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春をかぐ街で セルフライナーノーツ

昔は春が一番好きな季節でした。
あったかいからね。


あったかいんだからぁ♪瞳の奥にある私の大きな野望〜

あったかいんだからぁ♪/クマムシ(2015年)








でも今じゃ春があんまり好きではなくて、
「みんながスタート!」「出会いと別れの季節!」
「植物だって生え変わる!」「華やかな季節!」
っていうものにどうにかこうにか追いつこうとしているあの感じが苦手になってしまいました(誰もそんなこと言ってない)。
そう言われているような気がして、そこに追いつけない自分に嫌悪感を抱く訳です。

それだけだったらまだ嫌にならないんですけど、
この曲の根源でもある、
これだけ苦手意識がありながら、
「春の綺麗な瞬間」が絶対的にあるという所です。
何、お前如きが風情を感じてるんだ。
景色でも温度でも春風でも桜でもなんでもいいんですが、普通に寒くて過ごしにくい季節から、暖かくて過ごしやすくなるのは、幸せハッピーなことですしね。

まぁその春の予兆を感じる暖かくなりたてが、
あの・・一番嫌なんですケド。

あの・・こんなんできましたケド。/遊助(2009年)


春のどこか忙しなくも穏やかである風情や、
どこかこの始まったファンファーレのような、麗かでありながら、どこか季節の終わりを探し迷っているような、自分が春を見つけているようで、春に自分が見つけられているような雰囲気をAメロで歌っています。

1番の歌い出しの「Chérie!」は
春の曲を書きたいと思ったきっかけの、
チームしゃちほこのChérie!という曲のサンプリング?です。メロディも少しオマージュチックにしました。
アイドルソングをオマージュするロックバンドが居ても良い!めちゃくちゃ良い曲なので、聴いてください。

Chérie!/チームしゃちほこ(2016年)



2番Aメロ
「チェリーブロッサムの遅れ毛よ 抜けて送れ」

季節にはみ出しているように咲く桜の花が
抜けてしまっても、次の季節に言い伝えるように
感じます。(逝枯れたいのです?)そうであって欲しいから、抜けておくれ(願望)ともとれます。輪廻転生?
桜の花が桜の花にまた生まれ変わるような

「拾い集めて捨てて生くように観じます」も
自分の中での春を上手く表現できたなとおもています。
1番の「勘違う」と韻も踏めてる死ね!

この曲の好き韻は
「クラシックピアノ」と「暮らしっぷりはもう」
です!(韻自慢やめちくり〜!)



恥ずかしいメモリーは日々を彩ってゆく
暮らしっぷりはもう慣れたもんで
天手古舞いな今です
いぢらしいジェラシーはほとんど古くなります


ええ詞やね、、、、、しみじみしじみ…(二日酔いの朝)



2番の最後、「チャリを漕ぎます ハルカオルままで」
としていますが、この曲はここで一度終わっているように感じます。(逝枯れたいのです?)


チャリは普段ダイチャリしか漕ぎませんが(うるさい)
桜が「一輪の花」と数えるように、
自転車の二つ輪(車輪)のぐるぐる回る様が、
巡る季節を選んで咲く花のようにも捉えられますね!
あと昔のフィルムが回転するようにも見えてノスタルジック!自分でペダル漕がないと進めない、漕ぎ始めると立ち止まることもすぐには難しい、という人生のような点でも「チャリ」って言葉選びが良いね!嘘です!「愛」と韻を揃えたかっただけ!


「ハルカオル」ままでとしたのは、
シンプルに春香るでも良いのですが、
春という季節の果てしなさ、
「(いつまでも続いていくような)遥か」を
「織る」ように過ごす季節とも表現できると思い、
カタカナにしちゃいました!ダブルミーニング!
やかましいねぇ!


最後の「愛は触れぬ」という部分は、
レコーディングする日がとてもとても小春日和通り越して大春日和、春うらら通り越して、春おもてて!な日で最後に同じ歌詞を2回繰り返すのもなぁと思い、
その時感じた一瞬で思いついたものを採用しました。
レコーディング当日に歌詞変えるとか俺カッケェー!
というカスムーブでメンバーに提案した所、説明で上手く伝えられず、え…?それ本当に良いですか…?と一瞬なりすごく焦りました。すごい困惑してた。メンバー誰も悪くない。慣れないことはしない方が良いし、こうやってバンドが一丸とならなくちゃいけない繊細な作業のレコーディングを、わがままで妨げる、やはり俺っちはこの「バンドの癌」なんだなと思いました…(トホホ…)
ちゃんと説明できて、快く採用されて良かった…もうしません…



そんなこんなで「春」について歌った曲です。
THE・勝負曲なので沢山の方に聴いてもらえると嬉しいです。それぞれの季節観があると思いますが、それぞれの季節観があるだけで、季節ってすごい!ものっそいすごい!


それぞれの季節観が年月を重ね、変わっていったり、
はたまたそのままであったり、巡り巡き同じようで同じじゃない、正反対の温度や植物や風景があるように、それぞれがそれぞれを生きて逝枯れて伝っていきますように。



すぐそばで愛が溢れているようでも
自分からしか触れない
決して愛からは触れてくれぬ
春をかいで生きるこの街にて
チャリを漕ぎます
全て始まりを忘れないように
季節が過ぎ去っても
どうか春香るままで

4の季節を巡り巡く中で
生かれたいあなたも
逝枯れたい私も
一度たりとも同じじゃない季節に
いつか咲くことはなくなっても
どうか遥か織るままで


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