ジェンダーアイデンティティに関して執筆した論文の概要

【執筆した論文の雰囲気(概要)を、このノートではお伝えしています】
スグに読みたい方は、注意書きは読み飛ばして下さい。↓↓↓↓↓↓↓

      ●注意書き●
  ・本文公表には至らないワケ・

締切に間に合わせる為に、消化不良感が拭えないながらもとりあえず提出はしました。従って、もう少し手を加えて公表すべきか相変わらず迷います。

また、内容の性質上、意図せず誰かの価値観を否定したり傷つける可能性があるので、とりあえず公表してしまうことへの危険性への対応についても準備が十分とは言い切れません。 

そのようなことから本文はテコ入れを繰り返してますが、それだといつまでも公表できませんので、論文の雰囲気だけでもお伝えしようとノートを作成しました。

以上。
 
これより下が本文です。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

     ●論文の概要●

       序章
 同性夫婦は親になれないと言うが、それは本当なのか。少子化を改善したいのなら、子育てにおける役割について見直すべきでは。
 岸田首相の両極端な発言に対して、こうした感情が湧いたのでガッツリ考える。

       第1章
 体の性別・心の性別という分け方は、あたかも体と心が別々に機能しているかのようなきらいがある。しかし、心身二元論が批判されていることから、そうした捉え方は適切とは言えない。
 一方、体と心が同じものかと言うと、それも違う。哲学や現象学の立場から橋渡しをすれば、同一ではなく別物でもないという、一見矛盾していると思われる体と心の関係性に対して、そういうものだという割り切りができはしないか。

       第2章
 自分が自分に対して思う性と、出生性で割り振られる社会で生きてく上での性。この2つの性を無理矢理同一化すると、所属する社会における性の役割で統一しないことには、社会の除け者になる恐れがある。
 日本の場合で考えると、日本の文化に基づき性へのイメージがつくられてきたので、いきなり欧米の考え方を突っ込んでも波風が生じる。
 でも体と心を分ける考え方をそもそも江戸時代までの日本でしてたかも怪しいので、例えば日本について考えるなら日本の性質を考慮せねばならず、考察対象の社会毎の事情を十分踏まえないといけない。

       第3章
 今の時代、結婚してこどもを設けることが正義とか言ってられない。それに、子どもがいないから社会へ参画する権利がないことにはならないし、子どもがいなくても子育てに参与できる社会=社会的子育てのあり方とか考えたら、少しは世の中マシにはならないだろうか。
 性的マイノリティだから仲間外れとか馬鹿言ってないで、人口が減ってく日本のことを考えたら、価値観を一新した方がよいのではないか。子育ては人口減少に抗う手段だけど、その子育てにおける性の役割を見直した方がよいことは、この論文を読んでる人なら分かりますよね?

       結論
 続きは院で研究します。

以上。
お読みいただきありがとうございます。



 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?