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誤解してはいけない!「表現の自由」は何でも通用するわけではない。

おかげさまでいつも様々な方からコメントをいただき、とても感謝しております。

私の記事でコメント欄まで丹念に読んでくださる方も数名おられ、つくづくコメントも作品の一部であると痛感しております。

noteに関しての記事は、過去にも不定期で何度も投稿させていただいていますが、中にはコメントバトルに発展するものもありました(笑)

誹謗中傷も過去にご紹介しましたが、他にも忘れられないバトルを経験したことがあります。

その方はバトルの末、一応のご理解はいただき、意見を撤回する発言をいただいたので、当記事のリンクも当人の名前も差し控えさせていただいた上で一部のみ公開します。

余計なトラブルに巻き込まれないよう、言わざる、関わらないのが1番良いように思います。(⌒-⌒; )

表現の自由と、言論の自由がある以上、マナーの上で問題視されることでも、個人の発言権利は奪えませんよ。

中略して抜粋しました


この発言の問題点は2つ。
「見て見ぬふり」
「マナー違反の攻撃者にも言論の自由はある」

いったいこの人は何を言っているのだろう?
見て見ぬふりが一番で、たとえマナー違反であっても「言論の自由」があるなんて、正気でしょうか?

さらには、中傷される側にも問題があるとさえ言われるのです。
それを言うなら、そもそも記事主の「言論の自由」はどうなるのでしょうか?

この発言に、私のスイッチは入りました(笑)



コメント欄は
公開コミュニティ

フォローしているクリエイターさんがコメント欄で攻撃されているのを見つけたら、あなたならどうしますか?

1,見て見ぬふりでいっさい関わらない
2,ただなりゆきを見守る
3,援護コメントを入れる

第三者が一時的な正義感を奮い立たせたところで、相手が止めるという保証はありませんし、それどころか矛先が自分に向くかもしれない。
それなら、何もしないで、ただ見守るという選択をする方も多いのではないでしょうか。

確かにただの傍観者で第三者の立場では、そのやり取りの「起・承」をちゃんと把握していないと話になりません。

そして子供の喧嘩のように同調圧力に訴えるやり方は、逆にこちらが誹謗中傷に該当します。
この場合には、いかに「正論」をシレっとスマートに投げかけられるかが問われるのです。


◇喧嘩は買わないで、
冷静に間違いを衝く

自分一人で冷静に対処できればそれが一番です。
しかも、第三者の傍観者がアシストするには、記事主と攻撃側の双方の意図を理解する必要があります。

つまり、コメント欄のやり取りを見て、自分の中の倫理観でどう理解するかが問われるのです。

どちらが人として正しいのかどうか判断する必要があり、それがわからないのであれば、アシストコメントもできなくて当然です。

決して、記事主と同調するのではなく、あくまでの自分の中の正論を述べることに意味があるのです。


とはいえ、なかなかフォロワーさんのコメント欄までくまなく確認するのは難しく、リアルな現場を押さえる確率は低いのが現状です。


◇コメント欄も
記事と同じく公開されている

コメントは交流を深める効果的なツールです。

様々なご意見やご感想をいただくことで、記事主も見識を広めることが出来、やり取りすることでお互いの人間性に触れることも出きます。

そこに攻撃的なコメントを入れるのは、ネット公開の場であることを忘れて、一時的な自分都合の感情に左右されているのでしょう。

・自己顕示欲
・承認欲求
・嫉妬
などなど、記事主とは関係のない自分個人の問題。

過去に何度も記事にしていますが、私はどんな内容のコメントであっても、削除はしたことがありません。

相手に消されることは何度かありましたが、私の返信コメントはそのままですので、誰に対しての返信なのかは今でも一目瞭然です。

というのも、
一度コメントした記事は、記事主がコメントするたびにコメント参加者全員に通知されます。
ですから、何度もコメント欄が更新されていたら、攻撃コメントがあった可能性があります。

やり取りは全て公開され、全ての方が閲覧できるしくみですので、それらを皆さんに見ていただくことは有効だと考えています。



表現の自由は
何でも許されるわけではない。

さて本題です。

上記の例の通り、マナー違反の悪質コメントにも「表現の自由」は存在するのでしょうか?

「言論の自由」もこの中に含まれます


◇発信した時点で
社会的責任は発生する

あらためて「表現の自由」とは、以下の通りです。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 ○2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

総務省 「言論の自由を守る砦」に関する基本認識(案)
日本国憲法 第二十一条

私は法律の専門的な知識はありません。
事実、某大学の法学部だった次男の卒論を読んでも、難解すぎてサッパリでした💦

誰にでも「表現の自由」は優先的に認められていますが、人権を侵害するような言動には適応されません。
それどころか法律に触れる行為となります。

当然、投稿した記事だけでなく、コメント欄にもそれぞれ発信者の責任がある事を忘れてはいけません。


法務省 人権侵害を受けた方へ



◇誹謗中傷は
読んだ人全員を不快にする

誰かを非難する記事は、読んでも気分の良いものではありません。

そしてコメントで記事主を攻撃してる様子をみて、心を痛める方も多いでしょう。
心を痛めながらも、何もできない事に落ち込む方もおられると思います。

誹謗中傷は、当人たちだけではなく、それに関わる人たち、イヤ、閲覧した不特定多数の人たちにも何らかの影響を与えてしまいます。

記事であれ、コメントであれ、たとえ小さい規模の活動であっても、多少の影響力を考え、
ネット公開=社会的責任
という事を、念頭に入れるべきなのです。



あなたの
ネットリテラシーは大丈夫?

とはいえ。
私自身も時には毒舌を吐きます。

どこまでが「表現の自由」で、どこからが「誹謗中傷」なのか明確なボーダーラインはなく、あくまでも時と場合や、双方の人間関係によるようです。

どんな内容にしろ、肯定的な意見ばかりだと参考にもならないし、新しい発見がないばかりか、自分自身も進化しない。

感想や意見は自由なのですが、それが攻撃にならないよう配慮は必要であり、少なくともそれができる人間になりたいものです。


昨今では、有名人が誹謗中傷され自殺にまで追い込まれることも多く、今後の法律改正も必要ではあるでしょう。

しかし、その前に個人個人の心構えとして、
自分の「ネットリテラシー」を育成することが先決ではないでしょうか。

ネット上の情報の正確性を読み取り、情報の取捨選択や適切な対応ができること

「ネットリテラシー」について一部抜粋
コトバンク


◇◇◇

コメントをいただくのはとても励みになりますし、様々な方々との貴重なコミュニティの場となります。

しかし、それは決して嬉しいものばかりではありません。時には、自分の理解が及ばない内容のものもあるのも事実です。

そのような場合は、基本的には自力で解決できるよう、自分自身の倫理観をしっかり持つことは必要です。

私自身も、今一度自分に問いかけてみたいと思います。




以下のクリエイターの方々も警鐘を鳴らしています。
参考にしていただけたら幸いです。






私のnoteやネットに関する過去記事はこちらにリンクがあります。


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