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借りパク奇譚(19)


かつてこれほど旨い水を飲んだことがあっただろうか、いや、ない。
ポチが用意してくれた寺の井戸から汲んできたという水は、間違いなく、生涯一の旨さだった。「何杯でもどうぞ」の言葉に甘えた『欲張りジャン』こと山田。3杯もお代わりした挙句、途中で激しくむせ、亮潤様が「おやおや」とたしなめる、まさに子供向けアニメのラストシーンのような瞬間が訪れる。

干支を連呼して炎の周りを回ることにどんな意味があったのかはわからない。ただ、今この瞬間を味わっているおれたちにとって、果たして意味なんてどうでもいいことのように思えた。体を包むなんとも清々しい感覚。例の儀式によって何か、根本的なデトックスが起こったのか、体が妙にスッキリと軽かった。

至高の水とポチお手製の塩飴での一服を終えると、奇想天外の『借りパク懺悔の門』も、いよいよ最終局面を迎えることとなった。懺悔の門、最後の儀式は『旅立ちの儀』と呼ばれるもので、参加者は亮潤様と一対一で面談を行うという。

「旅立ちの儀」の順番は亮潤様の指定により、クロエ、ボンネ、おれ、カンバルジャン(山田)の順となった。面談はそのまま『暁の間』で行われるということで、トップバッターのクロエ以外は、先に着替えを済ませ、控室で待つ運びとなった。

「さっさと着替えてしまおうか、 "むせバルジャン" 」

暁の間から外へ出ると、おれは山田にそう声をかけた。

「そうだな、"たけし"」

と涼しい顔で返す山田。ぐぬぬ、山田の方もおれを「たけし」と呼んでやろうと目論んでいたようだ。

ボンネを加え、今度はおっさん3人で仲良く着替えを済ませる。奥さんに電話しに行ったボンネと別れ、おれと山田は最初の控室に戻った。

「ものすごかったな」

控室で一息、おれはそこで初めて今日の感想を漏らす。ところが山田は「ああ」と生返事をしたまま携帯をいじり始める。例のフィアンセに連絡だろうか? 仕方ないのでおれも暇つぶしに携帯で今日のニュースをチェックする。こんな山奥で通信できるのかと懐疑的だったが、意外に電波はバリバリだった。

いつもの通りのありふれたニュースが並ぶ中、『早朝、若手のおっさんが車で拉致され、3万円を脅し取られた挙句、妙な儀式に参加』という大事件は、まだニュースになっていないようだった。

「亮潤様と一体何を話すんだろ?」

携帯での用事が一段落したのか、突然山田がつぶやく。

「ほー怖いのか? チキバルジャン。まあ借りパクしすぎのお前はたくさん怒られるだろうな」

なにをビビってるのか、おれは山田をからかってみる。

「ああ、怖い。あの亮潤という坊さん、得体が知れない」

「……ほぉ」

逆ギレするかとおもいきや、あっさり認められ拍子抜けする。どうしてか、山田の表情が硬い。やたらと神妙な顔つき。はてこの顔、どこかで見たことがある……あっ、あれだ! 寺へ来る道中、「黙っておれについてこい!」そう叫んだ時のあの顔と同じである。

「亮潤様の何が怖いんだい? ブルバルジャン」

「ブルってねえわ!……信じられないかもしれないけど、さっき炎の周りを回っている時、おれは起きているにもかかわらず、夢を見たんだよ。おれたちは外にいて、燃え盛る何十本ものやぐらの周りを見知らぬ大勢の人々と一緒に回ってた。みんな自分が創造した巨大な干支の動物を連れているんだが、いくつものやぐらが並ぶその中央の一角に亮潤様がいて、何か念仏を唱えていた。おれはなんともなしに亮潤様を見ていたんだけど、次の瞬間、亮潤様の人差し指の先から、さも立派な龍が現れた。優雅で美しく、けれど獰猛でとてつもなくデカい龍だった。龍はなんというか、完全とか、完璧とか、全能とか、とにかくそんなものを具現化したような存在だった。あの龍がその気になれば、世界の創造も破壊も一瞬でなしてしまう、そんな気がしたんだ」

頭に残っているイメージを追うようにして山田は喋る。驚いた……山田にもおれと同じ映像が見えていたというわけか? おれたちが見たのあれは夢か幻覚か。ただ、ふたりがそれを見たとなると、少なくとも勘違いではなさそうだ。今日の一連の謎の儀式といい、確かにあの人、亮潤様は得体が知れない。しかし妙だ、おれは亮潤様が動物を創造するシーンなど見ていない。いや、山田や他のみんなを見ていたから、単に気がつかなかっただけなのかも知れない。

「お前、虎にまたがってたよな?」

おれは言ってみる。

「お前!……何で知ってるんだよ……」

青い顔をして狼狽える山田。
なんと、やっぱりふたりは同じ映像を見たということか?

「星は何でも知っている。"たけし" も何でも知っている」

「……」

重い空気を和らげようとボケたのに、山田が沈黙したため、さらに空気が重くなる。

「虎にまたがってはしゃいでたよな。ヤクルトファンなのに」

おれは何でもないように続けた。

「……お前にも、あの夢が見えたってことなのか!」

山田の口調に苛立ちがこもる。

「まあ、よくわからんけど、同じような映像が見えたことは "たけし" だ、いや "たかし" だ、いや "確か" だ」

「……それじゃあ、ボンネさんやクロエさんにも見えたのかな?」

おれのボケをことごとくスルーし、さらに神妙な顔をする山田。

「どうだろう? まあ、おれたちに見えてたんだから、ふたりにも見えていたと考えるのが普通じゃないか」

「……さっき言った亮潤様が生み出した龍から、なんか光のようなものが発せられて、おれたち4人はそれを浴びた」

「光?」

「……」

その後山田はちょっと考えたいからと目をつむり、腕を組んで完全に自分の世界に入ってしまった。確かにあの風景、あの幻覚が気にならないでもない。ただ、そこまで深く考えても仕方ないだろう。

おれはどちらかというと今日の参加者の話が気になっていた。クロエやボンネの話、あれは本当にこの現実の世界で起こったことなのだろうか?  あの2人が嘘をついているとは思えなかった。ただ、それでもやはり信じることはできない。『時間を奪い』そんなことがまかり通ったら、世界は大混乱だ。

そして山田のフィアンセ。山田には悪いがどうにも胡散臭い部分がある。おれは本当に山田の結婚を祝福していいのだろうか? 少なくとも山田とは、この件に関して一度じっくり話さなくてはならない。結婚式の前に必ずだ。そう思ったところで、急に疲労感がやってくる。当たり前だ。やたら目まぐるしかった今日。映画でも見てゆっくりするつもりだったのに、朝一から叩き起こされ、3万円をカツアゲ、そのまま千葉の山奥へ拉致。3万円を払い、妙な儀式に参加し、 "たけし" になって、大学時代の思い出に浸り、参加者の奇妙な話を聞き、終いには炎の周りを回りながら干支を絶叫。昨日のおれが聞いたらびっくりするだろう。

それからしばらくして、『旅立ちの儀』を終えたクロエが控室にやってきた。途中お参りしていたボンネに会い、ボンネはそのまま『暁の間』に向かったという。おそらく30分ほどでボンネが次のおれを呼びにくるだろうと教えてくれた。どうでした? と聞こうと思ったが、やっぱりやめた。

クロエはそのまま着替えに向かい、山田は再び、自分の世界に舞い戻った。仕方ないので、おれも目をつむり、お得意の短い仮眠で疲れをとろうかと試みるも、どういうわけか、いつものような眠気は全くやってこなかった。

30分ほど経って、面談を終えたボンネが戻ってくる。
クロエは帰ってしまったのか、控室は相変わらずおれと無口な山田がそれを出迎える。

「どうでした? 亮潤様と何を話したんですか」

今度こそはとおれは聞いてみる。

「……すみません。内容は言えないんです。亮潤様がこれから『旅立ちの儀』に臨む参加者には、その内容を教えないようにと。変な先入観を持つのを防ぐためだそうです」

「ほぉ…なるほど」

意外な回答におれは少し戸惑う。

「亮潤様の話を聞いて……確かに僕もそれが良いかなと思いました」

「そうなんですね」

釈然としないままおれは答える。気のせいか、おれにはボンネの表情が若干重いように思えた。『旅立ちの儀』とは?  亮潤様と一対一で何を話すのか、ますます気になってしまった。

「今日はありがとうございました。またどこかでご一緒することがありましたら、その時はよろしくお願いします」

奥さんが心配だから先に帰るというボンネは、最後にそう言って、ご丁寧に名刺を差し出して来てくれた。はて、2度と会うことはないかなと思いつつも、おれも山田もそれに応じる。ボンネこと "斎藤雅人さいとうまさと"さんを見送り、おれはいざ、『暁の間』へと向かった。

(20)に続く




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