?!
喫茶店で煙草を吸いたいが為にお店に入る大半の人がきっと、”珈琲を飲みながら”煙草を吸いたいのだという事を気付かぬふりをしているのだろうか。
確かに喫煙は可能だが、これだと全く意味がないと思ってしまった。
私はその「喫煙可能店ポスター」に騙されたとまで思ったのである。




        尖り


冬の外。
寒い季節のちょっと虚しく乾いた空気を肌で感じ、耳にイヤフォンをはめる瞬間にウィーザーのアイランド・イン・ザ・サンを流す。
あの前奏を聴きながら、煙草に火をつけ、こう言い放つ。「冬の外での煙草最高〜」
いや、「最高〜」じゃなく、「さいくぅお〜」だ。
いつまで経っても大学生みたいな事を言ってしまうものだなと我に帰りながら、いやでも事実だよな。と颯爽と歩き始める。



とあるチェーンの格安居酒屋にて。
居酒屋は大好きだ。お酒が好きだし、居酒屋でのご飯も好きだ。
でも最近は前より足を運ぶ回数が減ったように思う。
その為、せっかくお店でお酒をのむなら。と、「チェーンの格安居酒屋」というような所にはあまり行かなくなった。
でもある日、行こうとしていた中目黒の居酒屋が空いていなかったのだ。
その日は華の金曜日で、ピーク時間の午後二十時だった。
他の所も空いてなく、仕方なくチェーン店の格安居酒屋に足を運んだ。
(格安居酒屋は大好きだが、酒を嗜みに行くようになったが為に、あまり行かなくなったのである。)
私が「ヴっ」した顔をしてしまうのは、お店のお酒や料理の味でもなく、その場にいる人達の酒の飲み方や絡み方、話している内容だ。
その日も、いわいる「大学生」や「ホストらしき人達」が物凄い大勢で物凄い大きな声をだしながら下品な会話を繰り広げていた。
尖ってるファッションをしている若者達、尖っているのが丸見えな若者達の会話。
やはり、「ヴっ」とした顔になってしまった。
しかし、料理は普通に旨い。酒も安くて、酔える。
次第に大学生たちの声とホストらしき人達のコールにも慣れてきて、逆に賑やかに感じ、それすら良い。と思えてくる。
格安居酒屋、やっぱり良いな。

別の日、リベンジとして行こうとしていた中目黒の居酒屋に足を運んだ。
そこでは、お洒落な人達がお洒落なお酒の飲みかたをしながらその場を楽しんでいた。
一見して、お洒落で綺麗だが、狭いその店では他の人の会話が、耳をよく傾ければ精密に聞こえてくる。
私はあまり喋らないようにして、少し耳を傾ける。

その会話の内容は、
格好つけたい大学生達の会話よりも、
下世話で卑劣で下品だった。

そして、ある男が女にこう言っているのが聞こえた。
「俺、チェーンの格安居酒屋とか苦手なんだよねえ」。




「芥川賞受賞」の最新本や、「人気急上昇、TOP10ランキング第1位」枠のドラマやアニメ、
「今話題!」とのタイトルでテレビ放送されている洋食屋、「今持っとくべきアイテム」と特集されている小物や洋服。
これらを見て、私はあまりときめかない。
トキメキは無いが、興味はうっすらある。
いや、本当は物凄く興味があるのかもしれない。

「これ読んだ?」「これ見た?」「これ行った?」「これ持ってる?」という質問に対して、私はつい「あっ、自分そういうのやってないんで」というような顔をしてしまう。
ひどい時には、「あ〜あれね〜」と鼻で笑ってしまう事もあるだろう。

それは、お酒飲めない人入店お断り、という看板を置いている居酒屋のような。
そういうちょっとした鋭利状の物のように感じる。お酒が飲めなくても、料理を沢山頼めばいいじゃない。
違う。そうじゃない、そういうじゃないんだ。
酒を飲みながら食べて欲しいという店主の願いが込められているのだ。

私が、「最新作」というようなものを一足か二足遅く手に取るのは、そういう事なのだ。なんて事を、友人に話をしたら、
「今日観た映画、今日公開の映画だけど。あ、あとあんたが今読んでる本、ついこの間本屋大賞受賞してたよね。」と言われてしまった。

ようは、そういうことだ。



私は時折、狭くて、尖っている。

人間誰しもどうしても心が狭くなってしまう時はあるし、時代や自分の年齢にしたがって尖ったり丸くなったりもする。
尖り方は人それぞれ。どの場面で心が狭くなってしまうかも人それぞれ。

私のこの記事を読んで、「は?こんな事で?」と思う人もいれば、「分かる」と思う人もいるだろう。


普段は恥ずかしくて自分の心のこういうところが狭い、とか、こういう所が尖ってる!とかって人に言うわけがないし、言うものでもないんだろうけど、ポジティブな所だけじゃなくて、こういう自分のネガティブな所もちゃんと認知していたいのだ。それによって気づく事もあると、私は思っている。


あなたの狭さと尖りは何ですか?


狭さと尖がりあるなら
もちろん
広さと丸さも、あるよ。

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