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神も仏もいない

年始早々、波乱の幕開けでしたが、個人的にも波乱が起きました。

大切な友人が永眠いたしました。

私はプライベートな記事を書くことは稀で、今回のことも書くべきかどうか迷ったのですが、今この時の自分か感じた「死生観」みたいなものを書きとどめておきたいと思いました。
勝手な死生観ですので、不快に思われる方もおられるかもしれませんが、正直な気持ちを書かせてください。

◇◇◇

彼女は、こちらのnoteで投稿しているうちのおばちゃんズのメンバーの一人なので、レキジョークルよりさらに古い友人の一人です。
いつどこで出会ったのか記憶を手繰り寄せてみても曖昧過ぎて思い出せず、はっきりしているのは19歳の冬、信州白馬の「五竜とうみ」へのスキー旅行でした。

いきなり旅行に行くわけもなく、もちろんそれまでにお互いの存在は知っていたので、食事会などで交流はあったと思うのですが、その初回がどうしても思い出せない。

小学校の時からの幼馴染のクミを通じての友人であり、基本的には「犬鳴温泉」へは毎年冬に宴会旅行をする仲間で、10代のころからおよそ44年、細く長くのお付き合いでした。

その彼女が、2022年の犬鳴旅行の後、体調を崩して闘病生活となりました。

病名やその詳細は差し控えますが、なかなか良い情報が入ってこないので、さすがに心配はマックスに達していましたが、今年の元旦、LINEで年賀のやり取ができたので安心した矢先で、まさかこんな事になるとは寝耳に水でした。

享年63。満62歳のあまりにも早すぎる死でした。

性格は温厚・誠実・明朗快活、そして気遣いの人。
人の悪口や陰口など、彼女の口から聞いたこともありませんし、私のように毒舌など吐いたこともありません。

なのにどうして彼女は死ななければならないのか?

世の中にには、どんなに重病に罹ったとしても、治る人も多い中、どうして彼女は助からなかったのか?


この世には神も仏もいない。


またこれを思わずにはおれず、私の中の信心は完全消滅してしまいました。


棺桶の中の彼女に献花したとき、自分で、何を言ったのか憶えていないのですが、息子ちゃんが、
「はよ起きて、ありがとうって言えや~」
と泣きながら言う姿がたまらないぐらい可哀そうで、
斎場での火入れの瞬間、ご主人が、
「ありがとう~!」
という大きな声があまりにも力強く響き、いつまでたっても耳に残って離れません。

その様子から、彼女が家族からどんなに愛されていたか窺い知れ、同時にご家族の計り知れない深い悲しみを感じすにはいられず、彼女もまた、どれだけ家族を愛し、尽くしてきたかは周知の事ではありましたが、あらためて実感できたのです。

必ずまた「孫」として生まれ変わると言っていたそうで、それは本当に実現するのだと思っています。
今世での生き場所は、この家族のもとしか考えられないのでしょう。

神や仏がおられるのなら、せめてその願いだけは叶えてあげてほしい。

薄く化粧を施した彼女の顔はあまりにも美しく優しく、まさしく「尊顔」というに相応しい神々しいものでした。

菩薩というのは、こういうお顔なのか。

と頭に過ぎり、ほんのりを微笑む表情を見ると、今世ですでに悟りを得て、早くも菩薩様になったと思えたのです。



神や仏はいない

だから信心など要らない。
どうせ願いなど叶わないのだから。
信じることなど不要だ。

いくら真っ当に生き、
誠意を持った人生であっても
願いを叶えてくれるわけではないのだから。

いくら拝んでも祈っても、神や仏に届くことはない。
だから信心などは捨ててしまえ。

自分と繋がりのあった実在の人間だけがすべて。
不確かな神や仏など信じる必要などない。

素晴らしい死後の世界を夢見て拝むのならやめた方がいい。
どうせその願いは届かないのだから。

「死」とは存在が消滅すること。
そして
~二度と会えない~
ただそれだけだ。





※トップ画像はACよりDL後、canvaで作成しました。


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