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もがいたことがある人の言葉

意見を求められた太田さんは、「一人で死ねっていうことは、要するに、“甘えるな”ってことだと思うんだけど…」と、目線を出演者からはずして語り始めた。
「この犯人の場合は、自分も死ぬわけじゃないですか。自分の命も、たいして重く見ていないというか、自分が思っているような自分じゃなかったんだと思うんだよね。俺って生きててもしょうがないなと。
だけど、最後に一つ大きなことをする。でも、特定の病気だからっていうわけではなくて、そういう思いにかられることは、誰しもがあって。
俺なんか(容疑者と)同じ50代ですけれど、高校生くらいの時に、何も感動できなくなった時があったんですよ。物を食べても、味もしない。
そういう時に『これはこのまま死んでもいいな』っていうぐらいまで行くんだけど、そうなっちゃうと、自分もそうなら人の命も大切には思えないよね。
だけど、その時に俺のきっかけだったけど、たまたま美術館行ってピカソの絵を見た時に、急に感動が戻ってきたの。
何を見ても感動できなかったんだけど、ピカソが理解できたってわけじゃないんだけど、その時の俺には『こんな自由でいいんだ表現って』っていうことで、そこからいろんなことに感動して、いろんなものを好きになる。
好きになるってことは、それに気づけた自分を好きになるってことで、それっていうのは、人でも文学でも映画でも何でもいいんだけど、そういうことに心を動かされた自分て、捨てたもんじゃないなって思うと、他の生きている生物や人間たちの命も、やっぱり捨てたもんじゃないって思える」
太田さんは、目線を上げて前をむき、「俺は、すぐ近くにいると思うのね。彼のような人が」と強調。更に、カメラを見据えて「今、自分て死んでもいいって思っている人は、もうちょっと先に、それを見つける。きっかけさえあればって思うんだよね。すごい発見ができる」

https://m.huffingtonpost.jp/amp/entry/ota-hikaru_jp_5cf34c45e4b0e8085e3b3467/?__twitter_impression=trueより、引用


太田さんのこの言葉が多くの人の心を動かしていたのは、

本当に本当に、死んだほうがマシなんじゃないかと思うぐらいの辛さまで行ったことのある人の言葉だったからだと思う。

きっかけは人それぞれだけど、

死んだ方がいいと思うほどつらい時が続くと人は、わんわん泣いてる時期も、誰かに温かさを求める時期も、イライラする時期も通り越して本当に感情や感覚が死んでいくからだ。

あの感覚を体験したんだと本当によぎらせる力のある言葉だったからだと思う。

そして、太田さんのあの時の言葉は、

その一時、頻繁に交わされていた「一人で死んでくれよ」「いや、それはどうなんだ」っていう議論の外にあった。

甘えだとか、じゃあ殺された人のご遺族はとか、そういうことも全部考えたうえで、それでも言わざるを得ないというか、出てきた言葉だったから

届いたのだと思う。

意見というほど押し付けるものもなくて、きっと彼みたいな人がいるなら、感動する心のきっかけが見つかればという、祈りに近い言葉たちだったから。

本当に自分自身を救おうと藻掻いたことがなければ、響く言葉は出てこない。



今一度、考えたことは


死を思いとどまらせるものは、やっぱり生きているものだということ。

死なずにいようと思えるときというのは、

この人たちは私が死んだら、とても大きなショックを抱えるだろうと

いう人たちが居るということ

そういうものは、やはり生きている動物や、人たちとの関りからしか

見いだせないということ。

感動する芸術を作り出すのだってやっぱり、生きてる人にしか生み出せないから。

人に関われない時があるなら、人が生み出した芸術でも、文学でも、音楽でも、映像でも、なるべく心が許す限りに関わり続けて、

そこで得ていくしかないということ。

そして、感動するきっかけはきっと近くにあると信じ続けるということ。

信じていたい。ずっと。



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