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発達障害について私がおもうこと


私は診断済みのADHDだ。
えばっていっているわけではない💦

五十路に足を突っ込むところで
カウンセリングに時々いっていた先生に
突然いわれたのだ。

そういうところが、ADHDなんですよ!と

そういうところというのが

待てない私であり
衝動性の強いと言い換えられる

思い立ったが吉日、が
私の行動のすべてといって過言ではない

しばらく、大人のADHDの勉強をして
いままでの人生で
いろいろやらかしてきた事柄を考えると
見事に当てはまって

心ひそかに
どうしてみんなができることを
私は
どんなに努力してもできないんだろうと
悩んでいたことに
答えがみつかって嬉しかった。

子供のことも

何度も起きるパニックや
行動で謎だったことが
ASD特有のものであり

彼が、わざと
私に嫌がらせしているわけでもなければ

説明つかない
精神的ななにか
病になってしまったわけでもなく

ASDという特性ゆえの行動に
私が理解がなかったがゆえ
彼にたいする対応が適当ではなかったため
パニックを
さらにヒートアップさせてしまっていたことを
反省した

私の母親も
ずっと毒親だと思っていたけれど
ASDの積極奇異型だとすれば
めちゃくちゃ合点のいく行動だった

こんな風に考えると
なんでもかんでも
発達障害におとしこめるような
錯覚にさえ落ちる

でも、実際
人間の脳で完全無欠のものなど
ないだろうし

グラデーションではあるものの
どの人にも
ADHDだけではなく
ASDも
LDも

最近はやりのHSPなどなど

なにかが
あてはまることがあるのではないだろうか?

いまは良い時代になった

自分の特性について
客観的に知る方法が増えてきたし
世の中の理解も深まってきた

けれど、だから、というか

それだけで、自分の取説ができた!と
決め込んでしまわずに

まだまだ、開発されていない
自分の脳の
自分の身体の力があるんだということを
忘れないでほしい

この枠でこういう人間なんです
だから、これしかできません!と決めてしまわずに。

どんなに努力しても出来ないことに
他人から責められたり
自分で自分を責めてしまったりして
自己肯定感を爆下げする必要はもうない

けれど、また違うなにかで
能力も
ひとそれぞれ備わっているんだとおもう

あきらめないで
自分の枠を小さくしてしまわないで
それを見つけていってほしい

それと、すこし話は、ずれるが

人間の脳は

ほんのすこしのホルモンの働きや
脳の働きによって
気分も、仕事の集中も
全然違うから

誰かがもし、ひどいことをしたとしても

その人がやっている、
なんてひどいやつなんだと思う前に

その人の脳がそうなっているんだと
おもうと

本当に悪い人、というのはいないのかもしれない

自分が
ADHDの治療薬、コンサータを飲んだときと
飲まない時の差、とか

更年期のホルモン補充をしたときと
していないときの差を考えると

いらいらや
仕事の集中力
他人への寛容さなど

脳に作用する物質のほんの少しの差なんだと
体感して
愕然としているからだ

罪を恨んで
人をうらまずというのはこういうことかと

ちょっと思ってしまうこの頃なのであります







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