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【自己紹介】16-3 簡単に教えてもらえると思うなよ 3(Tちゃんのこと・中編)

今日もお読みくださってありがとうございます!
間に女子バスケの話の投稿をはさんでしまってすみませんでした。
いつものごとくこの記事のマクラに書いていたのですが長くなりすぎて切り出しました。

負傷退場、病院に搬送された長岡萌映子選手は無事だったそうです!あー安心して涙出た。

そして第3戦は……93対72で富士通の勝利。
強かったです富士通が。そうだよね富士通には町田も林も宮澤もいるんだものね、と殴られながら思い出す感じでした。2勝先勝方式はシビアで、一試合番狂せがあっても最終的な結果はなかなか狂わない。
シャンソンの小池、吉田、知名の涙にもらい泣き。シャンソンは2022-23シーズンにいろいろあったので、この涙のうらに一体どれだけの喜びやしんどさがあったろう……うう、すごい試合を見せてくれてありがとう!

そして決勝はDENSO対富士通。髙田選手と町田選手は各チームの看板でスターでありながら、優勝経験がないのだそうです。ううう、どっちも同じくらい好きー。来週の試合楽しみだ。


大好きなTちゃんは困ったちゃん

はあ、また横道に逸れてすみません。
さて、一昨日の続きです。

いいところがたくさんあって大好きなTちゃん。語彙の少なさや敬語の誤用など気になる点はあっても、彼女との関係性を大事に維持したいと思っていたくらたですが……。

困った・その1 「いい写真を撮るって聞いてます」事件

くらたが尊敬するカメラマンさんをお招きして、いっしょに仕事をしたときのことです。くらたはそれまでにもそのカメラマンさんに写真を撮っていただいたことがありました。尊敬するカメラマンさんと、仲良しのTちゃん、ぜったいこの仕事は楽しくなる!と思っていたのに……。

最初のあいさつでTちゃんはカメラマンさんに向かって「いい写真を撮るって聞いてます」と言いました。
褒めたつもりなんだろうがいったいお前は何様、何目線なんだ。「撮るって聞いてます」の敬語なしはもとより、「いい写真」というワーディングのぶしつけさがわかってないところに絶句。我らは素人、プロカメラマンを前に写真の良しあしを査定する立場に立つな。
カメラマンさんは気にしないでいてくださいましたが、くらたはいたたまれなかったです。なお正解例は……「◯◯さんのお撮りになる写真はいつも素敵だとくらたから拝聴しています」とかですかね。良し悪しを査定するような表現を避けて、素敵とか、自分は好きだとか、そういう表現にするといいですね。拝聴が難しければ、お聞きしております、とかでも謙譲になります。

細かいようですが、くらたは日本文学科卒です。
主語が省略されがちな古典文学では、敬語を正しく読み解かなければ誰が何をしたのか理解することができないので、くらたは学生時代からパズルみたいな感覚で敬語を楽しんでいました。
また、くらたの大学では日本文学科だけ、学部生と院生がたむろする部屋が同じでした。院生には一度社会に出てから戻ってきた方も多くいらっしゃったので、当時のくらたからしたらとんでもなく大人な方々のみやびやかで完璧な敬語を聞いて育ちました。
そんなくらたにとって、正しく扱われていない敬語を耳にするのは、正直大変なストレスです。何と例えればいいか……本屋の本棚に本が天地逆においてあったら、商品としては全く問題ないけれども、なんか変、なんか気持ち悪くないですか?
「悪意がないのはわかるんだけど失礼」というのは、そういう気持ち悪さがあります。

また、無用な査定もくらたは大嫌いなので「いい・悪い」という安易なワーディングも気になるうううう!中島誠之助が茶碗に「いい仕事してますねえ」って言うならまだしも、仕事の依頼主であっても素人がプロに使っていい言葉ではありません。
……細かい?でも気になっちゃうんだもの。画家や漫画家に「絵が上手いですね」って言ったら失礼でしょ?

くらた相手に日本語や敬語を間違えるのは全く構わないのです、くらたにとってはTちゃんとコミュニケートを継続する方が優先事項なので。
だけど、尊敬するカメラマンさんへの失礼は看過できない
自分がいました。

くらたが尊敬するカメラマンさんへ、Tちゃんが敬意を失していたことに対する怒り > Tちゃんと関係を継続すること > Tちゃんと話す際にくらたが言葉を選ぶ必要があることや、彼女が悪意なくぶしつけなところがあること

それは、広報用印刷物編集の仕事でした。
その後の校正のフェーズでもTちゃんから返事をもらえなかったり、FIXした後にTちゃんからぐずぐずと修正が入ったりもして、仲良しだから気づかなかったけれど、仕事ぶりとしてはどうなのかな、と思い始めました。
広報物制作の仕事の〆切感やFIX後の修正のありえなさは制作側の立場でやったことないとわからないし、彼女は予定や〆切などあってないような対人支援の仕事だったから、わたしが説明不足だった面もあるかもしれません。

カメラマンさんへの無礼も含めて、このときくらたが感じたことなどはTちゃんには話していません。連絡を絶ってからこんなところに匿名で書くよりも、このときにきちんと説明していれば違う現在があったのかも。
かぐや姫課長やナマズ先輩のことをあれこれと書くのは心が痛まないけれど、Tちゃんのことはちょっと咎めるものがあります。

困った・その2 「その心は?」事件

落語家の弟子は、師匠が名刺を渡したくない相手だと気配で察知して、「すみません、切らしています」と断るそうです。
その話を読んだのは、サンキュータツオさんの著書だったかな。

くらたは、Tちゃんより数年早く係長になりました。
係長になってから、安易に名刺を渡すのを控えるようになりました。
名刺など何を証明するものでもないし、事業責任者は管理職である課長だから係長ごときの名刺には大した効果もありません。それでも、フォローすべき事業の数も係員の数だけ増えたのでホイホイ名刺を渡して名指しで問い合わせが来たら時間がいくらあっても足りません。
そうして、ヒラのころよりは安易に名刺を渡さないお作法が身につきました。
しかし、そのことに忸怩たる思いがありました。「不器用だけど、誠実でまっすぐ体当たり!」みたいな信条を職業人としての自分の美点としていた部分があったからです。こうして文字化すると未熟で恥ずかしいですね。

くらたが悶々と葛藤を抱えながら「係長になってから名刺を渡さなくなった」とこぼしたら、Tちゃんは「その心は?」と聞いてきました。

そのときくらたが思ったことは、
ええーそれ聞いちゃう?
Tちゃんが無礼なのはデフォルトだけど、それにしたって「その心は?」って何その聞き方。「名刺渡したくないって何?理由いかんによっては私はあなたを軽蔑するけど?」みたいな感じ?
カメラマンさんに「いい写真」とか言っちゃうし、なぜおまえはいつもナチュラルに査定者側に立つ?
無意識なんでしょうけどね……。

説明しにくい聞かれたくないことをずけずけと聞かれて嫌な気持ちになりました。「16-1」で引用した下記の一節をまた思い出します。

好きなものを訊くのって、ちょっと失礼になるかもしれないと今でも思っている。テスト前に、真面目な同級生のノートを借りる行為に似ている。その人が必死で探したものをすんなりと教えてもらうというのは、正しくないのである。本人にとって、好きなものとは、そのくらい神聖不可侵で、尊厳と孤独に満ち溢れている。

『いつか別れる。でもそれは今日ではない』(F/KADOKAWA 公式HPへリンク)13ページからから引用

「神聖不可侵で、尊厳と孤独に満ち溢れている」のは「好きなもの」だけではない。心の中に抱えた葛藤や思い、経験、簡単には人前に出てこないもの、それらすべてが「神聖不可侵で、尊厳と孤独に満ち溢れている」ものだとくらたは思う。

書いていて、Tちゃんは「親しみ」はあっても、「敬意」という概念の薄い人だったのかもしれないと、今思いました。

「敬意」というのは僕の理解では「適切な距離感」のことです。
「鬼神は敬して遠ざく」というときの「敬」です。
白川静先生によると「敬」の原義は「羊頭の人の前に祝禱の器をおくかたち」だそうです。『字通』には「敬はもと神事祝禱に関する字である。それで神に仕える時の心意を敬という」とあります。
それは「親しみ」とか「なじみ」というものと隔たること遠い心意だと思います。

ある編集者への手紙 - 内田樹の研究室 (tatsuru.com)

そして、彼女に理解してもらおうと言葉を尽くせなかった自分もいます。
思うに、彼女はくらたをより近くに感じ、くらたは彼女をより遠くに感じていたのでした。

話が少しずれますが、先日、定期通院がありまして、カウンセラーさんに note. に休職前後のことやかぐや姫課長のことを書いていることを話しました。その際に「"喪の儀式”になっている」と伝えたところ("喪の儀式"についてはこちら)、「ああ、なるほどね」とそのまま通じたのです!おおおおお、さすが心の専門家。比喩的表現もそのまま通じる、受け取ってもらえる。「その心は?」などと聞かれない!
メンタル休職者でもカウンセリングを軽視する人がいますが、わたしは効果があると思っています。カウンセラーさんとの相性はあると思いますが、専門教育を受けた頭のいいプロに自分の話を聞いてもらってフィードバックしてもらえるなんて贅沢だと思うのにな。わたしにとっては必要な時間です。

今日もお読みくださってありがとうございました!
明日に続きます。

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