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※この記事は「1番近いイタリア2022年夏号」の巻頭エッセイの抜粋です

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7月24日、日曜日、快晴、気温36度。浜に寄せる波の音、お腹の底を揺らすような海の家の音楽、風に乗って届く人々の笑い声。夏だ。

燦々と輝く太陽の光を受けて、水面をこれみよがしに輝かせる海面に、子供も大人も思い思いに波を立てる。大きく息を吸うと、湿った潮の風が音を立てて肺に入る。隣にいる友人に水をかける。倍返しに水をかけられると、ええい、叫びながら海に飛び込む。ばしゃん。すぐに顔を上げれば耳元でざばっと水が舞う。ひとしきり騒ぐと、友人たちは浜に上がっていった。

埋め尽くすように人々の頭が浮かぶ海は、相変わらず騒がしい。魚も群になり、早足で人々の間を器用に通り抜けていく。

泳ぎ疲れて、大の字になって海に浮かぶ。その途端、訪れたのは静寂だった。先ほどまで私を包んでいた音たちは、ふっと姿を消し、突然世界が自分一人になったようにしんと静まり返る。そうか、私は一人なのだ。と、次の瞬間、大きな波が頭から押し寄せ、顔全体が波の間に埋もれると、塩辛い水を吸い込み、バシャバシャと顔を上げた。浜辺で友人たちが手を振っているのを見て、波をかいて浜に上がった。相変わらず海の家では、DJが張り切って今年流行りの歌を盛り上げていた。

マンマの夏の家に戻ると、ランチに家族や友人たちが集まっていた。久しぶりに会う人々と次から次に挨拶をかわし、矢継ぎ早に飛んでくる質問に答え、ようやくのことで急いでシャワーを浴びると、風の吹くテラスで昼食の席に着いた。グラスを合わせ、食器とフォークが重なる音をバックグランドに、会話に花が咲く。気付けばコーヒーも飲み終わり、まだ波に揺られているような感覚の中で眠りについた。

次の日も、その次の日も、波が押しては引き返すように、海と家を往復する。海風に錆びた自転車がきしみながら進む。海までの道、木々の下を歩けば蝉が盛大に鳴いている。夏休みだ。あらゆる音を賑やかに鳴らし散らしながら、時間がゆっくりと流れていく。

ある時、夜ご飯を食べ終わると、おじいちゃんが昔の話をし始めた。近頃は認知症が進んだにもかかわらず、はっきりとした口調で一言一言喋る様子に、私たち子供たちは真剣に耳を傾ける。夏の長い日が落ちた後、テラスには穏やかな夜風が吹く。方言が入って私に分からない部分は、長男が落ち着いた声で訳してくれる。貧しい農家だったおじいちゃんは農業では生計を立てられず、戦後すぐ、家族を置いてドイツに出稼ぎに出た。週に7日、朝早くから日が暮れるまで、建設の重労働に従事する。言語も通じない、知り合いもいない。インターネットもない時代、月に一度の妻からの手紙で家族の状況を知り、年に一度クリスマスに1週間帰郷する生活。

そんな話も終わりに差し掛かった頃、25歳になる孫のフランチェスコからマンマに電話がかかってきた。マンマがおじいちゃんにスマホを渡すと、ビデオ電話でおじいちゃんも孫に話しかける。スマホを握りしめ、画面越しの孫の顔を見て「今回は夏の家で3回も会えて嬉しかったよ。帰ってくる時は、いつでもここで待っているからね」という。その様子に、決して言葉に出すことはなかったけれど、きっとそう思っていたであろう自分の亡き祖父の気持ちを重ね、思わず涙腺が緩んだ。

海と家を行き来する。数週間が過ぎた。ある夕暮れ時、ヨガでもしてみようかと浜に向かった。海水浴客は引き上げ、遠くの浜でサッカーをする少年たちの声が聞こえる。ザブンザブンと同じリズムで浜を打つ波の前で、大きく息を吸っては吐く呼吸に、心臓の鼓動。

ヨガを終えると、残り日を受けて温かい砂浜に腰をおろした。気付くと少年たちも家に帰り、シンと静まり返る浜辺に私一人が残っていた。音に溢れるイタリア家族や友人に囲まれて寂しさなど感じる余地もなかったのに、今、音一つ立てない静かな水平線を前に吸い込まれそうになる。結局は人は孤独の中で生きていくのだ。その当たり前の事実に、ふと涙が頬を伝う。生きる力とは孤独を味方に付ける力ではないだろうか。なぜならば、人は孤独を味方につけることで、人を真に愛することができるから。その逆説に納得がいく頃には、風で涙は乾いていた。目線を上げると、グラデーションに染まる空が美しい。波は変わりなくリズムを刻む。明日もきっと良い日になるだろう。

※この記事は「1番近いイタリア2022年夏号」の抜粋です

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