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『自分の表現したい性別』の話

Ⅰ. はじめに

私は、からだの性は女性として産まれ、こころの性は中性の、いわゆるXジェンダー (FtX) だ。
そして、両性ともに恋愛対象のバイセクシャルである。

私は可愛らしいものもかっこいいものも大好きだ。
男性的に振る舞いたい日もあるし、女性的に振る舞いたい日もある。
最近は男性的に振る舞う方が気持ちが落ち着く。
また、ここで一つ注釈を添えておきたいのが、私は戸籍上の性別を変えることや、男女どちらかに性自認を完全に固めることは特に考えていない。

私は性別というよりかは、いつでも自分が落ち着ける姿に重きを置きたいと考えている。
それがただ日によって女性的な姿だったり、男性的な姿だったというだけである。

私はありのままの自分の表現したい姿をしたい。
そこに、性別の壁は関係ないと思っている。

この記事は、いわゆるLGBTQ当事者の私の視点から、ジェンダーについて考えたことを書き記したものだ。この記事が、人々がジェンダーについて今一度考え、差別をなくし、理解を深める一助となることを願う。
(実際にはLGBTQの他にも多様な性自認や性的趣向があるが、この記事ではそれらも含めてLGBTQとして表記を統一させて貰う。予めご了承頂きたい)

Ⅱ. いじめによって考えた "違和感"

私は現在高校2年生の17歳で、通信制高校に通っている。小中学生時代に主に身体障がい者であることからいじめに遭っていた。

私が『同性が好きなのかもしれない』、『もしかしたら自分は男性の格好をしたいのかもしれない』と薄々考え始めたのは、まさにいじめの被害に遭っている真っ只中の小学6年生の頃だった。

私が小学1年生の入学当初から一緒だった、同性の当時の親友に、友情では括ることのできない、それ以上の恋慕の情を覚えたこと、そして修学旅行の夜、入浴の際に自分の身体を同性のクラスメイトにまじまじと見られ、発育し始めた胸に違和感を感じたことがきっかけだった。

親友に恋したのではないかと思った時、最初は異性に恋愛感情を抱く周りの同級生を見て、もしかすると一般的ではないことなのだろうか、と焦りを感じた。自分の女性らしいからだつきに、そこはかとない違和感を感じた時も、そうだった。
当時はLGBTQ含めジェンダーに関することの概念を知らなかったことが要因の一つだろう。

その未知の体験に、名前がつかなかったことが、何にも形容できなかったことが、不安だったのだろうと、今になって思う。

さらにその不安を加速させたのは、冒頭で述べたいじめだった。

親友にふとカミングアウトしたのが誰かを経由していじめっ子達に漏れてしまったらしく、

『○○さん(私)は女のくせに、気持ち悪いね』

と言われてしまった。

『女のくせに』。

言われた瞬間は『気持ち悪い』というストレートな暴言だけが先行して頭を駆け巡り、傷ついていたが、後々になってから、この言葉がどうも引っかかっていた。

生まれ持った性別と、それに付随するような恋愛対象に違和感を持つのは悪いことなのだろうか、と考えていた。

いじめっ子たちの言う『気持ち悪い』という感情は一体どのようなところから湧いたのか、私にはどうしても理解不能だった。今も正直、解らずにいる。

そんな私の違和感にようやく名前があると気付いたのは、中学1年の時だった。

Ⅲ. 広い世界を知った瞬間

中学校に入学したものの、尚も加速するいじめによって体調を崩し続け、保健室に通っていた時のことだ。ふと保健室の本棚にあったとある本を読み、そこで初めてLGBTQの概念と、それらは決して何もおかしくはないことを知った。

その時の安堵感、肩の荷がすとんと落ちた感覚は今でも記憶に新しく、生々しく覚えている。

だが、前述した小学校時代の一件で、
私は家族や新しい友人含め、他人に『自分はLGBTQ当事者である』とカミングアウトする勇気をなくしていた。完全にカミングアウトするという行為がトラウマと化していた。

私はしばらく誰にも言えぬまま、月日は流れ、別室登校や転校、児童精神科への入院を経験していた。

児童精神科に入院してから1ヶ月弱経過した頃だったか、信頼できる主治医の先生の定期診察の時に、ふと自分のジェンダーについて紙に書き出して先生に説明した時があった。

インターネットや書籍を中心に調べたこともまとめつつ、今自分がどんな人を好きになるか、自分がどんな性別を表現したいかを書いた。

勇気を出して、先生に紙を渡した。
先生はしばらくそれを読んだ後、

『それでもいいと思うよ。先生は今まで同じケースの子を沢山見てきたし、別に珍しいことでもおかしいことでもないよ』

と至って普通に、当たり前に言ってくれた。

そこに特別な重みを持たないことが、何より嬉しかった。

その日から、少しだけ、カミングアウトに対するトラウマは和らいだ気がした。

それから無事に退院し、さらに月日は流れ、高校生になった。

高校生になってから、インターネット上で活動するとある方を知ったのだが、その方を見て、やっとで自分に嘘をつかない生き方ができそうな気がした。

その方というのは、ミュージシャンとしてTikTokやYouTubeなどで活動されている、いわゆる男装女子の、音羽さんだ。

音羽さんは普段から短髪のウィッグを被り、メンズライクな装いと、振る舞いで活動している。

音羽さんのことは、私が好きなバンドがベストアルバムを発売した際の、様々なミュージシャンからのコメントで知ったのだが、そこから音羽さんに興味を持ち、音羽さんが伸び伸びと心から楽しんで活動している様子を見る度、自分が表現したい性を素直に表現することはこんなにも素晴らしいことなんだ、と実感した。

別に性別に囚われなくても、恋愛対象に囚われなくても、いい。

自分が一番心から"自分自身"を表現できる姿になればいい。

彼女の言葉や一面に触れる度に、そんな気がした。

音羽さんが活躍される中で、彼女からひとつ勇気を貰えた。

広い世界を知った瞬間だった。

Ⅳ. さいごに

出先で疲労の中書いた為、いつもよりつらつらとまとまりのない文になってしまったが、最後に私が伝えたいことを書いておく。

私が何年もかけてたどり着いた現状の結論は、
性別なんて気にせず、一番自分がしっくりくる自分を生きればいいのだ、ということ。

そして、この世界のどんな愛情も、どんな性別の表現の仕方も、誰かに牙を剥く行為をしない限りは不可侵の自由であるべきだ、ということ。

私はこれからどんな大人になるだろう?
17歳の先の未来で、私が誰を好きになるか、どんな性別を表現するかはまだわからない。

けれど、この悩みを経たことで、大きな成長が私にとってあったと思うし、私はこれからも、どんな形であろうと自分を愛したいと思う。

そして、この記事をここまで読んでくださった誰かも、自分を愛せますように。

そう願って、今回は筆を置こうと思う。

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