clean_eel465

フォルマシオン・ミュジカルのテキスト和訳を通して、音楽的な発見をするアイデアをとても嬉…

clean_eel465

フォルマシオン・ミュジカルのテキスト和訳を通して、音楽的な発見をするアイデアをとても嬉しく思います。Je suis vraiment heureux a l'idee de faire avec toi d'autres decouvertes musicales.

マガジン

  • エクトール 第4巻

    音楽的な発見を共有し、様々なジャンルの音楽を聴きながら、世界の地域や歴史を縦横無尽に旅してゆきましょう。

  • エクトール 第3巻

    エクトール第3巻に掲載された楽曲

最近の記事

La maja de Goya ゴヤのマハ

E.Granados グラナドス(1867-1916) スペインの作曲家グラナドスは、画家フランシスコ・デ・ゴヤの作品にインスピレーションを得て、Goyescas(ゴイェスカス)を含む複数のピアノ曲を書きました。 Les Tonadillas(トナディラ)は、声とピアノによる作品です。ダンスのリズムと人気のあるメロディーによる豊かな装飾が取り入れられています。 Goyescas(ゴイェスカス):ピアノ独奏のための組曲(1911) 副題「恋する若者たち」 (Los maj

    • marche des prêtres 司祭たちの行進  オペラ「魔笛」第2幕 / モーツァルト

      1:12:47 第2幕冒頭「No.9 神官の行進」 W.A.Mozart(1756-91) オペラ「魔笛」はモーツァルトの死の年(1791年)にウィーンで作曲されました。フランス革命(1789-1795年)と同時代、この作品は平等、友愛、博愛の考えを擁護しています。 このエピソード(第2幕冒頭)では、大祭司ザラストロが知恵の神殿に向かって厳かに行列を先導します。 「魔笛」のあらすじ 囚われた王女を救出する王子の成長物語。 舞台は古代エジプト、架空の世界です。 夜の女

      • Chanson Bohème ボヘミアの歌   オペラ「カルメン」第2幕

        作曲家:G.Bizet ビゼー(1838-75) フランスの作曲家ビゼーは、「アルルの女」やオペラ「カルメン」など、数多くの舞台音楽を書きました。この「ボヘミアの歌」は、オペラ「カルメン」第2幕から、ボヘミアンたちが集まっておしゃべりしたり踊ったりする居酒屋の主;リラス・パスティアの家でのアクションです。 オペラ「カルメン」 オペラ「カルメン」は4幕からなるフランスのオペラで、1875年にパリで初演されました。フランスの作家P.メリメ(1803-70)がスペインへ旅行し

        • Come o'er the Sea 海を越えておいで アイルランド民謡

          アイルランド民謡「come over the sea」 ※「o'er」は、「over」の詩的な短縮形です。 歌詞:Thomas Moore (1778-1852) トーマス・ムーアは、アイルランドの詩人。アイルランド古謡に英語の歌詞を加えた『アイリッシュ・メロディー』(Irish Melodies アイルランド歌曲集)「ミンストレル・ボーイ」や「夏の名残りのばら」(= 「庭の千草」)の作詞者として知られています。 1 Come o'er the sea, Maiden

        La maja de Goya ゴヤのマハ

        マガジン

        • エクトール 第4巻
          6本
        • エクトール 第3巻
          17本

        記事

          Hello! Ma Baby

          J.Howard&I.Emerson (ハワードとエマーソン) 1899年 ハワードとエマーソンのソングライティング・チームによって書かれた、ティン・パン・アレーの楽曲。 当時、電話は全米の10%未満しか普及していない時代でした。電話でしか話したことのないガールフレンドがいる男性が主人公の曲です。 Tin Pan Alley(ティン・パン・アレー)とは アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタン28丁目のブロードウェイと6番街に挟まれたエリア。1890年代後半、ブロード

          Hello! Ma Baby

          去っていった人に(Der Entfernten)D.331(2T.&2Bs)

          作曲 F.シューベルト(1797-1828) ドイツの詩人に影響を受け、ロマンチックな魂の苦しみを歌曲で表現しています。この親密な音楽は、ウィーンのサロンでよく演奏されました。 作詞 J.G.F.von サリス・ゼーヴィス(1762-1834) スイス・サリスの貴族で詩人。パリのスイス衛兵隊将校でしたが、フランス革命の思想を支持して、1793年までパリに留まりました。 <シューベルティアーゼ>から生まれた重唱曲 『去っていった人に』D.331は、テノール2声とバス2

          去っていった人に(Der Entfernten)D.331(2T.&2Bs)

          連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」第1曲『さすらい』

          作曲者:F.シューベルト(1797-1828) ドイツ・ロマン派の音楽家。600曲ほどの歌曲、有名な室内楽「鱒」、交響曲第 8 番「未完成」を含む交響曲を作曲しました。 1808(11歳)  寄宿制神学校で宮廷礼拝堂少年聖歌隊に所属する。 1813(18歳)  変声後は聖歌隊を去り、父の学校で教師として働く。 1816(21歳)  教職を辞し、作曲のみで生きる。 ウィーンに生まれ、幼少より音楽の才能を見出されたシューベルトは、奨学金を得て、寄宿制神学校(コンヴィクト)に

          連作歌曲集「美しき水車小屋の娘」第1曲『さすらい』

          オラトリオ『四季』から第4曲 アリア「農夫は今、喜び勇んで」より抜粋Oratorio [Les saisons] 

          *作曲者:J.ハイドン(1732-1809) ヨーゼフ・ハイドンはフランス革命の時代に生きた人です。四重奏曲や交響曲で有名ですが、晩年には宗教作品も作曲しました。(オラトリオ『四季』『天地創造』) ハイドン 楽長職を辞した後は 1790(58歳)エステルハージ家のニコラウス公爵死去に伴い、29年間務めた宮廷楽長職を辞しています。 1791~92(59~60歳)初めてのイギリス訪問 1794~95(62~63歳)二度目のイギリス訪問 2度のイギリス訪問は大成功をおさめ

          オラトリオ『四季』から第4曲 アリア「農夫は今、喜び勇んで」より抜粋Oratorio [Les saisons] 

          交響曲第94番「驚愕」

          *作曲者:ハイドン(1732-1809) この作曲家はモーツァルトの忠実な友人で、ウィーンとロンドンでも非常に有名でした。ロンドンでは、交響曲第94番「驚愕」を含む12曲(108 曲の交響曲のうち)を作曲しました。 *聴いて発見 交響楽団 オーケストラには、弦楽器、打楽器、管楽器 (木管楽器と金管楽器) の、さまざまな楽器が集まります。 ハイドンの時代、オーケストラには通常次のような楽器が含まれていました。 ・弦楽器:第1・第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバ

          交響曲第94番「驚愕」

          Danse de la fée dragée 金平糖の踊り

          Extrait du ballet [Casse-Noisette] バレエ「くるみ割り人形」より抜粋 *作曲者:P.I.チャイコフスキー(1840-93) このロマン派時代のロシアの作曲家は、多くのバレエ(「眠れる森の美女」「白鳥の湖」)の作曲者です。この抜粋では、クララはお菓子の王国にいることに気が付きます。 *聴いて発見 テーマ:リズムが特徴的(2つの16分音符と1つの8分音符) このリズムを記憶して、聴いてみましょう。どのくらいの頻度で、このリズムを耳にします

          Danse de la fée dragée 金平糖の踊り

          5つのロマンスとリート Op.84

          5つのロマンスとリート Op.84(1881) 第1曲 夏の夕べ 第2曲 花の輪 第3曲 果物畑で 第4曲 甲斐なきセレナーデ 第5曲 緊張 作曲:J.ブラームス(1833-97) 慎ましい家庭に生まれたブラームスは、ポピュラーなメロディーに大きな影響を受けました。彼は、チャイコフスキーと同時代の作曲家です。 第1曲  夏の夕べ [Soir d'été] この曲は、母と娘の対話です。前半は、母親がニ短調で歌います。後半は、ニ長調で娘が歌います。 歌詞:H.シュミッ

          5つのロマンスとリート Op.84

          G.Brassens(1921- 81)

          Georges Brassens(G.ブラッサンス) フランス生まれのシンガーソングライター・シャンソン歌手。愛、友情、抗議をテーマとする歌をギターで伴奏しています。彼はまた、F.ヴィヨン、V.ユーゴ、P.フォート(『小さな馬』)の詩にも音楽をつけました。 Le petit joueur de flûteau(笛を吹く少年) Je rejoindrai ma belle(あの娘に遭いに) 学び:平行調 Le petit joueur de flûteau(笛を吹く少年

          G.Brassens(1921- 81)

          交響曲第5番「宗教改革」

          ● 作曲者:メンデルスゾーン(1809-47) このドイツ・ロマン派の作曲家は、バッハとヘンデルの忘れ去られた作品に光をあてることに、人生の大部分を捧げました。 1824(15歳)祖母からJ.S.バッハ「マタイ受難曲」の手書き写譜をプレゼントされて歓喜する 1829(20歳)バッハの「マタイ受難曲」の復活演奏を指揮する(バッハは1729年に初演。1742年に再演した後、100年近く演奏されませんでした) 祖父モーゼスは高名なユダヤ人哲学者。裕福な銀行家であるメンデルス

          交響曲第5番「宗教改革」

          ヴァイオリン協奏曲 作品77

          作曲者:ブラームス(1833-97) このドイツ・ロマン派の作曲家は、ピアニストとしても有名で、シューマン夫妻と友人でした。 ブラームスとヨアヒム ブラームスにとって重要な人物に、ヴァイオリニストのヨアヒム(1831-1907)がいます。すでに成功していたヨアヒムは、無名だった20歳のブラームスの才能を見抜き、すぐシューマンに紹介。シューマンも、自身の『音楽新報』誌で、ブラームスを称賛しています。 ブラームス45歳(1878)で作曲した唯一のヴァイオリン協奏曲は、ヨア

          ヴァイオリン協奏曲 作品77

          Nobody Knows 誰も知らない

          誰も知らない私の悩み(苦しみ) イエス様だけは知っておられる 時には陽気に 時には落ち込み 時には倒れる寸前まで 決してこの日を忘れない あなたは私の罪を洗い流してくれた Nobody knows the trouble I've seen, Nobody knows but Jesus. Nobody knows the trouble I've seen, Glory hallelujah! Sometimes I'm up, sometimes I'm dow

          Nobody Knows 誰も知らない

          歌曲集「ミルテの花」から 第14曲≪ハイランド地方の人々の子守唄≫

          作曲者 R.シューマン(1810-56) ドイツ・ロマン派の作曲家シューマンは、妻クララとの結婚に敬意を表すために歌曲集「ミルテの花」を作曲しました。 「ミルテの花」とは 花言葉:「愛」「愛のささやき」 花嫁が飾りに使うもの。 1840年「歌曲の年」 シューマン30歳(1840年)で、ついにクララとついに結婚。 「ミルテの花」(Op.25)・「リーダークライス」(Op.24、Op.39)・「詩人の恋」(Op.48)・「女の愛と生涯」(Op.42)など、多くの歌曲(リ

          歌曲集「ミルテの花」から 第14曲≪ハイランド地方の人々の子守唄≫