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爆裂愛物語 第四話 家族のぬくもり

「ふぁ〜あ」
 ある朝、我路はいつものように大きなあくびをしながら目を覚ました。そして寝ぼけ眼のまま、いつものように寮の扉を開ける。
「おはよーダン」
「おはよーさん」
 我路は間の抜けたような声で言った。まだ完全に目覚めてない感じだが、これがいつものことなので特に問題はないだろう……と我路は思った。
「さて……今日も仕事仕事!」
 そう言って車の運転席に座り、エンジンをかけよう……としたが、
「?」
 エンジンがかからない。何度試してもかからなかった。
「まさか……こいつぁついに壊れちまったのか!」
 そう呟き我路は困ったように頭を掻いた。しかし次の瞬間には得意げな笑みを浮かべる。
「ま、なんとかなるさ……」
 我路はすぐに気持ちを切り替え再びエンジンをかけようと試みる。しかし今度は……
「?」
 嫌なにおいが鼻をかすめた。 焦げ臭い、鼻を刺激する何か。
「まさか……」
 運転席から降りて確認をする……エンジンが、焼けている……焦げ臭い嫌なにおいを漂わせ炎が揺らいでいた。
「くそっ……最悪だぜ……ッ!」
 イラ立ちと怒りのこもった声色でそう叫びながらスマホを取り出す……
「……あ、おはようございます、並さん。すいません、エンジンが壊れたみたいで……はい……はい……わかりました。今日のところは予備車ですね」
 ため息とともに電話を切った。今日のところは予備車で向かわざる得ない……
(クソ! オレのトラックに乗れねぇなんて! 発車できないなんて!)
 我路は予備車のあるガレージに急ぐ。
(そりゃひどい乗り方もしたことあったけどよ……しっかりしてたじゃねぇかよ……)
 車に到着するとエンジンをかけながら、あのトラックのことを思い出す。
(感度最高のラジオからはいつもニュースや音楽番組がいい音させてたじゃねぇか……)
 そうしてフロントガラス越しにふと空を見上げた。
「ああ……」
 とびっきりの青空だ。外にとび出したら気持ちのいい夏の匂いがするような……日本晴れ。
「こんないい日に、お前に乗れないなんてな……相棒よ」
 我路は駐車場に置き去られた10tトラックを見つめながら、長いため息をついた。
「しかしこの予備車……」
 その予備車は……
「とんだオンボロだな……使いものにならねぇぜ。こんなんじゃ、まともに仕事できねぇぞ……」

 夕方……我路が帰社すると、真っ先に声をかけてきたのは凪だった。
「……お疲れ、さま」
 明らかに心配そうな声と表情をする凪が、我路の目に入る。
「並さんが呼んでます」
「ああ……わかった」
「あの!」
 元気のない声で返事をする我路に凪は、
「何かあれば言ってください。何でもいいから……」
 しかし我路は顔を伏せたまま
「大丈夫……ありがとう」
 と、感情を見せないように去っていく。その後ろ姿を、凪はただ見守ることぐらいしかできなかった。
「……」
 そんな二人の様子を淡々と観察する者がいる……アイだ。

 コンコン
「失礼します」
 カチャ……我路が並さんのいる部屋に入ってくる。
「どうだい、調子は」
 並さんは煙草を灰皿に押し付けながらそう訪ねる。
「まあまあですね」
「そうか……ところで我路の車の件なんだが」
「……」
「まずい、エンジンそのものをかえなければならない」
「!?」
「よって当分の間は予備車でやってくれ、以上だ」
「……わかりました。失礼します」
 我路は敬礼をすると退室した。

「……」
 退室後、並さんは神妙な面もちでうつむいた。それは……我路はおろか人には見せない人間らしさだった。並さんは弱々しく煙草をくわえると
「まったく……敵わないな……」
 と呟いた。これまで言葉にしなかった思いが見え隠れした気がしたが、不思議と嫌な気持ちではなく、自分が小気味良くなった気もする……そのくすぶった煙が消え去るのを待ってから、
「……」
 電話をした。
「ああ、アイか。ダンと園も連れてちょっと来てくれ」

「……」
 退室後……我路は自室に戻ると頭を抱えていた。
“ダシテクレ!!!! オレをここからダシテクレ!!!!!!”
 異様な立ち振る舞いだった。頭の中で叫び声が聞こえるのだ。
「“怪物”か……」
 ただでさえ立ち振る舞いが異常だというのに、常識を超えた情緒不安定さが見えていた。
「“頭の中の怪物”が……叫んでる……」
 いや、あるいは本当に精神崩壊寸前なのか。
「……」
 表情が顔に出そうになったのを無理矢理こらえた。自分はまだ平静を装っていられるのだろうか? そんなことを考えていたら……頭の中に、記憶が降ってきた。

「母さん……」
 永遠学園の正門の前で撮る記念撮影、物心ついてすぐの我路が見た中では、それは最後の家族との触れ合いだった。こじゃれた小さいスーツを着せられた幼い我路の肩に、手を添える立派なスーツ姿の母。カメラのシャッター音。記憶の中の母は何年たっても変わらない美しい人だ。ただ……記憶の中の母親は表情が“無機質”で、思い出が“義務”でしかないように感じられる。
 どこか心に欠落のある人間の表情だった。だが、もしこの世に時間があるのなら、我路は母親にこうたずねたいだろう。
「母さん……オレは、」
 それは愛し方を知らないからだと。
「社長になるための、母さんの後継者となるための、コマでしかなかったのか?」
 その曖昧な距離感に母親は愛情を試されながらも愛することを知らず、そのまま大人になりすぎてしまい、自分で自分のことが分からなくなってしまったのだ。
「だから永遠学園に入学させ、再生能力の施術を受けさせ、学問を学ばせた」
 そんな母とかけ離れた過去を思い出しながら我路は手に力を込めてグッと拳を握りしめた。
「誰がほんとのオレを見てくれたんだ」
 我路はもう一度、深く溜息をついた。

 コンコン
「我路?」
 そんな時だ、ドアをノックする音と現実味のある声がしたのは。
「入っていい?」
 凪だ。
「いいよ、どうぞ」
 そう返事をすると凪が入ってくる。
「ココアいれてきたの。よかったら一緒に」
 彼女はどこかおどおどしているが、それでも優しく振る舞おうとしている。
「ああ……ありがとう」
 そんな凪の声と姿を見た瞬間、安心したのは素直な気持ちだ。
「となり座るね!」
 そう言ってとなりに座った。凪のにおいがする……凪のにおいは甘く切なく、どこか懐かしい……。
「並さんから何か言われた?」
「ああ……当分予備車だって」
「そっか……」
 凪は何とも言えない声でぽつりと言うと、先ほど作ったココアをそっと飲んだ。
「予備車だとさー、オンボロな上に、仕事が限られてくるんだ。あれ今までより荷台が高さも横幅も小さいんだよ」
「そうなんだ! トラックにもいろんな種類があるんだね!」
 凪は我路に前向きになってほしいとがんばって明るく振る舞おうとした。我路もそんな凪の気持ちがよくわかるから、無理して笑顔をつくろうとココアをすすりこんだのだが、まったくおいしく感じられなかった。しかし、そのまま飲みほした。
「……」
 凪もそんな我路の気持ちを感じとったのか、
「ねぇ……」
 一瞬うつむいたあと、
「ちょっと立って!」
「え?」
「いいから!」
 と、何処から出してるのだろうと思えるような明るい声で我路を立たせると
「お、おい」
 我路の背中を両手で押した。
「おいおい、あぶねーよ」
「アハハ、ちょっとそこまで来てよ」
 我路の背中を押す凪はまるで無邪気な少女であった。彼女はそのまま我路を……ガレージのバイク、黒いカタナの前まで連れ出した。
「?」
「夜のツーリング連れてって」
「へ?」
「いいから連れてって! 我路と何処か行きたいの」
「行くって何処へ?」
「我路が前を向いて行く場所なら何処でもいい! 私は黙って背中にいるから」
「……」
 彼女の無邪気な笑顔は、我路の背を支えることを喜んでいるのだろうか?
「そうか」
 前を向く我路の背を見ることが嬉しいのだろうか?
「じゃあ黙ってついてこい!!」
「はい!!」
 それとも……

 キュルル……ブン! ブンブブーン!! 我路と凪を乗せた黒いバイク、黒いカタナが夜を駆け抜ける。
「……」
 そんなふたりを、後ろからジッと見る影があった。シワだらけの服に、神経質そうな顔……夏凛だ。
「……」
 物かげからジッと見る瞳は、なんとも言えない眼差しで……祈るように見えるが、昔を懐かしむようにも見えた。

 ブンブブーン! ズドドーン! ギュルギュルギュル! 黒いカタナが夜空をつんざく排気音を鳴らし、ふたりを乗せる。次々に過ぎ去っていくネオンや車の灯りが、まるで光の渦のように見える。
「……」
 凪は我路の後ろで背中をぎゅっとする。無邪気な横顔を、背中にうずめて。
「……」
 彼女の無邪気な笑顔は……我路の背のぬくもりが……大好きだからなのかもしれない。

「うし! 着いたぞ!」
 ふたりが辿り着いたそこは……月がよく見える丘で、眼の前に海がある。海にうつる月がとてもきれいだ。
「うわー、めっちゃキレイ……すごく広い……」
 凪は今までにないくらい感動していた。興奮で胸が一杯になっていたのだ。その隣には我路がいる。
「オレ、月が好きなんだ」
 同じ景色でも我路がいると違って見えた。
「だからたまに来るんだよ、ここ」
 同じ景色がまるで色あざやかにうつる。
「人と来たのは初めてだけど」
「……来れてよかったと思う?」
 凪は上目づかいでドキドキしながら言った。
「……」
 我路は思った。
「ああ」
 凪がいてくれて、気持ちが晴れたと。
「思うよ」
 凪が背中を支えてくれるなら、
「凪と一緒に来れてよかった」
 心だけは折れない。
「凪と……一緒にこの景色を見れてよかった」
 だから間違うことはない。
「アハッ」
 凪は嬉しそうに咲った。海にうつる月に凪の笑顔が揺れる。遠くのまま儚いまま、可憐な花のように……。

「並さんはさ、すごく優しい人で」
 ふたりはそれから、丘にすわって月を見ながら一緒に話した。
「最初こそオレの現場にも様子を見に来てくれた」
 月光だけが、ふたりを見守り、物語る。
「だけど慣れてくると指示は必要最低限になっていった。時には前日に次の日の指示を全部して、後は何かあった時以外連絡しなくていいって指示する時もあった」
 そして海はやさしく歌うように鳴りやみ、月影だけがささやく。
「でもそれは“任せられる”って判断してくれてるからなんだ。だからかえって安心できたし、それがあの方なりの優しさなんだ」
「そうなんだ」
「それにね、ある日気づいたんだけど、並さんお昼休憩もなしで働かれてる時もあるんだよ! オレらはお昼どころか、早い時は10時から13時まで時間つくってくれるのに!」
「すごい!」
「オレら朝が早いってのもあるから、お昼には絶対休ませる! みたいな信念があるみたいなんだ……時にはご自分がフォークリフトを運転されてまで時間つくってくれた時もあった……それがあの過酷な現場で、どれだけ嬉しかったか……」
「優しい人だね」
「その代わりメッチャ厳しいけどな 笑。やれって言った指示は絶対だから。できなかったらシバかれる勢いでメッチャ怒られる 笑」
「なんかわかる 笑」
「でもそれは、“できる”って判断されてるからなんだ。あの方の指示はほんとに必要最低限だけど適確で……すごい方だよ」
「……尊敬してるんだね」
「ああ……だから」
 我路はこぶしをギュッと握った。
「あの方のためなら……オレは、喜んでこの命も人生も捧げたい」
「……」
 凪は思った。我路はいろんな人に支えられていて、実は上である並さんにも強く強く支えられて今があるんだと。だけど……
「そう言えばさ、我路」
 今、“命も人生も捧げたい”と言った我路は、自分なんかには届かないぐらいの覚悟を感じるけど、
「前から気になってたんだけど」
 なんだか……不思議と、寂しいことな気がした。
「我路ってなんでツイッター始めたの?」
「ああ……」
 我路はどこか懐かしむような遠い目をして答えた。
「園さんに教えてもらったんだ、最初は」
「園さん?」
「ああ、でも始めようと思ったキッカケは」
「……」
「大日本翼賛会の、右翼の教義って、知ってる?」
「……知らない」
「“何が正しいか間違っているかは、時代や場所によって移ろっていく、だから判らない。しかし、誠意をもって、言った言葉や、行った行動は、必ず何かを残す”」
「!? すごい」
「だから
 “下手くそでもハッキリ自分の意見を言おう”
 “普段からこの国や人生について深く考えていたら、自然に言葉も行動もでる”
 という教えがある。だから街宣車での演説も、原稿を持たないんだ。全部アドリブなんだ」
「すごい人たちなんだね右翼って」
「それをさ、オレなりのやり方でできないかなって思った時に、ツイッターが出てきたんだ。誠意をもったツイートをしていけば、何かは残るんじゃないかって」
「……」
「まぁでも、思うほどでもないけどな」
「え?」
「一番最初の頃のフォロワーさんなんていま誰もいない。それに、真剣に誠実に向き合っても、ちゃんと答えてくれる人なんてほとんどいない。こっちのできることも限られてるってのもあるけどな。静香や凪みたいな人なんて珍しいんだよ。」
 凪は思った、
「でも」
 我路の根は何処までも真面目で、
「私は救われた」
 あまりにも考え込みすぎなぐらいに
「ちゃんと残ったよ」
 根を詰めすぎる、優しいひとなんだなと。
「私の命」
「!?」
「私、我路のツイートがなかったら、自殺してたから」
「……」
 そんな我路に、凪は救われた。
「“巡り、巡り、巡り巡って”」
「……」
「“オレの言葉が君の生命(いのち)を救ったように”」
「あぁ……」
「“巡り、巡り、巡り巡って、いつか君がオレの生命(いのち)を支えてくれた”」
「レイさん……」
「“巡り、巡り、巡り巡って、ただそれだけの物語(はなし)、でもそれが総て”」
「……」
「ってツイートしていい? 笑」
 月光だけが、ふたりを見守り、物語る。
「いいよ」
 そして海はやさしく歌うように鳴りやみ、月影だけがささやく。
「よかった 笑」
 まるで景色までがふたりの奇跡を祝福するよう。月は優しくなり、空気は甘く冷たくて澄み切っている。やがて陽の光が差し、いっそう美しく世界は姿を変えてゆく。
“これが青春なんだよ”
 それはただ純粋な感動、魂の奥から歓喜する美があった。涙がこぼれそうになったが必死にこらえてぐっと笑顔をつくったのだった。ふたりの笑顔は溶け込むような透明感がただよって……キスをした。SNSという名の青春に、抱かれて。

 朝……
「……」
 我路は不思議な高よう感に抱かれて、予備車に向かう。まるで昨夜のぬくもりがまだ残っているように……現場に向かおうとしたそのとき。
「おい!! お前」
 宮さんの声がした。
「そんなんで仕事できんのか!!!!」
「できます!! トラックはあるんです!! なんの問題もありません!!!!」
 朝いっぱつめ、宮さんからの大きな声に負けないぐらいの返事をとっさにした。すると宮さんはしばらくジッと我路を見て……
「うし! ほな任せるわ」
 ……と、安心した顔でどっか行った。
「……」
 きっとみぞおちを強く圧迫して叫んだに違いない。低い声で有無を言わせないような絶妙な加減……圧すら感じた。
「宮さんなりの応援か」
 我路はふ……と微笑をこぼす。それは、ほんの小さな我路の変化だったが、
「ありがとうございます……」
 彼の心に少しばかりの余裕が出来た。そうして現場に向かう……だが、そうは言っても彼の心には相変わらず闇が巣食い続けていた。
「……」
 頭の中の
「怪物が……」
 うるさい! 誰か……助けてくれ……殺してくれ……心に怒りや憎しみなどの感情が渦巻くがすぐに理性で抑え込む。頭のなかがぐちゃぐちゃになる。頭の中をどんどん掻き回され、滅茶苦茶にされたように思えてきた。すると奥から懐かしい景色がかすかに見えてきた。
「並さん……」
 並さんと一緒に働いてきた現場、未成年にも関わらずトラックも運転させてくれ、教えてくれ、可愛がってくれていたことを思い出す。現場では眉ひとつ動かさず、ただ適確な指示をくれて……朝の早い過酷な現場だけど、必ず二時間は休憩をつくってくれた。夜は酒をくみ交わし、自分の話に耳を傾けてはいろいろと相談にのってくれて……そんな上司を持てて幸せだなと思った。だから
「オレは」

 夕方……我路は並さんのいる部屋に行った。そして扉を開ける。
「並さん……」
 我路は……
「自分の代わりとなる人を探してください」
 並さんのためなら、
「個人の運送会社ならトラックも一緒に来てくれる人もいるハズです」
 命も人生も捧げると、誓った、
「そして自分を事務作業と指示に徹しさせてください。それが正解です」
 だから……これでいいんだ。

「断る」
「は?」
 だが並さんはふたつ返事で断ってきた。
「……どうしてですか?」
「使えないトラックと我路、使えるトラックと他の誰か、なら我路をとる」
「……」
「あと、ちょっと来い」
「は?」
 そう言うと並さんは、スタスタと廊下を歩いて行った。我路も三歩後ろから追いかける。そうして並さんが行く先は……車庫の中で、
「え?」
 壊れたハズの我路のトラックに……アイとダン、園さんがいる。
「治ったか?」
「はい、並さん。苦労しました。しかし、並さんが紹介したスクラップ場から使える部品を集めて修理しました」
「アイならできると思った」
 驚く我路をよそに、並さんはニヤリと笑う。
「だけど思いの他大変だったんすよー! 三人で知恵を出し合ったんすから!」
「ハハハ、ダンならできると思っていたよ」
 我路は不思議な気持ちになった。
「園! 宮や咲夜、みんなを連れて来てくれ」
 この胸に宿ったぬくもりは、
「我路のトラック復帰を祝って車庫でバーベキューするぞ! 酒もな!」
 家族のぬくもりで、
「あの……並さん」
 そして……
「ありがとう、ございます」
 並さんは父親だ。
「はい」
 並さんは我路の言葉に、優しいけど切れ長の鋭い目つきで、真っ直ぐただひと言、“はい”とだけ答えた。

「おう我路! トラック治ったんか?」
「宮さん、みんな……」
「お前さんざん楽してきたんやから、これからたっぷり働けよ 笑」
「はい!」
 宮さんやみんなが集まってくる。まるで本当の家族のようにあったかくて……血の繫がらない親子や兄弟姉妹のようだった。そんなみんなの前でアイが我路に言った。

「結婚しましょう、我路」
 え……
「えええええ! ちょ、ちょっと待ってアイ! ……どういうことや?」
「修理してる間、園さんにすすめられたんです」
(園さん!!!!)
 我路がギロっとにらむと、園さんはニヤニヤしながら口笛をふいてみせた。
「私は筋力がなく、我路の仕事を支えるには限界があります。今回の修理もダンや園さんの力なくてはできません。しかし、私にもメリットがあります。それは女性であるということ。なら結婚すれば、書類上のやりとりや病院の付き添いなどもスムーズにいきやすく、より支えやすくなります。合理的です」
「いや、合理的ですって……いちおのプロポーズを、こんなみんなの前で」
「この方がいいんです、逃げられないので」
「こわい女かよお前!!!!」
「我路はどうですか? 気になるデメリットなどあれば」
「あんな……言いたかないけど、結婚するってことは……オレとヤる関係になるってことだぞ? ええんか」
「私はかまいません。子宮も卵巣もないので妊娠する心配なくヤリ放題です。それはデメリットでもあるかもしれませんが」
「ヤリ放題って……いや、男みょうりには尽きる話かもしれんが……じゃあアイ、メリットばかり言うが、オレもアイも別に気になる人ができたらどうだ? いざ結婚したらやりにくいだろ? だからこういう話はもっと時間をおいて考えてだな」
「私はかまいません。我路が捨てたくなった時に捨ててくれていいです。我路を支える、という唯一の目的からも、その方が合理的と判断すれば、私はそれでいいです」
「……そんな単純な話じゃ…………」
 我路はチラっと、凪と夏凛がいる方向を見てみる。するとふたりはすごい表情をしていた。夏凛は棘がありそうなじと目で睨み、凪は……ぐぬぬ……と何やら歯を食い縛っている。
(ぬああああ……! 何見てんだおい! そんな目で見んな!)
 凪は握ってた柱をみしみし……と握り潰し、夏凛は今にも飛び出しそうな形相。
 二人はぱっと逃げて車庫の片隅に行きひそひそ……くすくす……ぴくぴく……! と内緒話してる。聞こえてるけどなあ全部……もうやけくそに頭をぐしゃぐしゃとかいた後。我路は……
「と、とりあえずトラックが無事治ったんだ! みんなで祝ってくれよ、な! 今日はオレのおごりだ!」
「逃がしませんからね、我路」
(空気を読んでくれアイ!!!!)
 なんだかんだ楽しいバーベキューのひと時を過ごした。それから三時間ほどの盛り上がりを見せ、みなが片付けをしていた時……アイが横から凪にささやいた。
「あなたは我路を支えるために、一体なにができますか?」
 凪は……眉をひそめたまま答えることができない。ただ、重苦しくなりそうな沈黙を押し退けるように……

 ガン! と、壁をひと蹴りした。

 大神島……ピラミッドのカタチをした島の、ちょうど頭上に満月が浮かび、島と漆黒の海を照らす。月光に照らされた大神島は、無数の死骸であふれていた。おびただしい死者の絨毯は、過去の戦争で死んでいった者たちではない。今ここで、誰かに殺されたのだ。そう……目の前の侵略者たちの、正義の名の下によって。
 ザ・ザ・ザ・ザ……軍靴の音が島に響く。シュタールヘルム型ヘルメットを着けた黒いガスマスクとロングコートの兵士たちが、ガスマスクに赤い眼光を、ロングコートの左腕に赤い腕章を、そして夜風にコートなびかせながらゆっくりと行進していく。大神島の頂上を目指して……
 広葉樹林の鬱蒼とした夜の森の中を、兵士たちが行軍している。木々が密集して、月光さえも差し込まない森の中は暗黒だが、兵士たちに光の必要はない。彼等は命令のまま目的地へ、大神島の頂上へ向かい……
 やがて見えてきた。しめ縄に縛られた巨大な岩、この島の信仰の象徴であるトゥンバラ。兵士のリーダー格と思われる、黒いガスマスクとロングコートの男が岩を昇り始めた。まるでちょうど岩の、トゥンバラの遥か頭上に浮かぶ満月を求めるように神をも恐れずを昇っていく。トゥンバラの頂に昇った男は、あの月に右手を伸ばした。まるで月光を欲するように伸ばすと……こちらに振り向く。月を背にしたシルエットは、シュタールヘルム型ヘルメットに、ガスマスク、なびくロングコートにそして……赤い眼光だ。彼はトゥンバラの頂に……ザ! 本国の旗を、ナチス第三帝国のハーケンクロイツを立てた。

“ジーク・ハイル!!”

 兵士たちがナチス式敬礼をする。冷酷なまま、正義を振りかざし、髑髏を踏みつけ、血に汚れた権力と暴力が世界を支配した。

「……」
 黒いSS将校の制服を着けた金髪の少年は、アセチレン・ランプを片手に廃墟の神社を訪れた。彼は石の鳥居の前に……鴉の死骸を置いた、まるで手放すように、片手を離して。
「……」
 青い瞳の奥に眠る野心はドス黒く燃え、ギラついている……自身の野心のためなら悪魔に魂を売るのだろう……とでも言いたげに。人の神なる冒涜の叡智が燃えている。
「……ふっ」
 神社の奥には古いシーサーの像があった。彼はそれを……ダン! ダン! ワルサーP38で撃ち砕く。崩れ去るシーサーの像に、カランカラン……と、薬莢の音が虚しく木霊した。彼は崩れ去ったシーサーの像を……ゲシ!! 軍靴で蹴り飛ばす。
「……」
 やがてアセチレン・ランプは神社の奥にある祠に辿り着いた。祠には様々な花や飲み物、そして扇子が捧げられている。中を覗き込めば枯れた花束の……奥にしめ縄で封印された座敷牢があった。
「アラーンに流れる詠(ユーシヌフサ)
 祖先の記憶を呼び醒ます
 男神(アカザラぬアカダイぬマヌス)が
 女神(パマサトゥヌス)に口づけする」

 やがて月が沈む。

「孤独の神が棲む島の伝承をあなたに託しましょう」

 空を彼は誰の仄暗い光が薄ら支配し始め、

「祇園精舎の鐘の声
 諸行無常の響きあり
 沙羅双樹の華の色
 盛者必衰の理を現す

 おごれるモノも久しからず
 ただ春の夜の夢の如し
 たけきモノも遂には滅びぬ
 ひとへに風の前の塵に同じ」

 鳥居に捨てられた鴉を……ワケも判らず一心不乱に生きた烏が屍姦する、まるで貪るように。

「親神(ウヤガン)は子神(ファヌカン)
 子神(ファヌカン)は親神(ウヤガン)
 トゥントゥナギ、トゥユマシ
 トゥントゥナギ、トゥユマシ

 フィーサマティ……」

 木々には彼は誰にシルエットとなった無数の烏たちが、その様子を見下ろしていた。

「アラーンに流れ着いた
 トゥンバラに捧げた
 死臭放つ白骨の木乃伊
 一族の証、神の夢」

 まるでこれから始まる不吉な予感に慄くように。

「千年の孤独はいつも
 失われた記憶を醒ます
 海の彼方に沈む
 一族の夢を唄って」

 邪神の目醒めを……恐怖するように。

「大神(ウプガン) 祖神祭(ウヤーン)
 懐かしいから 忘れたかった君は
 トゥンバラぬミササギへ昇り

 大神(ウプガン) 祖神祭(ウヤーン)
 美しいから 裏切った想ひ出さえ
 これが最期の始祖伝説(ニーリ)」

 一匹の黒い烏が、断末魔のような鳴き声を闇に放った。

「大神(ウプガン)、大神(ウプガン)
 ただ春の夜の夢でもいい
 まだ少し人間(ヒト)でいたい
 子宮(アガミクル)に神(ガン)とぅ祈った」

 ハンスは冷酷な眼差しのまま……しめ縄をブチ破り、座敷牢の扉を軍靴で蹴り倒す。

「覚醒めよ、邪神よ、マズムヌよ……本土決戦兵器。鬼(キ)一号作戦の恩恵。平家最期の夢……殺志、闇が照らしている」

 座敷牢の奥……冷たい闇からハー……ハー……という吐息が聴こえる。座敷牢の中はジメジメとした洞窟(ガマ)だ。四面が岩壁に囲われ、何もなくただ闇だけが支配する場所。人々がひた隠しにしようとして、閉じ籠め、神と崇めることで忘れていた闇は、ずっとこんな場所で……生きていた。ハー……ハー……という吐息が段々と大きくなり、やがて白い唇だけが闇にうつった。
「闇よ、オレを照らせ」
 彼は白い唇の口角を、ゆっくりと吊り上げ……
「殺害の志を、殺戮の志を、大量虐殺の志を」
 ニヤリと嗤った。

 つづく

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