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神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない ジェンダーやLGBTQから考える』集英社新書

 カバーの見返しに「なぜ差別は「思いやり」の問題に回収され、その先の議論に進めないのか?」とある。これがこの本の要旨だと言えよう。差別は心の問題ではなく、社会の構造、制度の問題であり、そこを変えることが必要だという論だ。女性差別と性的少数者差別が主に取り上げられているが、色々な点で、自分自身の中にある固定観念や偏向に気づくことが出来る。学校の人権教育の感想文に「思いやり」という言葉が書かれていれば、それはその授業が上手くいっていない証左なのだと思った。もっと早く出会いたかった本。社会の進展が最近になってようやく進んだから今まで出会えなかったのかもしれない。DVもセクハラもパワハラも言葉が出来るまでは無かったことにされていた。モラハラという言葉もそれらに遅れて最近言われるようになった。今ももちろん、可視化・意識化されていない差別があるのだと思った。

以下は自分のための覚書である。

〈しかし、そもそも法律で「禁止」が定められるだけでは「罰される」ことはないのです。「禁止」規定に加えて、その規定に違反した際の「罰則」が法で設けられて初めて、禁止された行為が「罰される」ことになるのです。〉P.56
 こういう細かいことも全然知らなかった。禁止であれば、破れば罰されると単純に思っていたのだが。
〈セクシュアルハラスメントに関する法律ができるまでは、ハラスメントに関わる法律は日本には一つもなく、法律で解決する事項だと多くの人が思っていなかった、ということかもしれません。〉P.91
 被害を受けた側がどう対応するかに任せられていたのだ。
〈他の領域で見ても、例えばDVの課題は「DVなんてない」と思われていた時代から、制度によって統計をとり始めたことで課題が可視化されています。〉P.92
 ここ、全く同意。しつけと言って親が子に、夫婦喧嘩と言って配偶者に、どれだけのDVが行われてきたか。問題が言語化され可視化されて初めてその異常さに気づくことができるのだ。
 〈ダイアン・J・グッドマン氏は、「抵抗」について、「偏見とは異なる。偏見とは、ある特定の社会集団についてあらかじめ持っている先入観、思考や信念である。抵抗とはその人の考え方ではなく、多様な考えをどれだけ受け入れられるかの問題である。偏見をなくすには自分なりの解釈や思い込みを自覚し、検証する必要があるが、そのように自己を深く突きつめて考えようとしない気持ちこそが抵抗なのだ」と説きます。まさに、本書が「思いやり」として取り上げてきたことはグッドマン氏の述べる「抵抗」であると言えるでしょう。
 加えてグッドマン氏は、社会的公正への抵抗の根底に、制度的構造と支配的文化の価値観が強く存在することを指摘しています。こうした社会的・文化的・政治的・経済的な要因が、個々人の心理的な要因と相互に影響しあい、人びとの認識や、理解、行動に影響をもたらすとしています。(…)
 つまり、差別をしてしまうのは必ずしも個人のせいだけではなく、社会や文化などといった構造によって個人が動かされているし、個人もそのような社会や文化を再生産していると言えるでしょう。だからこそ、本書で述べるように、個々人の「思いやり」では限界があるのです。〉P.98
 差別や偏見が個人の心の問題だけでないのなら、まさに「思いやり」では解決できない。
〈現在、ジェンダーの領域全般にわたる法制度は、理念法と呼ばれる男女共同参画社会基本法以外に見当たりません。そのため、具体的な取り組みに結びつく法規範は、偏在していることになります。〉P.134 
〈1997年の男女雇用機会均等法改正によって、セクシュアルハラスメントの防止対策が同法内に位置付けられましたが、以降2006年の改正時に措置義務化され、今日に至っています。〉P.135
 それによる社会の変化を労働の現場に於て実感してきた。
〈セクシュアルハラスメント以外にも、男女雇用機会均等法で妊娠・出産に関するハラスメント、育児・介護休業法で育児休業や介護休業などの制度利用に関するハラスメント、労働施策総合推進法で性的指向・性自認に関するものを含めたパワーハラスメントについて、それぞれの防止規定が各法律に置かれ(…)、それぞれに内部規則にハラスメント禁止規定を置くこととその啓発などの措置義務が課されています。〉P.135
 まだそれが充分に機能しているとは言い難いが、全く概念が無い時代から働き始めたので、ある種感慨を感じる。
〈ただ、それでも、「思いやり」から一歩先に、具体的な状況把握や計画的な取り組みに歩を進めること自体は評価できます。特に「男女平等」課題においては、どのような指標が進捗を見る上で重要なのか、社会的に周知、共有されているとも言えるのではないでしょうか。〉P.160
 まだこれからの点も多い。
〈ここまで読んで「そんなまでやらなきゃいけないのか」「それは大掛かりすぎるのではないか」と思った人がいるかもしれません。しかし、真に平等な社会や職場を実現するには、実質的な機会の平等が保障されること、実質的な差別が埋め込まれた不公正なルールがあってはならないこと、これは多くの人が同意できることではないかと思います。単に「思いやり」と言うだけでなく、その「思いやり」が形を持って行き渡るような社会とするためには、これまで示したような取り組みの検討が不可欠です。〉P.171
 自分が加害者になるかも被害者になるかも知れないという自覚を持って、自分事として捉えない限り「思いやり」は上から目線のきれいごとにしかならないのではないか。
〈男女雇用機会均等法など明確な差別的取扱いの禁止規定があっても、法を守らせる効力が弱いことが指摘されています。刑事罰が科されていないのも前述の通りです。〉P.195
 差別があってもそう簡単に訴訟できない。しかし、それが禁止されているということの共有がまず第一歩だ。
〈書き手や編集者の思い込み、アンコンシャスバイアスに基づいて編集してしまうことは、たとえ「善かれ」と思ったことでも、報道や広報など多くの人の目に触れる媒体では、特にその影響を考慮し、避けるべきでしょう。〉P.205
 報道のガイドラインの項だが、個人のソーシャルメディア(SNS)でも意識しなければならないことだ。例えば私のこの書き込みでも。

集英社新書 2022.8. 定価 本体820円+税

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