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世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?山口周


結論 「世界のエリートが、なぜ美意識を鍛える必要があるか」

論理思考の普及による正解のコモディティ化や差別化や消失、あるいは全地球規模の自己実現欲求市場の誕生やシステムの変化にルールの整備が追いつかない社会といった現在の世界で進行しつつある大きな変化により、これまでの世界で有効に機能してきた客観的な外部のモノサシがむしろ経営のパフォーマンスを阻害する要因になってきている。世界のエリートが必死になって美意識を高めるための取り組みを行なっているのは、このような世界において、より高品質の意思決定を行うために主観的な内部のモノサシを持つため。

「論理」と「直観」そして、「理性」と「感性」の意思決定

「論理」と「直感」と言う対比軸については、「論理」が文字通り、論理的に物事を積み上げて考え結論に至ると言う思考の仕方である。一方で、「直感」は最初から論理を飛躍して結論に至ると言う思考として対比される。
次に、「理性」と「感性」については、「理性」が正しさや合理性を軸足に意思決定するのに対して「感性」は美しさや楽しさが意思決定の基準となる。ここ20年ほどの歴史を振り返ってみると、日本企業の大きな意思決定のほとんどは巧拙はともかくとして「論理」・「理性」を重視して行われてきているので、「直感」や「感性」を意識決定の方法として用いる会社なんてあるのかと思われる読者もいらっしゃるかもしれません。しかし実はそういった例は少なくは無い。

「論理」と「理性」はコピーされ、競争力が高まる

「論理」と「理性」に軸足を置いて経営をすれば必ず他者と同じ結論に至ることになり、必然的にレッドオーシャンで戦うことにならざるを得ない。かって日本企業のレッドオーシャンをスピードとコストの2つを武器にすることで勝者だった。しかし昨今ではこの2つの強みをしながらつつあり、日本企業は歴史上初めて、本当の意味での差別化を求められる時期にきている。

「アート」ベースの意志決定は言語化できない

「サイエンス」は、様々な情報を分析した結果、このような意思決定をしました。
「クラフト」は、過去の失敗・経験を踏まえた結果、このような意思決定をしました。
「アート」は、何となくふわっとこれがいいかなと思って意思決定しました。
「アート」と「サイエンス」や「クラフト」が主張、戦わせると必ず「サイエンス」と「クラフト」が勝つ。なぜなら、「サイエンス」と「クラフト」が非常にわかりやすいアカウンタビリティー(=言語化できる)を持つ一方で、「アート」はアカウンタビリティーを持てないから。

組織における理想のパワーバランスと役割分担

「アート」と「サイエンス」と「クラフト」を横に3つ並べれば、「アカウンタビリティーの格差」という問題が必ず発生し、「アート」は必ず「サイエンス」と「クラフト」に劣後することになる。
一方で、「サイエンス」と「クラフト」に軸足を置いて説明責任=アカウンタビリティーを過剰に重視すれば、天才を組織に抱える余裕が失われ組織は論理的かつ理性的に説明できることのみに注力することになる。そして、論理的かつ理性的な答えは、訓練を受けた人であれば、遅かれ早かれ誰でも到達するので、その市場はやがて競合が乱立するレッドオーシャンになり、そこで戦うためにひたすらスピードとコストを武器にして従業員を疲弊させていくしかない。これが現在多くの日本企業の陥っている状況。
この問題を解決する方法は1つしかない。トップに「アート」を据え、左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」で固めて、パワーバランスを均衡させるということ。PDCAサイクルに当てはめるとPlanをアート型人材が描きDoをクラフト型人材が行い、Checkをサイエンス型人材が行うというのが1つのモデルになると思う。
経営いうのは「アート」と「サイエンス」と「クラフト」の混ざりあったものは、組織や創造性を後押しし、人々をワクワクさせるようなビジョンを生み出す。「サイエンス」は、体系的な分析や評価を通じて「アート」が生み出した予想やビジョンに現実的な裏付けを与える。そして、「クラフト」は地に足のついた経験や知識をもとに、「アート」が生み出したビジョンを現実化するための実行力を生み出す。

「デザイン」と「経営」の共通点

「デザイン」と「経営」には本質的な共通点がある。一言で言えば、エッセンスをすくいとって後は切り捨てるということ。そのエッセンスを視覚的に表現すれば「デザイン」になり、そのエッセンスを文章で表現すれば「文章」になり、そのエッセンスを文脈で表現すれば、「ビジョン」や」戦略」と言うことになる。結果として出来上がる成果物は異なるがが、知的生産の過程で用いる思考の仕方をとてもよく似ている。
『選択したら、あとは捨てる。何をしないのかを決めるのは何をするのかを決めるのと同じくらい大事だ。会社についてもそうだし、製品についてもそうだ。』スティーブ・ジョブズ。

美意識に基づいた意思判断

「サイエンス」だけに立脚していたのでは事業構造の転換や新しい経営ビジョンの打ち出しはできません。こういった不確実性の高い意思決定においては、どこかで論理的な確度と言う問題については、割り切った上でそもそも何をしたいのか?この世界はどのように変えたいのか?と言うミッションやパッションに基づいて意思決定することが必要になり、そのためには、経営者の直感や感性、言い換えれば、美意識に基づいた大きな意思決定が必要になります。複雑な問題を解くために直感が大事ということがわかったけど、この直感と美意識とは何の関係があるのか。私は直感と美意識が強くつながっていると考えている。というのも、このふわっと浮かんだアイディアが優れたものであるかどうかを判断するためには、結局のところ、それが美しいかどうかと言う判断。つまり美意識が重要になるから

『美しさを目指すことが結果として正しい手を刺すことにつながると思う。正しい手を探すためにはどうするかではなく、美しい手を刺すことを目指せば、正しい手になるだろうと考えています。このアプローチの方が早いような気がします。』羽生善治 捨てる力

お手本がなくなった日本は新しいビジョンが必要

太平洋戦争後は日本にはビジョンが必要なかった。私たちの先人が手本としたのは米国企業だった。実際に目に見えるお手本があった。マイケルポーター教授は、この状況を指して、日本の企業には戦略がないと批判し、議論を巻き起こしましたが、この指摘は、その是非以前にそもそも的外れで戦略など必要なかった。だってそうでしょう。レースをしていて、トップグループが先行しているのであれば、同じことをもっと安くもっと早くできるように工夫して、追いつくのが1番シンプルで有効な戦略であり、日本企業はまさにこれをやって高度経済成長成し遂げたのです。このような社会においては目指すべきゴールを決めて、それをいかに効率よく達成するかを考えるよりも、ただひたすらに頑張ることが求められ、実際にそうすれば成果が出ていた

市場は「機能」よりも「デザイン」を求めている

市場は、「導入期」、「成長期」、「成熟期」、「衰退期」の4つのステップを経る。実際の市場の変化は、ライフサイクルカープで説明される単純なものではなく、したがって実務でこれを用いる事は大きな問題があることを実感しているが、少し引いた目で大きな変化を説明するときはとても有効な概念だと思っている。
市場のライフサイクルの変化に伴って、消費者が求めるベネフィット(=便益)も変化していく。「導入期」から「成長期」へと至る過程で、機能的便益、情緒的便益、自己実現的便益と変化していく。パソコンを例に考えてみる分かりやすい。最初は記憶容量はどれくらいか、計算能力はどうかといった機能が商品を選択する際の重要な基準になっていた。しかし、やがてこういった機能での差異がそれほど大きくなってくると、今度はデザインやブランドといった感性に訴える要素が選択の大きな動機になってくる。つまりデザインが自分の部屋のインテリアに合うとか、素材の質感が好きと言った理由が購入の大きな動機になると言う事。この時期には機能的な向上だけを目指して、企業努力を続けていた会社の多くはデザインと言う要素に着目した企業に大きく遅れをとり、場合によっては市場から退場させることになる。

敵国クローデルが認めたの日本の美意識

クローデルは1921年から1927年にかけての6年間、フランスの駐日大使として日本で過ごした。大東亜戦争中、フランスは日本の敵国であった。日本の敗戦が濃厚だった頃、パリで行われたパーティーにおいて、多くの参加者の前で次のようなスピーチをした。
「日本人は貧しい。しかし、高貴である。世界でどうしても生き延びて欲しい民族をただ一つ挙げるとしたら、それは日本人である。あれほど古い文明を今に伝えている民族はない」もちろん、能や歌舞伎などに接した影響を受けてのコメントであると推測できるが、また、別の文章も残している。関東大震災の日、クローデルは東京から横浜まで長時間歩いたとき、生存者たちは群れ圧また巨大な野営地で過ごしていたとき、私は不平一つ聞かなかった。廃墟の下に埋もれている犠牲者も、「助けてくれ!」叫ぶのでなく、「どうぞ、どうぞ、こちらです」という慎ましい懇願の声だった。自分の身に降りかかった不幸を淡々と受け止めて、どんな困難な時にも、ものを頼む時にも礼節を忘れない姿に心を打たれたという。
「機能」はコピーすることができる。しかし、「ストーリー」や「世界観」をコピーできない。イノベーションの後に発生するパクリ合戦におけるデザインとテクノロジーの陳腐化と言う問題を見落としていることがある。デザインとテクノロジーだけでは一時的に勝つことはできても勝ち続ける事は難しい。そこには「ストーリー」と「世界観」という要素が求められる。この2つをいわば天然資源のように豊富に持っているのが日本と言う国である。

エリートの意思決定は「実定法主義」ではなく「自然法主義」でなくてはならない

システムが急激に変化する社会おいては、明文化されたルールだけを拠り所にする「実定法主義」は危険であり、内在化された倫理や美意識を持つことが重要であること。さらにエリートはその達成動機の高さ故に、しばしばグレーゾーンを踏み越えてしまう傾向があるため、道徳や世界観といった個人の内面的な規範に基づいた意思決定である、「自然法主義」を持つことが重要である。

判断能力を身に付ける2つの方法

どうやって狭い世間の掟を相対化し、その掟がおかしいと見抜く判断能力を身に付けるか答えは2つあるように思える
1つは結局は労働力の流動性を上げろと言う結論になるのではないかと思う。自分が所属している狭い世間の掟を見抜けるだけの異文化体験を持つということ。そういう体験を持った人は数多くなれば狭い世間の方が絶対化し、絶対化された掟による暴走を防げる可能性が高まる。
もう一つが本社のテーマでもある美意識を持つと言うことになる。美意識で分かりにくければ、これを例えば英語にすればそれは「スタイル」と言うことになるでしょう。「本当の意味での教養」と言ってもいいと思いますが、要するに、目の前でまかり通ってるルールや評価基準を相対化できる知性を持つということが重要。変化の激しい状況でも、継続的に成果を出し続けるリーダーが共通して示すパーソナリティーとして、この「セルフアウェアネス(=自己認識能力)」が非常に高いと言うことを発見した。「セルフアウェアネス」とは、つまり自分の状況認識、自分の強みや弱み、自分の価値観や指向性など、自分の内側にあるものに気づく力のこと 


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