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編集後記「時を重ねて」

静かな日曜日の朝、小さなバルコニーで春の陽光を受けながら筆を取る。昨日までの雨が嘘のように晴れ、花びらのしずくがキラキラと輝く。小鳥のさえずりが聞こえ、大きく息を吸えば春の空気が胸を満たす。

イタリアに来て、3ヶ月が過ぎた。「過ぎ去った」という感覚がないのは、物事の非効率さと、それを補う人々の優しさに包まれて、時の流れがゆったりとしているからだろうか。もしこの世に時計がなければ、同じ時間が過ぎたと感じることはないのかもしれない。

新しい土地を知り、新しい人と出会い、新しいことを学ぶ。疲れに包まれて眠りにつく。目を覚ますと、眠い目を擦りながら山ほどある勉強に手を付ける。進みが悪いと嘆きながら、直火式コーヒーメーカーで朝のエスプレッソを入れる。何を学んでいるのか、どんな思考が深まったのか、何に生きるのか、ふと立ち止まって自分自身に問うと、広げた手のひらから砂が落ちるように何も残らないような気がして、焦燥に駆られる。

先日、フィレンツェを訪ねた。目の前に現れたサンタ・マリア・フィオーレ大聖堂の、あまりの美しさに言葉を失った。緑、白、ピンクの大理石が織りなす、大小バランスの取れた模様と、細部まで細工を凝らされた彫刻。ため息が出るほどに美しい。街を歩いて再び戻ってくると、また違う顔に出会う。一生見ても見飽きることはないと思う。3年ぶり3回目にして、はじめてフィレンツェの美しさに虜になった。

この大聖堂が歩んできた歴史を想う。進んでは止まる建設計画。天才と言われる芸術家たちが頭を捻り、何百年も何千人の人が汗をかいてきて、こうして今、多くの人が「懐かしい」と思える場所になったのだ。

3年前の今日、この街を歩いてた時には感じなかった感動を胸に帰りの電車に乗る。ふと焦ることもないと気付く。本田宗一郎さんが残した言葉を思い出す。

どうせ一度の人生なら好きなことをとことんやるべきだ。そうすりゃ、それがやがて社会の役に立つ。

そう信じて今日ももう少し、好きなことを突き詰めてみようと思う。

さて「一番近いイタリア」も、早10号めの刊行となった。記念すべき本号の刊行に、今この文章を読んで下さっている読者の皆様がいてくれることに感謝の気持ちでいっぱいだ。来号は夏。お楽しみに!

※本記事は雑誌「1番近いイタリア2022年春号」の編集後記です。
「1番近いイタリア」についてはこちら。



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