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本"Émeline nel villaggio dei Giusti"のプレゼンを拝聴する

先日、私が通うフランス語の学校で、Daniela Palumboというジャーナリストの最新作の小説、「Émeline nel villaggio dei Giusti("正義の村のエメリーヌ"とでも訳そう)のプレゼンがあった。
Daniela Palumboはフランス語は話せないようだが、この小説の舞台となった場所が、Le Chambon-sur-Lignonという、第二次世界大戦の頃にナチスから逃げたユダヤ人のための避難所があったフランスの村で、彼女が執筆するにあたり世話になったという、その村の記念館Lieu de Mémoireの責任者Floriane Barbierとオンラインで繋ぎ、当時の村人たちの話や作者の想い、そしてGariwo(Gardens of the Righteous Worldwideの略。「個人の責任を教育することにより義人を知らしめること」の普及を目的とした団体)という団体の代表者も含め、ディベートがなされた。

本-Émeline nel villaggio dei Giusti-の表紙

作者の代表作、「アウシュビッツのスーツケース」の主人公の一人であるユダヤ人の子供エメリーヌは、1942年のパリでの一斉検挙から逃れることができた。しかし、青い雨戸のあるアパートに帰ることはできない。両親はいないし、隣人は不良ばかり。幸いなことに、ジャック、ファビアン、乳母のアマンディーヌ、そして親友のルネが彼女を匿い、安全な場所に連れて行ってくれる。こうして、長く危険な汽車の旅を経て、エメリーヌはナチスへのレジスタンスが活動する山村、Le Chambon-sur-Lignonに到着する。そこでエメリーヌは、彼女のような難民たちとともに、いつか両親と分かち合いたいと願う空を常に見つめながら、生活を立て直そうとする。第二次世界大戦中、Le Chambon-sur-Lignonの住民は、3千人から5千人のユダヤ人を自宅に匿い、強制送還から救った。1990年、このフランスの村と近隣の自治体は、エルサレムにある国立ホロコースト記念組織Yad Vashemから集団功労賞を授与され、この地域は「諸国民の中の正義」の象徴となった。

本の説明を意訳

既に冒頭だけ読んで、「シマ子め、またユダヤか」と思われた方もいらっしゃるとは思う。しかし今回については、ユダヤについての知識を深める目的ではなく、フランス語のリスニング目的で行ったので(しかし内容が複雑なだけに、高度でほぼわからず、イタリア語訳が頼みの綱だった)、この本を読もうとも思わなければ、お勧めもするつもりもないが、小学校の中・高学年以上を対象としているため、イタリア語を学習されている方には良い読本かもしれない。

また本とは別に興味を持ったのが、舞台となったLe Chambon-sur-Lignonが、、、
・戦後間もなくの頃に主要な観光地であったため、ここの観光案内所がフランスで最も古い観光局の一つであること
・近くに滝や天文台や湖があり、美しい長閑な自然の中でゆっくり過ごせそうなこと
・高山地帯にあるため、夏でも平均最高気温が22度程度であること
等の、夏・太陽・夏の海・パーティーといった暑苦しさを連想させるもの全てが嫌いな私にとって、"いつの日か、夏の夜長にランプを灯し、虫の声を聞きながら、星を眺めて創作活動できそうな雰囲気"、が容易に思い描ける土地であることだ。

加えて、この村がVelay Expressという観光・歴史鉄道が走っている区間に含まれており、主要都市からは外れていてかなりローカルな単線ではあるが、トレッキングや自転車こぎ以外でも風景を楽しめそうなのも魅力的かな、と思った。

もうこれで、かなり観光情報も載せたので、ユダヤについてばかり書いていないことが証明できたはずだ😂

Le Chambon-sur-Lignon
フランスのAuvergne-Rhône-Alpes地域圏Haute-Loire県にあるコミューン。

16世紀の宗教改革以来ユグノーの町であったこのコミューンとその地域は、20世紀初頭から「貧しい人々のための観光地」であった。
第二次世界大戦中、この村と近隣のコミューンは、STOの徴兵忌避者を受け入れ、ユダヤ人を助ける住民の努力で有名になった。
1938年にこの教区の牧師とその妻は、強制収容所への強制送還の危機に瀕しているユダヤ人を救うための学校、École nouvelle cévenoleを設立。二人とも、村人たち(主にプロテスタント教徒で、自分たちの迫害の記憶がまだ鮮明だった)に、彼らを自宅や近隣の農場、公共施設に引き取るよう促した。もう一人の牧師は、ドイツ軍のパトロールが近づくとユダヤ人たちを山に隠し、危険が去った後に地元民たちに山中で歌を歌わせ、それをわからせた。
この地域の住民は、温かく歓迎するだけでなく、偽の身分証明書や配給カードを提供し、スイスとの国境越えを手伝った。しかし、この勇気の代償として逮捕され、強制送還された者もいた。
Le Chambon-sur-Lignon地域に一時避難したユダヤ人の数は5,000人とされているが、一部の歴史家は、より慎重に見積もって、難民約3,500人、あるいはユダヤ人約1,000人(うち30%は子供)と推定している。

Wikipediaより抜粋

折角なので、Lieu de Mémoireのサイトのリンクも載せておこう。

ローシーズン→水~土曜 14~18時
ハイシーズン→月曜以外 10~12時半、14~18時
入館料 5Euro

ところで、大戦下でユダヤ人たちを匿った村が、フランス語圏ではLe Chambon-sur-Lignonの他にベルギーにもあるそうだ。ただそこの名前はディベート内では出てこず、多少の検索ではヒットしないので、詳細はわかりかねる。もし気になる方は、PCの前で目を見開いて粘って検索してほしい。

※最後に
ディベートを行った三名が終始、三様の意見を持ち、語るので、1時間半の会では本の内容にはほぼ触れられず、私自身も上に載せた意訳以外の内容を把握してはいない。しかし彼女たちの意見が分かれた、というか全く合わなかった興味深いポイントが一つあったので、最後に触れておこうと思う。

それは、ユダヤ人たちを匿った村人たちが自分たちの行いを後世になっても決して語らなかったこと、そして彼らの行い、つまり彼らに救われたことを、命拾いした当人であるユダヤ人たちが語ることで、この事実が世間に広まったことに対するものだ。

Floriane Barbierによると、元来山の住人は寡黙な人が多いが、ここの村人たちもまた静かな人々で、通常通りの生活を続けたい、生活を乱されたくないために、自分たちの行いを語らなかったそうだが、Daniela PalumboとGariwo側にしてみると、「従順しない強さと意思」に重きを置き、村人たちにはそれがあったのだ、ということ、そして現代では多様性が受け入れられるようになってきているので、若者たちにも自分の頭で考え、是非「従順しない強さと意思」を持ってほしい、というメッセージと共に会が締めくくられた。


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