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【読書】コンビニ人間 (文春文庫)


出版情報

「『普通でない』生きづらさ」は幻?

 wikiには以下のような解説が。

コンビニ人間』(コンビニにんげん)は、村田沙耶香による日本の小説作品。『文學界』2016年6月号に掲載、文藝春秋より2016年7月27日に刊行された。第155回(2016年)芥川龍之介賞受賞作[1]。また、2018年9月4日には文庫版が刊行された。…
 36歳未婚、彼氏なしでコンビニエンスストアのアルバイト歴18年目の主人公の生き方を通じて「普通」とは何かを問う

『コンビニ人間』wikipediaより

『コンビニ人間』は芥川賞受賞作。そして編集者は又吉直樹の『花火』を担当した人でもある。ヒットメーカーなんだなぁ。
 執筆背景として

 作者は三島由紀夫賞を筆頭とする幾つかの賞を受賞した作家でありながらコンビニエンスストアで週3回働いており、その経験を活かしたコンビニを舞台にした作品である[2][3]。受賞後の勤務継続については店長と相談すると述べている[4]

『コンビニ人間』wikipediaより

とあった。受賞から7年も経っているので、現在の状況はわからないが、著者自身にもコンビニに惹かれる何かがあるのかも。社会や世相や四季を感じさせ、つながりを感じさせてくれるある種の窓になっていた/いるのかも。

あらすじ紹介

普通って何?

 なるべくネタバレしないように、抽象的に紹介していく。

 主人公 古倉恵子は36歳の女性コンビニ店員だ。大学に入学した18歳から18年間コンビニでバイトを続けている。当初バイトすることを喜んでいた家族(父母妹)もこの歳になると、なんだか微妙な反応だ。決して押し付けがましいわけではない。恵子は家族を愛しているし、家族も恵子を愛し気にかけている。特に妹にはついうっかり本音を言ってしまえるほど、恵子の人間関係の中では恵子の一番の理解者だ。
 恵子には『普通』がわからない。それは小学校に上がる前から、小学校に上がってからもずーっと続いている。年を経るに従って、妹の助けもあり『普通』を装うことが上手くなった。妹は要所要所で完全ではないにせよ世界を説明し、『普通』を装う術を考えてくれる(この歳まで就職もせず結婚もしない言い訳や口実など)。
 {周りの人幼年時は母や父長じて学校の先生・友人}とは、重要事項について{常識感情}が共有できない。死は怖いものであり、永遠の別れをともなう悲しいものである、とか、たとえケンカという暴力=怖いもの・恐ろしいものを止めるためであっても行われているケンカ以上の暴力を振るってはいけない(それでは怖さの総量がより大きくなる)、とか。逆に幼い恵子の行動にはいつも思いやりのある合理的な背景があった。多分、丁寧に適切に説明されれば、お互いに了解できるのではと思うのだが、父も母もかかりつけのカウンセラーも役には立たなかった。唯一、主人公が母の怒りから庇ってくれていると勘違いした妹だけが、世界と主人公の橋渡しをしてくれた。
 恵子は父母や妹の悲しい顔は見たくない。それに友達からの「えっ」と引いた様子から何が『普通』かを学んでいく。
 そういう恵子にとってチンプンカンプンの世界ながら、唯一何が正解かはっきりしていて、行動に確信を与えてくれるものが『コンビニ店員』という職業だった。恵子の『普通』を装った、とってつけたような??笑顔でもコンビニ店員としては立派に通用した。コンビニ店員の行動には無駄がなく、マニュアルが存在する。『どうすればいいか』を示してくれる。『普通』から排除=削除されない。だから恵子はバイトを始めた時を『コンビニ店員として生まれた時』と表現する。『普通』の人間としては生まれ損なっちゃったけど、『コンビニ店員』として『正常』で『役に立って』いる。

 多分…日本社会は「普通であれ」という圧力=同調圧力が高い社会なのだろう。この後、笑えるほど突き抜けている主人公が見方によっては不気味、見方によっては羨ましい、結末を迎えるのだが、そういう主人公にどこか共感し、突き抜けている主人公を見届けたい、という思いに駆られる。本書が芥川賞を受賞し、ベストセラーになったのは、同調圧力「普通であれ」は窮屈だが、じゃあどうやって『普通』から降りるのか誰も傷つけずに(自分含む)、『普通』から降りることってできるのか。多くの人がこうした共通の思いを抱えている背景があるからではないだろうか。

 「普通であれ」に窮屈な思いをしているなら、きっと本書『コンビニ人間』は、何がしかのヒントを与えてくれるに違いない。変化を求める人にオススメします!

 次項からは、ネタバレを含んだあらすじの続きとなります。目次を置いておくので、飛びたい方はどうぞご利用ください。


あらすじの続き ネタバレ含む ここから

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笑えるほど突き抜けてる主人公と幸せ?あるいはちょっと不気味な?結末

 36歳の独身女性、『コンビニ店員』としてアルバイト。主人公 恵子は「『結婚』も『就職』もしていないのは『普通』ではない」と周囲から圧力を受け始める。一方、恵子の体の中にはコンビニの音が音楽として流れ込み、次に何をすれば良いか瞬時に判断できる。恵子にとって『コンビニ店員』は天職なのだ!だが、『普通』であることを強いる周囲に囲まれ、恵子は『コンビニ店員』は天職であると自覚できない。あるいは「『コンビニ店員』は天職である」と言葉を紡ぐことができない。また著者は読者にも恵子にとって『コンビニ店員』は天職であるという言葉を提示しない。
 そんな時、クズ男 白羽が新しくアルバイトとして恵子のコンビニに入店する。自分が傷つきたくないばかりに、周りを攻撃し社会を口で攻撃し、気に入った女性をつけ回しストーカーまがいのことまでする。
 周囲からの同調圧力で調子を崩しかけていた恵子は白羽に同居を持ち掛ける。ペットを飼う感覚で。洗面器で餌のように質素な食事を与え、白羽は狭いアパートの風呂場に布団を持ち込み、住む。彼の望みは

「あんたの子宮だってね、ムラのものなんですよ。使い物にならないから見向きもされないだけだ。ぼくは一生何もしたくない。一生、死ぬまで、誰にも干渉されずにただ息をしていたい。それだけを望んでいるんだ」

コンビニ人間 (文春文庫)を定本にした大型本 p172

一方、恵子のメリットは、

「…シャワー代と餌代の小銭をもらっているの。ちょっと面倒だけど、でも、あれを家の中に入れておくと便利なの。皆、すごく喜んでくれて、『良かった』『おめでとう』って祝福してくれるんだ。勝手に納得して、あんまり干渉してこなくなるの。だから便利なの」

コンビニ人間 (文春文庫)を定本にした大型本 p205

だが、この便利な関係も崩れ始める。白羽は図々しくも、恵子をコントロールして天職であるコンビニ店員を退職させ、正社員への転職プロジェクトを進める。恵子は心身を健康に清潔に保つこともやめ、無気力な毎日を過ごす。一方で、白羽はおもちゃを手に入れた子どものようにはしゃぎ、元気だ。どう見ても、いい関係じゃないよね。
 そして物語はクライマックスへ。

ネタバレ中のネタバレ ここから

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恵子は久しぶりにコンビニに入り、自分の中の細胞がコンビニの音に反応し始める。商品の棚を直し、接客の流れをほんのちょっとの声掛けで、スムーズにさせていく。

「気づいたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べていけなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」…「一緒には行けません。私はコンビニ店員という動物なんです。その本能を裏切ることはできません」「…でもコンビニ店員という動物である私にとっては、あなたはまったく必要ないんです

コンビニ人間 (文春文庫)を定本にした大型本 p253-p254

一方で白羽は

狂ってる。そんな生き物を、世界は許しませんよ。村の掟に反している!皆から迫害されて孤独な人生を送るだけだ…」…「そんなこと許されないんだ!」…「気持ち悪い。お前なんか、人間じゃない

コンビニ人間 (文春文庫)を定本にした大型本 p253-p255

と叫び、恵子を断じる。
 私は、自信を取り戻した恵子はステキだし、素晴らしいと思うし、ある意味うらやましい。が「ついにコンビニの歯車になっちまったよ」「気持ち悪さ、気味悪さの極みだよ」と思う人もいると思う。

 正解はない。だけど本書は、普通とは何か、幸せとは何か、幸せとは周囲が決めるものではないのではないか、と問う、すごく良い作品であることは確かだ。

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ネタバレ中のネタバレ ここまで

 本書を読んで、昔読んだ自閉症当事者の自伝を思い出した。なぜ思い出したのか?主人公 恵子の「身体中の全細胞がコンビニの音に反応する」様子とか、他者の感情を、その人の身体の変化を通してキャッチする様子から、自閉症当事者を想起したんだよね。今は自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(ASD)と呼ぶらしい。以前は、「自閉症」「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」「広汎性発達障害」と呼ばれていた子どもたちを含む。一時期たくさん読んだんだ。『普通』でなさを昇華していく彼らの様子や努力には頭が下がるし、勇気をもらえた。次項で少しばかり、書いていこうと思う。
 主人公がASDだというつもりはまったくないし、ましてや著者がASDだなどと断じるつもりはまったくない。また、ASD 当事者の方やご家族の方たちを貶めるつもりもまったくないので、念のため。

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あらすじの続き ネタバレ含む ここまで

自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害(ASD)

 本書を読んで、自閉症の人たちが書いた手記を思い出した。

一人は森口奈緒美さん生きづらさを抱え、すごく努力し、自分がしていることを『作曲』だと再発見し…その中で、渚で海鳥がバーっと飛ぶ様子を見て、自分の体の中から音楽が湧いてくる、だけど、それを言葉にすることができない。伝えられない。と。それが4つとか5つとかの話だったんじゃないかなぁ、すごく印象深く残っている。彼女を育てるにあたって、そういう彼女の様子を理解し、周りとの軋轢の橋渡しをするご家族、特にお母様のことも印象に残っている。

テンプル博士は牛に負担少なく食肉生産するための牛舎の設計に特殊な才能を発揮している。動物学者であるし、自閉症の本も執筆している。ある方面にものすごく才能を発揮する人がいるのも、ASDの人たちの特徴だ。だけど、『才能』だけを見てしまうと、すごく大切なものを見失ってしまう気がする。

今は画家というか芸術家として活動しているのでは、と思います。彼女が見習い教師として音楽の授業を担当する様子が、コンビニ人間の恵子がコンビニの音に、気づき反応する様子によく似ているように感じた。いえ、単なる個人的な印象です。だけど、教室全体をひとつの宇宙として把握する様子と、コンビニで起こるすべてのことに気づく様子が似ているなぁ、と。

コンビニ人間と悟り

 まさかの、悟り、ですよ。悟り、というかゾーンに入るってヤツですね。
アスリートもゾーンに入るし、ある種の職人技もゾーンだろうし、上記のASDの人々もゾーンに入っている。主人公 恵子がコンビニ店員として働いている時は、ゾーンに入っているのでは、と想像した。とても物事に集中して、微細なところまでよくわかる意識状態。幸せ感とも関係があるらしい。
 主人公 恵子は人を恨まない。悪意を持たない様子、偏見を持ったり、人を価値観で裁いたりしない様子は、単純にステキな在り方だなぁ、と思う。それって、私の主観かもしれないけれど、悟りに近い在り方だと思う。でもそれは、白羽によれば「気持ち悪い」し「社会的に許されない」。
 何を選択するか、で幸せが決まる。

本書を読み終わって

 私も散々『普通』じゃない、と言われたからなぁ。そして、恵子のように突き抜けたかったけど、突き抜けられず、白羽の要素も多分に引きずりながら生きている、という自覚。いつか、白羽の要素が成仏し、突き抜ける時がくるんだろうか?それとも肉体的な寿命が先か。ま、常識的に考えれば、寿命が先なんでしょう。それもまた善き哉。

著者への謝辞

 小説をこんなふうにnoteで紹介するのを前提に読んだことがなかったのですが…これは私のまったくの想像ですが、きっと著者も『普通であれ』という同調圧力に窮屈な思いをしながらも、なるべく、誰のことも恨まず、どちらかと言えば愛情を持って、本書の主人公のように対処を続けてきたのでは、と思いました。いえ、わからないです。ですが…そうであったとしても、そうでないとしても、こういう形の小説は、自分の羽を抜いて織り上げる織物のように、とても綺麗だけど、どこかで痛みも昇華されている。どんな創造物もそうなんでしょうけど。こういう形で提示してくださったことに感謝です。ありがとうございます。

大活字本について

 私はこの本を図書館で借りました。大活字本シリーズです。図書館用や公共施設用に出版しているそうです。高齢化で大きな活字への需要はあれどコスト削減を強いられる出版社ではなかなか踏み切れない。そこで埼玉福祉会が身体障害者の働く工場を母体として大活字本を発行しているとのこと。
 正直なところ、私はもう少し活字が小さい方が読みやすいけど、年齢や自分の体の状況によって、こういう本が必要になることがあるかもしれない。良い取り組みのように思いました。ただ、小説の中身は出版社と契約できても、装丁まではNGのようで、とても印象的な金氏徹平氏によるイラストを堪能できないのは少し残念でした。

おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。


牛に負担をかけない食肉生産の方法を考案している。

当事者が自閉症の脳を読み解き、解説している。動物学者でもある。


検索するとたくさんの本が見つかる。

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