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【虐待を考える】兄弟差別する母親                                                      =子どもは理想ではない 2.

<前回の続き>


私が小さい時、よく兄弟喧嘩で

しょっちゅう、怒られて家から出され

鍵を閉められました。


5歳~7歳くらいの間です。

しかも夜です。


私は泣きながら、途方もなく近所をウロウロし

「ゴメンナサイ」
「私が悪いんです」
「許してください」

そうして、結局夜、恐いので

自分のアパ-トの階段のところで

丸まって

泣きながら

空の月が輝いてる光景をみて

ミスマッチな感情にぐちゃぐちゃにされました。


そして、兄弟が探しに来てくれて家に入ると、


「〇〇が、お姉ちゃんがかわいそうって泣くから

仕方なく家に入れてやったんだから

〇〇に土下座して謝れ!!!感謝しろ!!!」


子どもながらに、なんで自分は悪くないのに

いつも兄弟に頭を下げて

土下座しないといけないんだろう・・・


心から屈辱を感じていました。



兄弟は土下座する私を

冷ややかに見ていました。

「お姉ちゃんがかわいそう」と泣いたのは


自分に飛び火がかからぬよう

「いい子」のフリして

やはり母親に嫌われないように死守しているのです。



冷静に過去の出来事を

思い出して分析すると

今になって気づくことがありますね。


母の心理が浮き彫りになってきます。



母は、いつも私を

兄弟に土下座させる


兄弟=自分の名前を付けた分身=母

私=父・義母が名前を付けた=義母



母は、子供を使って

自分の義理家族にされたであろう

嫌味や屈辱、悔しさを


土下座させることで

自分の鬱憤、悔しさ、悲しさを

紛らわしていたのかもしれません。


ただ、その形はゆがんでいて

まったくもって間違った表現ではあります。

子どもは人形じゃないので

心があるので

子どもの心がゆがむことなので



絶対にやってはいけないことを

母親はやっていることになりますね。



母は9人家族で末っ子の一人娘でした。

大好きなお父さんは運送業で

よくトラックに乗せてもらってた

楽しい思い出があるようです。



母の大好きな父は、人が優しくて温厚で

大好きで仕方なかったようでしたが

早くに亡くなったようです。



そこから、母親は自分の母(私の祖母)に

メイドのように使われたり



母が中学の時に

祖母は足が悪くなり、寝たきりの介護老人になってしまい

中学生の母が介護をしたようです。



いつも介護のお世話をしているのは自分なのに


自分には冷たく当たり、「長男が大事、長男に会いたい」と



やはりここでも、親からの兄弟差別に

あっていたようでした。



心がどんどん傷ついた母親は

きっと心が醜くなっていたのでしょう。


母から聞いた思い出の話に

かなりヤバイ話があります。



祭りの夜店で、ひよこ釣りがあって

あまりにも可愛いから

ひよこを家に持って帰って

自分で育てていた


あまりにも可愛すぎて

たまらなくなって

首をひねって殺した




かなりヤバイ話で

子どもの頃はドン引きしました・・・。

あまりにもサイコすぎて、恐怖で何もコメントできませんでした。



今は冷静に考えると



子どもの心で可愛いといったピュアな感情、心と

あいまって

毎日の重圧なストレスが

凶器の気もちへと変貌し、


この世は可愛いままでは生きられないんだよ

だから死んだ方が幸せだよ



そういった心理が隠れていたのではないかと

今は思うのです。

(プロの心理カウンセラ-の方のコメントあれば、欲しいです)


やはり、虐待母になる人は

家庭や家族の考えなどが

大きく反映して



大人になって自分でもわからないまま

心の歪み・ストレスが溜まって



自分の結婚・出産という形で

感情が溢れてくるのでしょう。



女性の結婚・出産は、人生で大きなものなので

家族や親族でやさしく支えていくものなのに


今の世の中、自分の息子・自分の娘のことばかりで


「家族を作ることは、家族親戚みんなで愛情で支えていく」

という価値観はどこに行ったのでしょうか???



嫁=敵???

そういった発想、狂ってますよ???



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