「ビジネスと文化」を食で論議する
今回は安西さんの「『ビジネスと文化』を論議する」を読んで考えたことを徒然なるままに。
https://comemo.nikkei.com/n/n1a18301c9333
なぜ私がこの記事に興味を持ったかというと、「文化を価値コンテンツとして、社会を豊かにするビジネスにする」ということに最近の関心が向いているからです。
「文化を金儲けに使うのは嫌らしい」というある種タブーめいた感覚があるのは私だけではないと思うし、長年の合理主義により両者が乖離して久しい現在、本気で向き合おうと思うと根が深かったりします。
しかし思うに、これからはビジネスを行う側の「品性」が大事で、眠った価値を可視化して、社会に還元することで人が幸せになるのなら、それは良いことで、それに人々が対価を払うことでそのサイクルが持続的に回るならば、ビジネスにするのは悪いことではないですよね。
私自身、お金持ちになりたいからではなく、最終的に社会にどんな価値をもたらすかを考えた時に、want/can/shouldで、私はやはり文化(広いけど、ここでは深入りしない)は心を生活を豊かにし、それは色んな人の人生を豊かにすると信じているし、自分のバックグラウンドとしても両者の境界を行ったり来たりして、ポスト資本主義のこれからの時代は文化が鍵だと思っているので、「ビジネス×文化」は自分がしっくりとくるフィールドだなと思っていたりします。
ビジネスにおける文化
さて、文化とビジネス。
やはり両者はまだ距離が遠い。ヨーロッパ、特にイタリアもこの点上手だなと思うことも多いけれど、でもまだ遠い。
安西さんの記事にはこうあります。
ブランドのコンセプトの中に、自分たちの文化アイデンティとの整合性が図られ、その結果、ローカル文化への比重が高くなり、ビジネスと文化の重なり合いが可視化されてきたとのこと。
あんまり日本でこういうブランド作りはみないですよね。
表面的に「坂本龍馬も愛した〇〇」ではなく、その精神性はどんなものだったのか、彼を生んだ土佐の土地がどんなものであったのか、歴史と文化を掘り下げていったところの自分たちのアイデンティティを起点にするブランドは強く、長く愛されるのでしょう。
実は、日本も1970年代から「エコノミックアニマルではない文化国家になる」との意見は長くあるとのこと。安西さんの記事に引用されている1980年大平内閣で生まれた政策研究会 文化の時代の経済運営研究グループの報告書に
という文章があります。
50年以上前に気づいておきながら、実際に文化とビジネスの乖離はまだまだ埋まっていないように思います。経営層の文化の重要性に対する認識や、当期の利益を優先する経営決定の仕組みの問題なのかもしれないし、文化をブランドに取り入れるということ自体が良く分からないのかもしれません。いずれにしても、まだまだヨーロッパから学ぶことは多いと思いますし、でもこれだけ世界稀なユニークな文化を持つ日本は逆にいうとその分、ポテンシャルに溢れているのです。
「文化とビジネス」を食で考える
文化とビジネスという文脈で見ると、「食」はケースとして分かりやすいかもしれません。自分のフィールドでもあるので、今回は食で考えてみます。
最たる例が「郷土料理」でしょう。
料理家として私が料理を説明する時にはいつも「土地の歴史という縦軸と、自然環境という横軸、人という斜め軸で料理が出来る」といっていますが、地域性豊かな日本に元々存在してきた「地のもの」意識と相まって、近年のテロワール志向も食にはすんなりと馴染み、日本でも土地と食の関係させて話すことが多いですね。
ところが、郷土料理はper seでは、それ自体では郷土料理にならないのです。
食材を生み出す自然環境、人々が食べて飲んできた歴史的コンテクスト、それを現代の私たちが作る意味、その3軸が重なる点において初めて「郷土料理」としての料理ができるのです。
ケース1)郷土料理としてのラザニア
例えば、ラザニア。
みんな大好き。濃厚なラグーソース、ペシャメルソース、パスタを何層にも重ねてオーブンで焼き、ナイフで切って口に運ぶと、まろやかな旨味たっぷりのソースと卵生地のパスタが絶妙なハーモニー。
今や、ボローニャに来てラザニアを食べない人はいないと言われる代表的な郷土料理。
でも、そんなボローニャ名物ラザニアは、実は、新参者。
卒業論文でもこの地の料理をオーラル・ヒストリーのアプローチで研究していた結果、この地の人々によって今の形のラザニアが生まれたのは、1980年代と分かりました。
もちろん、誤解がないようにいうと、「Lasagna」というパスタ自体は古代ローマの「lasanum)」が起源で、生地を伸ばして具材を置いて焼くだけのシンプル極まりないパスタは3000年の歴史を持つと言われます。
また、パスタのオーブン焼きというコンセプト自体も古く、庶民料理としても南イタリアではすでに1900年代にはクリスマスや日曜日の特別な料理として食べられていました。
それでは、なぜボローニャでラザニアが生まれたのか。
マンマが大きな麺棒で薄く広げて作る卵生地の手打ちパスタ、庶民が食べ続けてきたラグー(例えば、ボローニャ郷土料理ラグー・ボロネーゼは元々は仔牛など使わずに、手に入る肉を挽いて煮込んだこの地域の農民が何百年も食べてきた家庭料理)、フランスから再輸入された後、20世紀にようやく宮廷料理から庶民料理に落ちてきたペシャメルソース、庶民の調理器具に暖炉の火ではなくオーブンが入ってきた技術進歩、そして、やはり非常に手間がかかるこの料理を人々が作る文化的コンテクスト(典型的には年に一度のクリスマスに、家族みんなが集まった時に食べる)、これらが合わさって、ハレの日の庶民の料理としてのラザニアが作られるようになり、1980年代になるとツーリズムの文脈と合わさって「郷土料理」としての地位を確立していったのです。ラザニアの層にはそうした層があるのです。
しかし、これだけの文化的背景があると、強い。圧倒的な説得力がありますよね。
当然、世界各地に(これをラザニアと呼ぶにはおこがましいような)ラザニアがあるのだけれど、でも、ボローニャのラザニアは絶対的な地位を築いています。
今や、美味しいものはいくらでも手に入る時代。
こうした文化をベースとしたプロダクトに、どれだけコンテクストとパッションを乗せられるか、伝えられるか、がビジネスのベースになるのです。
ケース2)世界一予約の取れないミシュラン
さらに、もう一歩進むと、そういった郷土料理をベースに、昇華させ高付加価値化している例もありますね。
例えば、モデナのミシュラン三ツ星「オステリア・フランチェスカーナ」。
https://osteriafrancescana.it/it/
世界のレストランのあらゆる賞を受賞し、イタリア・ミリオーレ・レストラン2023で1位に輝き、最も予約の取れないレストランと言われ、今や時の有名レストラン。
私のボローニャの親友(シェフであり料理研究家)が30歳のお誕生日に行った時の話を聞き、美しい一品一品に込められた意味を聞くと、あっぱれ。
それまでのモデナの郷土料理の歴史を深く理解した上で分解し、要素を再構成して料理にする。
伝統の再解釈と再構築。
文化を価値の源泉に、自らの努力と実力で人々にアドオンの価値提供をするのです。
文化とビジネスの線を太くする、1つの例ではないかなと思います。
文化コンテンツを価値に、ビジネスにするには
では、最後に、どうしたらこれが可能になるのかについてほんの少しだけ考えてみます。
文化コンテンツを価値化するには、どんなことが必要なのか。
私は2つあると思います。内の深堀と、外の視点。
まずは、そのプロダクト/サービス、またそれが浸ってきた文化の源泉を辿ること。
例えば、日本酒。これは文化ですよね。
私は2022年まで国税庁関連の日本酒の海外ブランディングプロジェクトにコンサルタントとして関わっていた事があり(大コンサル会社の一コンサルですが)、その時にプロジェクトを坦々と進める横で、文化×ビジネスをお酒の文脈で考えていたりしました。
土地の自然環境と、歴史と、作り手の哲学と。それらが重なる点に1本のお酒ができているのですね。
それに、外からの視点。
往々にしてあるのは、自分だけでやっていると価値が眠ってしまうこと。イタリアの伝統産業の事例をみていると、パートナーを組むのが上手で、友達でも他でも一人でやろうとしないのですね。
比較を以て価値ポイントがわかります。正しい軸を設定して、位置付けを得るのはとても重要です。
そして、上の内の深みは、人に説明できて初めて価値が伝わります。伝え方にはやっぱり外の視点が必要です。
この2つを行き来して、見えてきた本質的な価値。それを訴求できるコンテンツにする。
文字で言うと簡単なのですが、それを実際に形にしていくしかないのかなと思います。
ということで、思ったよりだいぶ長くなってしまったのですが、「文化とビジネス」というずっと付き合っていきたいテーマについて徒然なるままに書いてみました。
そんなに言うなら自分でやってみろ、とも思うので、自分で事例を作ってみようと思います。
一緒に議論したい方、ぜひお話しましょう。
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