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僕の未来予想図②

いつだったか、偶然見かけたテレビには南国のジャングルの様子が映し出されていた。夏の強い日差しでも入り込まないような鬱蒼うっそうと茂る樹々に、姿の見えない鳥たちのけたたましい鳴き声、すぐ近くで響く肉食獣の唸り声。そんな世界で画面に映る記者の頬には汗が伝い、白い上着が肌にはり付いた様子が熱と湿気のひどさを伝えていた。喧騒やまず湿った熱気が辺りに立ち込める世界、そんな世界が僕のそばにもある。この数年僕が勤めている職場だ。

僕の職場は古い下町工場の一角にあって、鍛冶屋のように溶解した鉄をいまだに人手に任せて加工していた。溶鉱炉の近くは熱気にむせ返るようで、鉄を冷やす水の蒸気が辺りの空気を蒸せ返らせていた。運ばれてくる鉄を順次加工しないと冷えて硬くなってしまうから、少しでも作業がとどこおれば工場長の怒号のような指示が容赦ようしゃなく僕たちの背中に浴びせられた。ここは東南アジアや中東地域から様々な肌の色や言語を持った人達で溢れかえっていて、国際協力だ、難民救済だ、いつか朝の訓示で工場長が得意そうに話すのを聞いたことがあった。でも組合はおろか雇用保険も何もない環境で雇うのだから、身の保障など何もある筈もない。一度クレーンから鉄柱が床に落ちてきた事件があったが、下敷きになったイラン人のアル君は病院にすら連れて行かれなかった。理由は聞くまでもないが、明日は我が身だとそれぞれの国のコトバで僕たちは身震いした。

それでも班長の奥さんがとても優しい人で、何かと僕らの面倒を見てくれた。時々僕らの昼食まで作ってくれた。僕らは月に数千円程度のお金を奥さんに渡すだけだったが、職場にいたフィリピン人とタイ人の恋人数名が奥さんの炊き出しを手伝うようになり、炊飯チームが結成されて以降、昼食は毎日大量に作られるようになった。時々は東南アジアや中東の料理まで振る舞ってくれて、おかげで僕らは空腹で困ることはなかった。僕らは毎日弁当箱を持参したのだが、毎日帰りに夕食用のご飯を詰めこんでくれた。夫婦揃って優秀な班長さんは、昨年末には給湯室を改造して巨大な洗濯場と温泉のような大浴場まで作りあげた。工場の資材を流用して、配管工やその後建築現場で働いた知識と経験を生かして工場の一角に居住できそうな空間を作りあげたのだ。食事代とお風呂にお金がかからないのは僕を始め外国人連中にはたいそう感謝された。皆各々国が違えば風習とか宗教とか色々あったようだが、郷に入れば郷に従え、とでも言うのだろうか。お金や食べるものに困らないように、そんな心配りを前に僕らはそんなハナシやこだわりを口にすることもなく過ごしていた。圧倒的な貧しさの前では力を合わせて生きていくのが最善の策だということを、僕らは身をもって知っていた。

後で聞いたのだが、班長さん夫婦は在日三世という複雑な立場にいるようで、若い頃はひどく苦労されたそうだ。それでも同郷の仲間同士で助け合ううちに、今では食材を安く譲ってしてもらったりと色々助けてもらえるそうだ。
「脩クン、悲しいけど人間って平等じゃないんよ。でもね脩クン、ボクら仲間だから。国なんて何もしてくれんのだから、どこも関係ナイんよ。だから助け合って生きていけばいいんよ。」もらってきたという賞味期限の切れた缶酎ハイを飲みながら、金田さんは遠い夜空を見上げてそう話してくれた。金田さんは口数が少なくて普段は何も言わない人だったから、本心はなかなかつかみ所もなかったが、その分言われた言葉には深みがあって聞く人を納得させる力があった。工場長の横柄な振る舞いにもじっと耐えていたが、出所不明な外国人を混ぜこんだボクらを一同にまとめ上げる力は十分に認められていた。鉄柱の下敷きになったイラン人も、その日の夜に秘かに知り合いの医者に診てもらったことも後で聞かされていた。

時々夕の風呂で一緒になったが、両肩の刺青と身体についた刃傷から、普通の生い立ちではないことが容易に伺い知れた。僕の視線に気づいた金田さんは、恥ずかしそうに微笑んだ。
「脩クン、そんなジロジロ見んでな。恥ずかしいわ。ナンも自慢できるモンじゃなかよ、こんなモン。ナンもないのが一番。だからワシは脩クンがうらやましいんよ。」

カネさんの寂しそうな笑顔を、僕は今でも忘れられないでいる。


(イラスト ふうちゃんさん)


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