インターネットの海の自由さは

特別でなければ、いけないのでしょうか・・・と綺麗ごとを書きたい気持ちになった。

SNSでよくある、顔出しなしの匿名アカウントが脱サラしましたの報告をしているところ。まだ会社で【社畜】でいるのと煽るような文面。少し前には、中学生が「過激なことで人々に勇気を」と、アメリカでヒッチハイクをしてボロボロになって帰国していた。

そういうのを見るたびに「そうじゃない、、だろ?」と言いたくなる気持ちが少しずつ積もった。

本当にすごい人、特別な人はいる。でも、今人気のある人を目にしても、正直、何が特別なんだろう....とすこし辟易することが多い。

やってきたこと、取ってきた資格、今までの経緯をみんな上げ連ね、それを土台にして企業や、学校から抜けることを称賛している。そして、インターネットの世界が少しそっちに偏ってきている気がする。

大体、会社や学校に行くこと、電車通勤や仕事は辛くて辞めようかと迷いながら、それを毎日こなせる人はとってもすごいはずだ。例えそれを日本社会に暮らす大勢の人ができることだとしても。事情や思いや感じ方はそれぞれなはずなのに、それができる人はすごい。それは、思考停止でもないし、会社の家畜でもない。

私自身は職を転々としているし、副業もやったり、fxが好きなのでそれを生活の足しにしているところはあるが、それはもう一方でいえば長く一つの会社組織に居る能力はないということである。そして、それをインターネットが存在する今の時代がたまたま許してくれただけということである。

ブラックな企業があるのは確かだと思う。そこで死にそうなぐらいなら、すぐに辞めてでも次を考えることは大事と思う。でも、自分が本当にそう言う気持ちでいるならまだしも、日常を一生懸命に過ごす人たちが、SNSから流れてくる【社畜】とか言う言葉で、一瞬でもそれじゃいけないんじゃとか思うことがあるなら、それもまたその人の人生を生きることにはならない。

それは、自由とは少し違う。


そんな中で、何年か前から可愛い動物のキャラクターを使って、今まで当たり前とされてきたことを称賛したり、応援したりする作品が目立つようになった。

こういうクリエイターさんの作品は、当初出会ったときからじわじわと人気をあげ、今では1ツイートに1万以上のいいねがつくことが普通になっている。

こういうものも、世相を映す。これもまた人の声の裏返しなのかもしれない。

やっぱりどんな人もまず、自分がしていることを称賛されたいし、受け入れられたい。それからどうするかは、本当にそれからのことだ。

インターネットの中は自由だ。そして、本来の自由はこういう風に優しい状態のことを言う。

どっちが良くて、どうする「べき」はない。決断することも良いし、迷いながらとどまることだっていい。人は人、自分は自分。でも、分離ばっかじゃなくて、お互い良いねと言えること。それぞれが生きているのが良くて、えらいねと思えるところ。良い意味で、当たり前が当たり前じゃないところ。

むかしから教科書に載っている「私も小鳥も鈴も、みんな違ってみんないい」という詩人の言葉が、やっと実現できる場所。

綺麗ごとでもいい。そういう優しい世界を作れるところが、大きいインターネットの海の自由さなはず。

そう、思っていたい。


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