見出し画像

梨木香歩『りかさん』(新潮文庫)

 ようこは「リカちゃん人形が欲しい」と言ったのに、おばあちゃんから贈られたのは似ても似つかぬ和服に真っ黒な髪の市松人形。でも名前だけはおなじ「りか」。最初はがっかりしていたようこだが、心を込めて世話をしていると、何とこの人形は話し出し、自分を「りかさん」と呼んでほしいと言い出した。ようこは自分より年上のこの人形をりかさんと呼ぶことにした。
 ようこはりかさんと一緒に色々な人形の奥深くに込められた思いを聞き、人形たちと人間の紡いできた記憶の地層に入り込んでゆく。
 人形たちの数奇な運命と秘められた思い。それは人形を可愛がっていた人間たちの物語でもあった。
 人形たちの関係から浮き上がってくるのは、ようこにはまだ分からない大人の世界の切れ端のようなもの。人形たちは子供の思いも大人の思いも抱え込んでいるのだ。それも人間よりもずっと長時間。

 小説を読んで面白いと久しぶりに思った。本当にページを繰る手が止まらない。人形って、人間にとって何なんだろう。そんなことを思いながらあっと言う間に読み終わった。

〈恨まない、っていうのは、人形にはとてもめずらしい資質だ。美徳と言っていい。〉

〈「人形があんなにおしゃべりだって知らなかったよ。でも、登美子ちゃんは幽霊が人形に取り憑いてしゃべったらどうする、なんて言うんだ」
「それは、死者の念が籠ることも確かにある。でも、人形の本当の使命は生きている人間の、強すぎる気持ちをとんとん整理してあげることにある。木々の葉っぱが夜の空気を露に返すようにね」〉

〈「気持ちは、あんまり激しいと、濁って行く。いいお人形は、吸い取り紙のように感情の濁りの部分だけを吸い取って行く。これは技術のいることだ。なんでも吸い取ればいいというわけではないから。いやな経験ばかりした、修練を積んでない人形は、持ち主の生気まで吸い取りすぎてしまうし、濁りの部分だけ持ち主に残して、どうしようもない根性悪にしてしまうこともあるし。(…)」
(…)
「でも、人形にそんな役割があるなんて知らなかった。知らなくて、いろんな人形と遊んでそのままどこかへやっちゃった。大事にとっておけばよかった。」
(…)
「それはそれで、その人形たちは役目を終えたんだよ。人形遊びをしないで大きくなった女の子は、疳(かん)が強すぎて自分でも大変。積み重ねてきた、強すぎる思いが、その女の人を蝕んで行く」
(…)
「べらべら話す人形が軽い人形とは限らないんだよ。奥に深いしこりがあって、それに触れられたくなさにどうでもいいものでくるくると煙(けむ)に巻き、たぶらかして行くのさ」〉

〈「見境がつかなくなる質(たち)だったんだねえ、業の深いことだ。あちこちで因縁をつくってしまって・・・・・・」
 ようこは日本髪のことを思い出して、話した。
「そうかい、そういうこともあったろうよ。けれど、因縁も結局、縁だからね、なにがどう翻って見事な花を咲かすか分からないもの」〉

〈「それは化学染料と植物染料の違いだ。化学染料の場合は単純にその色素だけを狙って作るんだけれど、植物のときは、媒染をかけてようやく色を出すだろう。頼んで素性を話して貰うように。そうすると、どうしても、アクが出るんだ。自分を出そうとするとアクが出る、それは仕方がないんだよ。だから植物染料はどんな色でも少し、悲しげだ。少し、灰色が入っているんだ。一つの物を他から見極めようとすると、どうしてもそこで差別ということが起きる。この差別にも澄んだものと濁りのあるものがあって、ようこ」
(…)
「おまえは、ようこ、澄んだ差別をして、ものごとに区別をつけて行かなくてはならないよ」
(…)
「どうしたらいいの」
「簡単さ。まず、自分の濁りを押しつけない。それからどんな『差』や違いでも、なんて、かわいい、ってまず思うのさ」〉

〈「ようこはもうすぐ、理科で『昇華』という言葉を習うと思うけど」
(…)
「ようこがそうやって、頭でなく言葉でなく、納得して行く感じは、そういう『悲しいもの』が『昇華に至る道筋』をつけるんだよ。難しいね。でも、本当は簡単なことだ。簡単なことほど、言葉で言おうとすると難しくなる」〉

 同時収録の書き下ろし『ミケルの庭』は後日譚と言うべきもの。この中の蓉子が『りかさん』のようこだと気づかずに読み終えてしまった。

〈何故この人はこういうとき、的を外さず真っ直ぐくるのか。紀久は敵(かな)わないと思った。息を小さく吸い込むと、吐く息が思わず嗚咽に変わった。
 蓉子の手は確かさに満ちて力強い。まるでその上から、何世代もの女たちの手がふわりと重なっているかのように。涙が止まらない。〉

『りかさん』にはまだ読み切れていないところもある。島ってどこのことか(Y島、清子の嫁ぎ先?)。清子って誰か。清子と登美子のおばあちゃんの関係は?享保雛は誰の所から来たのか。登美子のおばあちゃんが亡くなった後、お父さんとお母さんの関係がなぜ変化したのか。もう少し読み込みたい。

新潮文庫 2003.7. 本体476円(税別)


この記事が参加している募集

読書感想文