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『短歌研究』2023年11月号

若き日に夢中に見たる青春映画 マンスプレイニングぞくぞく 伊藤一彦 これは本当にそうだ。映画にも限らないし、マンスプレイニングにも限らない。青春の思い出をたどるつもりが、大失望ということもありえる。この作者らしくない韻律の乱れは心の乱れか。

酒を飲むときのひとりを持ち寄りてひとは飲むなりみんなのときも 山下翔 つくづくと寂しい歌。みんなで酒を飲んで盛り上っているように見えても、結局はひとりで飲んでいる時の一人を持ち寄っているだけ。どんな楽しくても解散したらたちまち一人に戻るのだ。

③山田航「短歌にとって2010年代とは何か」
〈それではこの先、二〇二〇年代以降の現代短歌とメディアを取り巻く状況を予測しようとするとき、まず確実にいるのは、Xとなって以降のTwitterの衰退とともにTwitter的リアリズムは変化せざるをえないだろうことだ。〉
 最終章の「3 Twitterの衰退とTwitter的リアリズムの変化」がすごく興味深い。本当に今イマの話だし、刻々と変化していくところだ。今後の短歌の趨勢も予感させるような最終段落が特に心に残った。また状況が変化したらどう分析が続くのだろうか。

④「ネット歌会「うたの日」育ちtoron*さんとの対話」
toron*〈掲載されるかどうかだけではない、違った尺度で短歌を作ったり評される場があるんじゃないかと思って、「塔短歌会」に入ったのが2019年秋です。〉
 「うたの日」、新聞歌壇、ラジオ投稿、同人誌と活躍は幅広い。さらに、結社。
山田航〈そもそもどうやったら結社に入れるのか、わからなかったんですよ。今と違ってホームページから簡単に入会の申し込みとかできなかったし。〉
toron*〈今でもホームページがぜんぜん更新されていなかったり、検索しても引っかからない結社が少なくないですね。〉
 色々な方法で短歌にアクセスできるようになったことは喜ばしいことだと痛感。結社の側から結社外を見る、という視点が過去の短歌総合誌には多かったので、今回の山田航とtoron*の会話は新鮮だった。ネットが発達したからこそ、こうした外部からの視点が見える化したのだとも言える。

⑤「ネット歌会「うたの日」育ち」
toron*〈「塔」は、当時からホームページも定期的に更新されているし、全国各地で歌会もやっているし、フットワークが軽い人が多くて、京都の文学フリマにも「塔」がブース出していますね。〉
 言及いただきありがとうございます!
 結社というものにも賛否はある。でも短歌が好きだし、結社を通じて出会える人が好きだし、やりがいを感じてみんなやってるのだろう。その部分は、同人誌もネプリもネット歌会もみんな一緒なんだよね。

⑥「短歌ネプリの現在」
月岡烏情・最適日常〈(短歌をする人は)広がっているけど、みなさん孤立しているところがあるとも感じていて、情報の共通の基盤があったら、喜ばれるんじゃないかと思って活動を続けています。〉
 いつもお世話になっているアカウント。喜ばれるんじゃないかと思って、というところがすごい。こうした地道な活動があるので短歌の世界が広がって、短歌ブームが起こる素地になったのだろう。
 
 「本特集に語られたトピック」の欄の一番上に「1996年 「塔」短歌会が結社として初めてホームページを開設(4月)」とあって改めて感慨深い。私が「塔」に入る2年前のことだ。ホームページの維持も含めて、広い世界と繋がりを持ち続けることの大切さを再確認した特集だった。

全天が繊月を得しこのゆふべ行き交ふ人の荷のひとつ、鍵 上川涼子 空に繊月が浮かんでいることを初句二句のように言う。大きなものの中に小さなものがある。人々の荷物という大量のものの中に鍵がある。上句と下句が相似形になっている。鍵が繊月のように光る。

話しかけられたみたいなフルートのソロの、人でなく波の声 川上まなみ フルートのソロがまるで話しかけてくる声のように聞こえた。それは人声でなく、音の波の声。繊細なフルートの響きを、空気を震わせる波として感じ取っている。読点が判断のためらいを表す。

飲みたがる男に化けて現れる知人の前に夏宵のなか 廣野翔一 三句は連体形で知人にかかると取った。主体が飲みたいと思っていることを察して、飲みたがる男となって来てくれた知人。その人の前にいる主体。知人の心遣いを感じ取っているのだ。二人を包む夏宵。

⑩安田登「今春看々又た過ぐ」
〈詩人の目が発動しているということは、彼がふつうの精神状態でなくなっているということを意味します。私たちは何もないときには散文的世界に生きています。〉
 杜甫の「絶句」について。漢詩を解説付きで読むのは味わい深い。

2023.11.26.~28. Twitterより編集再掲


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